115 菅家後草〈聴鐘声〉
参考:太宰府天満宮学業講社発行「菅家後草」
〈聴鐘声〉 − 鐘声ショウセイを聴く
欲識槌風報五更 槌風ツイフウ五更を報ずるを識らん欲せば
三塗八難一時驚 三塗八難一時に驚く
太奇春夏秋冬尽 太ハナハだ奇アヤしむ春夏秋冬尽きて
為我終無抜苦声 我が為に終に抜苦の声無し
この七言絶句の題は、類聚本には「寺鐘を聴く」とある。
寺鐘を聴くのも見仏聞法の一つだから、三塗八難の難を免れると云う。その有り難い
鐘の音を、眠れぬまゝに、一年間も聴き続けて来たのに、未だに苦悩から抜け切らぬの
は何としたことであろうかと、深更シンコウ、近くの観世音寺・安楽寺・武蔵寺などの鐘の音
の鳴り渡るのを聴いて詠まれたものである。
二年や三年では簡単に忘れ切れぬ深い悩みに沈まれる公が、悟り切れぬ自分の業ゴウの
深さを反省されたのである。
「五更」は、夜間の時刻を五つに分けて、初更は八時、二更は十時、三更は十二時、
四更は二時、五更は四時である。
この詩には、類聚本には「二月十七日」の作と註を入れているが、前後の詩の配列か
ら考えると十二月十日前後の作と見るべきであろう。次の詩に拠れば十二月十九日に立
春になっているから、本詩に「春夏秋冬尽き」とあっても不思議ではなかろう。
なお、寛平元年公の讃岐守時代の作に次の詩がある。
草堂深く鎖す翠煙の松
抜苦の音声五更の鐘
遥に知る槌風夢を驚かすを
応に知る鮫と澗中の竜を感ぜしめしを
〈元年立春〉 − 元年の立春
天愍長寒万物凋 天は長く寒くして万物の凋シボまんことを愍れみ
晩冬催立早春朝 晩冬に催し立つ早春の朝
浅深何水氷猶結 浅深何れの水か氷猶ほ結べる
高卑無山雪不消 高卑山の雪消えざるは無し
根抜樹応花思断 根の抜けた樹は応マサに花の思ひ断つべし
骨傷魚豈浪情揺 骨の傷める魚は豈に浪に情ココロ揺がさんや
偏憑延喜開新暦 偏へに延喜新暦を開くに憑ヨって
東北廻頭拝斗杓 東北に頭を廻らして斗杓を拝す
この七言律詩には「十二月十九日」の註があることによって、この日立春になったと
想像される。一月の初めに春が立つのが普通であるから、こんな例は稀である。
古今集にある、
年の内に春は来にけり一年ヒトトセを 去年コゾとや云はむ今年とや云はむ
の在原元方の歌は、或いは、この時に詠まれたものではなかろうか。この年は古今集成
立より四年前である。
天帝は長く寒気が続くと、万物が凋むことを不憫に思われてか、十二月十九日と云う
に早くも春を廻らして来た。
今まで張り詰めていた氷は、浅い河深い池の論なく融け去り、今まで山肌を覆ってい
た雪は、高い山低い山の区別なく皆消え去ってしまった。
根のない樹は花咲く望みも絶とう、骨の傷付いた魚は泳ごうとは思うまいけれど、一
陽来復して万物が喜色を浮かべ繁茂に向かうのは、全く延喜と云う新元号のお蔭である。
御稜威ミイズの畏カシコさよ。道真恭しく東北に向かい、遥かに皇居を拝み奉ると云うのであ
る。
自身は根の切れた樹、骨の傷付いた魚の境涯で、再び芽が出て世間を遊泳することも
ない身だが、ひたすらに聖徳を頌し奉る丹心の発露した詩である。
「東北に頭を廻らして斗杓を拝す」。北斗七星中、第一から第四までの星を魁と云い、
第五から第七までの星を杓と云う。鳥(日+区+鳥)冠子に「斗杓東を指して天下春を
知る」とあるが、更に礼記月令には、孟春(初春)は寅(東東北)に建ち、仲春は卯(
東)に建ち、季春は辰(東東南)に建つとある。茲は十二月の立春故、ほゞ東北に建つ
のである。たゞし茲では、空の北斗を拝すると共に、皇居を拝するの意である。
〈南館夜聞都府礼仏懺悔〉 − 南館にして夜都府の礼仏懺悔ライブツザンゲを聞く
人慚地獄幽冥理 人は慚ハづ地獄幽冥の理
我泣天涯放逐辜 我は泣く天涯放逐の辜ツミ
仏号遥聞知不得 仏号遥かに聞くも知ることは得ず
発心北向只南無 心を発し北に向って只南無
南館から、夜都府楼の礼仏懺悔を聞いて詠まれた七言絶句。
「礼仏懺悔」とは、仏を礼拝し、自分の犯した罪の赦しを乞う、仏教道徳実践上の大
切な行事である。略して「礼懺」とも云う。官庁でこの行事をやるのは、神道の大祓
オオハライと同じような意味である。
人々は死後地獄に堕ちることを怖れて、あれあの通り罪業消滅の懺悔をしているが、
私はそれより差し迫った問題として、この辺地に配流せられている身の不幸に泣くので
ある。
仏の名号を唱えるらしい声が聞こえるけれど、遠いので何を唱えているのか聞き取れ
ない。私も都府の方に向かって南無と唱えた。
南館から都府までは六七丁あるから、聞こえるにしても響動ドヨメキ位であっただろう。
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