123 菅家後草〈問秋月〉
参考:太宰府天満宮学業講社発行「菅家後草」
〈問秋月〉 − 秋月に問ふ
度春度夏只今秋 春を度ワタり夏を度って只今秋
如鏡如環本是鈎 鏡の如く環タマキの如くにして本モト是れ鈎コウ
為問未曽失終始 為に問ふ未だ曽て終始を失はざるに
被浮雲掩向西流 浮雲に掩はれて西に向かって流るゝを
春も夏も、また秋も、或いは三日月となり或いは満月となって、季節を送る月よ。
汝に問いたいことは、汝は未だかつて盈虚出没を誤らず、身も科トガもなきに、どうし
てそれぞれ浮雲に掩われて西に流されるのかと、公の身に準えて月に問われたのである。
「鏡」と「環」は、共に丸いもの故満月に喩え、「鈎」は曲がり金で、三日月に喩え
た。
〈代月答〉 − 月に代わって答ふ
冥(草冠+冥)発桂香半且円 冥(草冠+冥)ベイ発ヒラき桂ケイ香カンバしく半且つ円
三千世界一周天 三千世界一周天
天廻玄鑑雲将霽 天玄鑑ゲンカンを廻らして雲将に霽ハれんとす
唯是西行不左遷 唯是れ西に行くのみにして左遷ならず
前詩への自答である。
如何にも吾は、或いは三日月となり或いは満月となって、広い三千世界を照らしつゝ
東から西に廻ってはいる。
君は「科トガなきに何ぞ浮雲に掩われて西に流れるのか」と問うが、それは皮相の観察
に過ぎぬ。やがて天帝が御心を思い返されると、浮雲の如きは雲散霧消せんのみ、意に
するには及ばない。また西に流るるけれど、それはたゞ西に向かって行くだけのことで、
左遷ではないのであると。
「冥(草冠+冥)発き桂香しく半且つ円」。「冥(草冠+冥」は帝王世紀や十八史略
に拠れば、聖人尭の時庭に生えた草の名で、毎月朔日ツイタチから十五日までに一葉ずつが
増え、それから晦日ミソカまでは一葉ずつを落としたので、尭はこれによって晦朔を知った
と云う瑞草である。「桂」は月中にあると云う好樹。
「三千世界」は、三千大千世界のことで、略して三千界とも云い、この世界のことで
ある。釈氏要覧に「この山(須弥山シュミセン)に八山有りて外を遶メグり、大鉄囲山有りて
周廻囲繞し、並びに一日月昼夜回転して四天下を照らして一国土と名づく。一千国土を
積みて小千世界と名づく。千箇小千世界を積みて中千世界と名づく。一千中世界を積み
て大千界と名づく。三を以て千を積む、故に三千千世界と名づく」とある。
新古今集十八の中に、公の歌として、
月ごとに流ると思ひし真澄マス鏡 西の空にもとまらざりけり
とあるのは、この詩と同趣の歌である。
月に懸かる浮雲は、やがて消散する。我が身の濡衣は、乾く折もあるまい。
月は西に行くも左遷ならず、吾の西陲にあるは左遷のためである。月すらも吾の友で
はないのである。
されど薨後程ならずして、本官を復し正二位を贈られ、やがて太政大臣を追贈され、
時平の弟仲平は、勅命により下向して菅公神廟を造営した。明治に至るや、臣下中たゞ
一人官幣社に祀られ給うたのは、天の玄鑑が浮雲を披いたと云うべきである。
幕末、高杉晋作は囚中にあって詠じて曰く、
君見ずや、死して忠鬼となる菅相公
霊魂尚ほ天拝の峰に在り
又見ずや、石を懐いて流に投ず楚の屈平
今に至りて人は悲しむ泪羅の江
古より讒間忠節を害す
忠臣は君を思うて身を懐はず
我もまた貶謫幽囚の士
二公を憶ひ起して涙胸を沽ほす
悼むを休めよ空しく讒間の為に死するを
自オノヅから後世議論の公あるなり
〈九月尽〉 − 九月尽く
今日二年九月尽 今日二年の九月尽く
此身五十八廻秋 此身五十八廻クワイの秋
思量何事中庭立 何事をか思量して中庭に立つ
黄菊残花白髪頭 黄菊の残花、白髪の頭
今日、延喜二年の九月も尽きた。自分の五十八歳の秋も過ぎた訳である。
さて秋は過ぎ去ったのに、なお何事をか物思いして中庭に立った。見れば黄菊の残花
は色褪アせて凋んでおり、自分の頭は白髪だらけである。心の秋はいや増すことよ。
〈偶作〉 − 偶作グウサク
病追衰老到 病は衰老を追うて到り
愁趁謫所来 愁は謫所を趁オうて来る
此賊逃無処 此の賊逃るゝに処無し
観音念一廻 観音念ずること一廻クワイ
老いの重なって精気衰えるに連れて、病はいよいよ重なり、愁いは依然去りもやらぬ。
病と愁いと − この二者から逃れる術もないので、大慈大悲の観音様を念ずるのであ
ると。
謫居一年目には長詩が多く、なお精気の程も窺われたが、この半歳、衰弱の加わった
ことは、詩の長短だけでも知られる。
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