113 菅家後草〈白微霰〉
 
                  参考:太宰府天満宮学業講社発行「菅家後草」
 
〈白微霰〉    −  白微霰
如砕如黏取貌難     砕くるが如く黏デンするが如くにして貌を取ること難し
被風吹結雪相搏     風に吹き結ばれて、雪相搏ウつ
鹿(鹿冠+章)牙米簸声々脆 鹿(鹿冠+章)牙シャウガの米簸ハして、声々脆モロく
竜頷珠投顆々寒     竜頷リョウガンの珠投じて、顆々クワクワ寒し
念仏山僧驚舎利     念仏の山僧は舎利シャリかと驚き
名医道士怪鉛丸     名医の道士は鉛丸エングワンかと怪しむ
袖中取拾慇懃見     袖中シウチュウに取り拾ひて慇懃インギンに見る
応是為氷涙未乾     応マサに是れ氷と為って涙の未だ乾かざるなるべし
 
 風に吹かれ、弾き合いながら、音発てて跳ね返る霰を、そっと掴もうとすると、形が
崩れたり、指に粘り付いたり、全マタい姿を捉えられない。
 パラパラと、脆い音を発て、飛び跳ねる様は、白米が箕ミから振り落とされる様に似て
いる。寒々と光っている様は、竜の頷アゴにあると云う千金の珠を無数に投げ散らしたよ
うである。
 「鹿(鹿冠+章)牙の米」とは、クシカ(ノロ)の牙は白米に似ているところから云
う。
 「竜頷の珠」は、荘子にある、竜の頷にあると云う千金の珠のこと。
  − もし念仏の山僧が見たら、舎利かなと思ってびっくりするだろう、名医の道士が
見たら、鉛丸かしらと怪しむだろう。
 「舎利」は梵語で、仏骨のこと。仏燈録に、「世尊沙羅双樹の下に寂せられし後、弟
子香薪を以て荼毘ダビに附せしに、舎利八斛コク四斗を得たり」とある。
 「名医の道士は鉛丸かと怪しむ」。道家に鉛を煉って丹を作る説がある。鉛丸は今の
仁丹宝丹のように、白色の丸い小粒である。
 
  − あまりの美しさ、愛イトしさに、公は霰を拾う動作を止めることが出来なかった。
やっとのことで袖に拾い上げた。一粒の霰が珠玉のように美しく光って見える。公は何
時までも見飽かなかった。見ている中にその霰は粒が小さくなり、やがて消え失せた。
そしてその後に、涙が一滴こぼれた程に袖が濡れていた。公にはそれが、涙が濡らした
痕か、霰か溶けて濡らした痕か、定かにせぬ程の不思議な錯覚を覚えた。
 霰よ、お前は何時も私が流す涙の変形ではあるまいか、私の袖を濡らすよと言うので
ある。
 童心に帰って霰と遊びごっこをしていた公であったが、矢張り現在の境遇に結び付け
ずにはおらけぬ。見るにつけ、聞くにつけ涙の種である。
 公に次の和歌がある。
 
 天の下かはける程のなければや きてし濡衣ひるよしもなき(大鏡・拾遺集)
 草葉には玉と見えつゝわび人の 袖のなみだの秋の白露(新古今集)
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