114 菅家後草〈雪夜思家竹〉
 
                  参考:太宰府天満宮学業講社発行「菅家後草」
 
〈雪夜思家竹〉 −  雪夜、家竹を思ふ
自我忽遷去     我の忽ち遷去センキョせられしより
此君遠離別     此の君遠く離別す
西府与東籬     西府と東籬トウリと
関山消息絶     関山消息絶つ
非唯地乖限     唯に地の乖限クワンゲンせるのみに非ず
遭逢天惨烈     天の惨烈なるに遭ひ逢ふ
憫黙不能眠     憫黙ビンモクして眠ること能はず
紛々専夜雪     紛々たり、専夜の雪
近看白屋埋     近く白屋の埋もるゝを看
遥知碧鮮(竹冠+鮮)折 遥かに碧鮮(竹冠+鮮)ヘキセンの折るゝを知る
家僕早逃散     家僕は早く逃散す
凌寒誰掃撤     寒を凌ぎて誰か掃撤サウテツせん
抱直自低迷     直を抱きて自ら低迷し
含貞空破裂     貞を含みて空しく破裂す
長者好漁竿     長き者は魚竿ギョカンに好し
悔不早裁截     悔むらくは早く裁截サイセツせざりしことを
短者宜書簡     短き者は書簡に宜し
妬不先編列     妬むらくは先に編列せざりしことを
縦不得扶持     縦モし扶持することを得ずば
其奈後凋節     其の後に凋シボむ節フシを奈イカにせん
 
 十二律の五言古詩である。
 夜、眠れぬまま起きて見ると、一面の大雪である。何時の間にか大雪が降っていた。
 雪が積もると、自ずから思い出されるのは、かの京なる山陰亭の竹である。山陰亭は
今の菅大神天満宮の地で、小丘の西にあるところからこの名があった。公は文章生にな
った十八歳の頃から、住居を此処に移された。時の人は此処を龍門と呼んでいた。それ
は此処に菅家の書生の寄宿舎があって、名誉の進士が百人ばかりも出ていたからである。
山陰亭には、庭前に一株の梅があり、東の垣根に数竿の竹があった。花時には梅が馥郁
たる香を送り、風があれば竹が靡き障子に影が動く。このことは公の詩「書斎記」に詳
しいが、今思い出された竹は、この竹である。
 
 流されてからは、とんと竹の便りも聞かれなくなった。山陰亭の東籬と西の果とでは、
消息の分からぬのも無理はないが、はて気掛かりなことだ。
 いや土地が遠く距たってるがための不安だけではない。今夜はこの大雪なのだ。我が
物顔に降り頻る大雪なのだ。ひょっとすると、あの竹は地べたに仆れていはしないだろ
うか。これが心配なのだ。不憫なのだ。召使い達は逸早く逃散したので、この寒さを冒
して雪を払って呉れる者もあるまいし。
 哀れ、お前は真っ直ぐな性格なのに、仆れ伏して裂けているだるうか。
 長いのは釣竿にするによかった。こんなことなら、何故あの頃切って作らなかっただ
ろう。
 短いのは、書簡にするに打って付けであった。こんなことなら、何故早く切って綴じ
て置かなかっただろう。
 たゞお前を切ることの不憫さに、そのようにしなかったのが、今となっては残念であ
る。
 
 書に親しむと、釣を楽しむと − この二者を恣にすることが出来たら、私は大臣も大
将も要らぬ。それだけで生き甲斐があったと思うんだが、今となっては、どう愚痴って
も詮ないことと知るものの、甲斐なき涙が流れることである。
 京なる家竹よ。お前の雪を払って扶け起こして呉れる者が居なければ、やがてお前は
枯れ果てるだろうが、返す返す不憫なことよと、謫居狂雪の夜、愛竹に想いを馳せ、後
日凋む運命に同情された愛情深い詩である。
 そしてその竹は、直ちに公の運命でもあった。
 「直を抱きて自ら低迷し、貞を含みて空しく破裂す」の二句は、公が正直貞亮である
に拘わらず、奸者の重圧にひしがれている意を寓している。家竹に泣くのは、自己に泣
くことである。
 
 君子の楽しむ水に糸を垂れ、静かに書に親しむ、 − この悠々たる生活は、今流され
て初めて、あゝ、そこに逃避しておればよかったと感ずるものではなかった。公が右大
臣に任命されたとき、真剣に辞意を顔出たことは前に述べたとおりである。たゞ上皇様
天子様の御期待に背き得なかった。身の危険を感じつゝも、国に殉ぜられたのである。
詮ない悲劇である。
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