71 菅家文草〈家集を献ずるの状〉
参考:太宰府天満宮文化研究所発行「菅家の文華」
注:本稿中の漢字は、新字体に準拠しました。SYSOP
〈家集を献ずるの状〉
合二十八巻
菅家集 六巻 祖父清公集
菅相公集 十巻 親父是善集
菅家文草 十二巻 道〜集
右 臣某伏して惟オモンみるに、陛下始め東宮に御オワせし時、臣の讃州客中の詩を求めたま
ふ令オオセあり。臣、両軸を写し取り、啓し進タテマつること既に訖オワりぬ。登極の後(御即
位の後)侍臣或る人、臣に勧めて文草の多少を献ぜしむ。臣、或る人の勧めを蒙り、元
慶以往の藁草(下書き)を捜し覓モトむ。
臣、先に讃州に在りし間、書斎漏湿し、典籍皆な損ず。中んづく、之を損ずるの甚だし
きものは臣の文草なり。或ひは軸を挙げて黏腐デンフし(全巻の紙が癒着して腐っている
)、之を舒ノぶれば粉の如く、或ひは篇中破欠し、数字消滅せり。その詞これを誦するに
足らず、人もまた口に載せず、尋得ジントクするに曲無く(尋ね出す方法もなく)、黙然た
るのみ。
ある人告げて曰く、賀州の別駕(権守か介)平有直は詩人文士に非ずといへども、好ん
で天下の詩賦雅文を写せり。疑ふらくは汝の草も同じく篋中に在らんかと。臣、忽然と
して大いに悦び、有直を招き取り、ある人の語を以って殷勤に請託す。有直、一諾して
帰去し、数日を経て乃ち文筆数百首を写し贈れり。瓦礫の報、金玉甚だ軽し。破顔して
之を謝し、眼を合せて之を感ぜり。其のなほ欠ぐる所のものは、腐残の半辺余点に就き
て、首尾を叩会して補ひ綴れり。恐らくは往々前に背き、人の意をして之を疑はしめん。
伏して昌泰三年の内宴の応制以上の詩、ならびに先後の詩文つわ勒アツめて、且シバらく十
有二巻と成せり。
臣は十五冠を加えて後、二十六対策及第以前は、帷トバリを垂れ戸を閉ぢ(書斎に閉じ篭
もって)、教典を渉猟ショウリョウす。風月花鳥有りといへども、蓋ケダし詩を言ふの日尠スクナ
し。秀才、科に登れば則ち幾年を経ずして戸部侍部、戸部主務(民部省の役人)と為り、
専ら案牘アントクに榮(榮の木の代わりに糸)マツワる(公文書の作成、審議に忙しい)。吏部
(式部省)に遷るの年、文章博士を兼ね、後漢書を講ぜしめられ、講書の煩ワズラひまた
詩興を妨サマタぐ。今の集むるところは、多くはこれ仁和年中の讃州の客意、寛平以後の応
制雑詠のみ。客意は以って微臣の道を失へるを叙ノべたるなり。応制は以って天子文を好
ませたまふに遇へるなり。物に触るるの感、覚えずして滋多シゲし。詩人の興推して知る
べし。
臣伏して惟みるに、臣の家は儒林文苑たること尚ヒサし。臣の位三品に登り、官丞相に至
るは豈に父祖の余慶の延ヒき及ぶ所にあらずや。既に余慶に頼ヨる。何ぞ旧文を掩オオはん。
人孫と為りて不順の孫たるべからず。人子と為りて不孝の子たるべからず。故に今、臣
の草を献ずるの次ツイデに、副ソへて以って奉進タテマツりぬ。伏して願はくば、曲げて照覧を
垂れたまへ。臣某、感歎の至りに堪へず。誠惶誠恐、頓首々々、死罪々々、謹んで申す。
昌泰三年八月十二日 正三位守右大臣兼行右近衛大将菅原朝臣某上
右の状に明らかなように、「文草」十二巻は寛平九年七月に家集を献ぜよとの醍醐天
皇の御内意を受けて以来、旧稿の蒐集・復原の作業に苦労の末、漸くこれを編集し浄書し
たことが分かる。
この三代の家集をご覧になった帝は、次の御製を賜った。
右丞相の家集を献ずるを見る
門風は古イニシエより これ儒林
今日の文華 みな尽く金
ただ一聯を詠じて気味を知る
況んや三代を連ねて清吟に飽くをや
琢磨タクマせる寒玉は 声々セイセイ麗し
裁制サイセイせる余霞ヨカは 句々侵す
更に菅家の白様ハクヨウに勝れるあり
茲れより抛却テキキャクして 匣塵コウジン深からむ
平生愛する所の白氏文集七十巻なり。今菅家を以って亦帙チツを開かず。
家風は古から代々儒家。
今見る文華は、ことごとく珠玉。
ただ一聯を誦するのみで神品なることが知らるるに、
三代を通じて心行くまで清吟出来る嬉しさよ。
磨き上げた玉の響の如き格調。
裁断した彩雲の如き麗句。
菅家の文藻は白氏にも勝るものあり。
平生愛誦せる「文集モンジュウ」なれど、今日以後は匣ハコの底深くおさめて見ることも
あるまじ。
この御製を拝した道真は、次の詩を詠んで鄙情を述べた。
〈奉感見献臣家集之御製、不改韻兼叙鄙情〉 − 臣の家集を献ずるを見そなはす御製に
感じ奉りて、韻を改めず兼ねて鄙情を叙ぶ
反哺寒鳥自故林 反哺ハンポの寒鳥は、自オノズから故林
只遺風月不遺金 只風月を遺して金コガネを遺さず
且成四七箱中巻 且シバラく四七と成る、箱中ソウチュウの巻
何幸再三陛下吟 何ぞ幸なる、再三陛下の吟じたまふこと
犬馬微情叉手表 犬馬の微情は、手を叉コマネきて表はし
氷霜御製遍身侵 氷霜の御製は遍アマネく身に侵す
恩覃父祖無涯岸 恩は父祖に覃オヨびて、涯岸ガイガン無し
誰道秋来海水深 誰か道イふ、秋来海水深しと
祖父も父も私も、皆その親から教養されて家風の詩文の道に入りました。
誰も財は残さなかったが、詩文の草稿だけは残して呉れました。
その遺稿を集めて二十八巻となし、献上致しましたところ、
再三、陛下の御吟誦を賜るとは何たる光栄で御座いましょう。
過分の御恩寵に対しましてはいよいよ奉公の誠を尽くしてお報い致したく存じますが、
白氏に勝るとの御過褒に対しましては、冷汗三斗の想いで御座います。
さるにても父祖にも及ぶ広大な御仁徳。
河水は斗量ハカるべからずと申しますけれど、それすら及ぶべくも御座いません。
[次へ進む] [バック]