122 菅家後草〈晩望東山遠寺〉
 
                  参考:太宰府天満宮学業講社発行「菅家後草」
 
〈晩望東山遠寺〉  −  晩クレに東山の遠寺を望む
秋日間因反照看     秋日間に反照に因って看れば
華堂乖(手偏+乖)着白雲端 華堂クワドウ乖(手偏+乖)ハサみ着く、白雲の端
微々寄送鐘風嚮     微々に寄せ送る、鐘の風嚮
略々分張塔露盤     略々分張す、塔の露盤ロバン
不得香花親供養     香花カウゲして親しく供養することを得ず
偏将水月苦空観     偏へに水月を将モって苦ネンゴろに空観す
仏無来去無前後     仏は来去無く、前後無し
唯願抜除我障難     唯願はくば我が障難を抜除せられんことを
 
 東山の遠寺は何れの寺か分明ではないが、高尾山か宝満山の辺りに、七大寺のどれか
があったと思われる。
 前の詩と同じく秋の暮方である。前詩は庭前の菊を眺めて詠じ、これは東山の遠寺を
眺めての詩である。
 夕方、所在なさに縁側に佇んで、真向かいの山を眺めている。白雲の間から寺が隠見
する。鐘楼も見える。折しも落日の頃とて、華やかな反照に照らし出されて、黄金の極
楽浄土のように美しい眺めである。微風ソヨカゼが渡る。耳を澄ませると、山寺の鐘を鳴ら
す風の音が微かに響いて来る感じがする。塔の露盤が一輪一輪分かれて羽翼にように張
っている形さえ見分けられる。
 浮世離れした清浄荘厳な美しさ、あんなお寺にこそ功徳が多かろうと思うけれど、詣
ることは許されそうもない。
 今としては、庭前の水に映る月影を見て、諸行皆空の仏理に徹するほかはない。
 公は何時の間にか合掌していた。
 
 さるにても汝ナれ仏は仏力偉大自由無碍、八方世界に遍ねくおわしますとかや、願わく
ばわが障難を除かせ給えかし。
 
 「露盤」とは、塔の九輪の最下部にある方形の盤である。
 「偏へに水月を将って苦ろに空観す。」「水月」は鏡花水月と熟し、目に見えて手に
取る能わざるもの、即ち総ての物象は総て空であるとの意で、この理を悟ることが「空
観」である。
 
 
〈風雨〉   −  風雨
朝々風気勁     朝々風気勁ツヨし
夜々雨声寒     夜々雨声寒し
老僕要綿切     老僕綿を要モトむること切なり
荒村買炭難     荒村炭を買ふこと難し
不愁茅屋破     茅屋バウオクの破るゝを愁へず
偏惜菊花残     偏へに菊花の残ザンするを惜む
自有年豊稔     自オノヅから年の豊稔ホウネンなる有るも
都無叶口食(歹偏+食) 都スベて口に叶ふ食(歹偏+食)ソン無し
 
 秋が深まった。朝毎に、風は身を切る鋭さ、夜毎に時雨は冷え冷えと降る。
 白太夫などは寒がって、頻りに綿を欲しがるけれど、綿の名産地に住みながら入手す
ることもならず、山村なのに炭を求めることも難しい。
 自分は、このあばら屋が傷んで風も雨も防がぬ苦しさよりも、菊の花が枯れ凋むのが
惜しい。不憫だ。
 時に凶作の年があろうと、自然豊作の年もある筈、それに今年の収穫も終わっている
のに、自分等は去年も今年も、腹を肥らすことがないと、不如意に生活をかこった。
 
 先には不自由ながらも餓死せず凍死せぬ身の幸福を感謝したが、召使から愁訴される
ことは主人にとっては身を切られる辛さなので、この怨みがある。どちらもその時の本
心であろう。
 
 
〈燈滅〉     −  燈滅す
 一
脂膏先尽不因風     脂膏シカウ先づ尽く、風に因らず
殊恨光無一夜通     殊に恨む、光一夜の通ずること無きを
難得灰心兼晦跡     得難し、心を灰にすると跡を晦クラますと
寒窓起就月明中     寒窓に起って月明の中に就く
 
 同じ題に対し二首の連作である。
 今宵も、風が吹くのでないのに燈火が消えた。油が尽きたのだ。一晩だって、夜通し
燈火の点く夜のないのが情けない。
 自分は未だ感情を殺してしまう境地に入り切れず、また大自然に自適する心境にも悟
入ゴニュウしていないので、このようにして燈火の消えたのにも悲しくなり、月光の差し込
む寒窓の許に立って行って、月明下の冴々とした外景に目を落としては物思いに沈むと
言うのである。
 「脂膏先づ尽く、風に因らず」は、文子に「鳴鐸は声を以て自ら毀れ、膏燭は明を以
て自ら消ゆ」とあるに因る。
 
 二
秋天未雪地無蛍     秋天未だ雪あらず、地に蛍無し
燈滅抛書涙暗零     燈滅し書を抛ナゲウって、涙暗ソゾロに零オつ
遷客悲愁陰夜倍     遷客の悲愁は陰夜に倍す
冥々理欲訴冥々     冥々の理冥々に訴へんと欲す
 
 雪があれば孫康のように雪明かりで書を読もう、蛍がおれば車胤のように蛍火で書を
照らそうけれど、蛍は勿論居らず、雪さえも降っていないこの秋の夜に、燈火は消えた
のに注ツぐ油もないとは、何たる情けないことであろう。
 流人にとっては、夜が一入ヒトシオ物思いさせられて耐え難いのだ。せめて読書によって、
それを紛らわそうとしているのに、その油さえ与えられない。こんな惨めなことがあろ
うか。罪もない自分をこれ程までに苛酷に虐シイタげるなら、黒白を天神に訴え、神の御裁
断を乞おうとさえ思う。
 
 公は読書の人、まして燈火親しむべき秋の夜長に、燈火なくしてはどんなに苦痛であ
られたろう。
 「冥々の理冥々に訴へんと欲す」。さもあろう、凄絶悲惨、目を蔽わしむるものがあ
る。
[次へ進む] [バック]