121 菅家後草〈秋夜〉
 
                  参考:太宰府天満宮学業講社発行「菅家後草」
 
〈秋夜〉     −  秋夜
床頭展転夜深更     床頭ショウトウに展転して夜深更
背壁微燈夢不成     壁に背く微燈夢成らず
早雁寒蛬聞一種     早雁サウガン寒蛬カンキョウ、聞くこと一種
唯無童子読書声     唯童子読書の声無し
 
 床の上に寝返りのみして夜は更け行き、壁に映る淡き燈火の影揺るぎて、夢も結ばず。
聞こえるはまたしても夜明けの雁の音、淋しく鳴く蟋蟀キリギリスのみ。愛児の愛らしき読
書の声も聞こえずと云うのである。
 あまり慕うので、却えって不憫だと思ったが、連れて来た隅麿君は、筑紫に来ると、
淋しいとてむつかる、ひもじいとて泣く、公を泣かせることも屡々であったが、やがて
馴れると竹馬に乗って走り廻ったり、父の前に坐って書を習う程にもなった。公にとっ
ての生きる杖であった。その隅麿君が思いも掛けず先頃死なれた。落胆の余り、秋の夜
長を好きな読書に耽ることも出来ず、早くから床に入ったが、枕元の新しい御位牌の前
にゆらめく燈火アカシに、物思いしながら夜を明かしたものと見える。夜明け方となって
も若君の稚く可愛い読書の声も聞こえず、床から起き出るお元気もなかったであろう。
 
 
〈官舎幽趣〉   −  官舎の幽趣ユウシュ
郭中不得避喧譁     郭中は喧譁ケンカを避くることを得ず
遇境幽間自足誇     境幽間に遇ひて自ら誇るに足る
秋雨湿庭潮落地     秋雨庭を湿す、潮落つる地トコロ
暮煙榮(榮の木の代わりに糸)屋潤深家 暮煙屋に榮(榮の木の代わりに糸)マトふ、
            潤タニ深き家
此時傲吏思荘叟     此時傲吏ガウリ荘叟サウソウを思ひ
随処空王事釈迦     処に随っては空王クウワウ釈迦に事ツカふ
依病扶持莱旧杖     病に依って扶持す、莱アカザの旧き杖
忘愁吟詠菊残花     愁を忘れて吟詠す、菊の残れる花
食支月俸恩無極     食は月俸に支へられて恩極り無し
衣苦風寒分有涯     衣は風寒に苦しむも分ブン涯カギリ有り
忘却背身偏用意     是身を忘却して偏に意を用ふ
優於誼舎在長沙     誼が舎の長沙に在るに優れり
 
 六韻の七言古詩。
 郭マチ中は騒々しいけれど、自分の南館の辺ホトリは閑静なのて嬉しい。秋雨はしとしとと
配所の庭を潤して、近くの川のせせらぎの音も聞こえ、夕靄ユフモヤは配所の辺りから谷間
の家まで立ち篭めて、さながら絵の如く夢の如くに美しい。
 「潮落つる処」は、川や海に近い処を云う。配所の近くに思川・御笠川が流れていたの
で言うのである。
  − こんな幽玄な景に遭うなら、横柄ずくの役人でも暫し夢心地になるであろう、一
切皆空と説かれた仏も、五情の人間釈迦に膝を屈するであろう。
 「空王、釈迦に事ふ」。「空王」は仏の尊称、釈迦が諸行無常・万法皆空と説かれた故
に名付けた。従って食う王も釈迦も同人であるが、釈迦は人間釈迦、喜怒哀楽の五情を
持つ人間釈迦を指すのである。
 
  − 私は係る時は日頃の愁も打ち忘れて、莱の古杖に病の身を扶けられつゝ其処らを
逍遥したり、残菊の花を眺めて詩を賦したりするのである。流されの身とて食の乏しさ
は言うまでもないが、僅かながらも月俸を頂いているから餓死の懸念はない、衣類も乏
しく寒さに苦しんでいるとは云え、凍死の心配はない。これは全く広大な皇室の御恩恵
だから、分に過ぎた境遇に感謝し、一身の苦悩の如きは意に介せず、ひたすら御恩恵に
背くことのないよう念ずるのである。かの長沙に流された賈誼は、「長沙は卑湿なれば、
寿長きを得じ」と歎じた位、傷ましい住居であったのに比べると、私の今の生活などは
優ること万々で、有り難いことである。
 この詩になると、半歳前の悶々の情は殆ど影を潜め、激越な口調もなく、淡々たる調
子の中に感懐を吐露し、自然の興趣に浸る余裕と、しみじみ皇恩に感謝する誠心が測々
として滲み出ている。
 
 
〈秋晩題白菊〉  −  秋の晩クレに白菊に題す
涼秋月尽早霜初     涼秋の月尽き早や霜初む
白菊残花雪不如     白菊の残花雪も如かず
老眼愁看何妄想     老眼愁へ看る何の妄想ぞ
王弘酒使便留居     王弘ワウカウが酒の使ならば、便スナハち留めて居らしめん
 
 秋の夕暮れ、公は静かに庭前の白菊を眺めていた。
 この菊は寡婦と山僧から分けて貰った菊である。別に趣味に植えたのではなく、信心
する観音様にお供えしようとして植えたのであった。しかし手入れして育てた菊が咲い
てみると、菊花の風情は公の心を捉えた。陶淵明もこよなく愛したのも頷ウナズかれる。
  − 爽やかな秋の季節は過ぎ、早や霜の降りる頃になったが、白菊は未だ枯れもせず、
雪よりも白く夕暮れの庭に浮かび出て見える。
 じっと眺め入っておられた公は、菊に惹き付けられながらも、これを賞する自分の心
がどこか浮き立っていない、真底シンソコにはやるせない吐息が巣喰っているのに気付く。
陶淵明は心底から楽しめたのに、何故自分はそうなれぬのだろう。矢張り配流の憂いが
身の凝シコりになって拭い取られていないからだと考えざるを得ない。淵明は酒を好んだ、
自分は飲めない。せめて酒でも飲んだら、憂いを忘れもっと菊の美に酔うことが出来な
いだろうか。
 
 公は、南史穏逸伝の一節を思い出した。「陶潜、彭沢の令と為る。印綬を解きて職を
去り、帰去来の辞を賦し、以て其の志を表はす。九月九日、酒無し。宅辺に出でて菊の
叢中に坐す。之を久しうして王弘の酒を送りて至るに逢ふ。即ち就きて酌み、酔うて後
帰る。」その王弘も気に入る男であった。「少うして学を好み、清悟にして礼儀正し。
宋に仕へて社稷を安んずるの功あり」と読んだことがある。
 今、夕闇の中から、白衣の男が近付いて来る − 階下に蹲ウズクマる − 「道真様、私は
王弘様よりの使の者で御座います。このお酒を差し上げて来いとの御命令で、持参致し
ました」
 こんな妄想をしてみる。それが本当であったらどんなに嬉しいだろうと思う。酒は好
むところではないが、そんな酒なら飲めそうな気がする。その使者をも留めて一緒に飲
もうものに、と言うのである。
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