112 菅家後草〈読家書〉
 
                  参考:太宰府天満宮学業講社発行「菅家後草」
 
〈読家書〉    −   家書を読む
消息寂寥三月余     消息寂寥セキリョウたり、三月余
便風吹着一封書     便風ベンプウ吹き着く、一封の書
西門樹被人移去     西門の樹は人に移し去られ
北地園教客寄居     北地の園は客をして寄居せしむ
紙裏生薑称薬種     紙に生薑セイキョウを裏ツツんで薬種と称し
竹篭昆布記斎儲     竹に昆布を篭めて斎儲サイチョと記す
不言妻子飢寒苦     妻子飢寒の苦しみを言はず
為是還愁懊悩余     是が為め、還カヘって愁ひ余を懊悩せしむ
 
 明け暮れ待ち焦がれていた家郷からの便りが、三月振りにやっと届いた。取る手も遅
しと披いて見れば、「西門の樹は人が掘って運び去りました。北の園は、他人様に借し
てあります」と書いてある。あゝ主人なき後は斯くも軽んぜられ、落ちぶれるものか。
 小包を解くと、「薬種」と書いた紙包みがある。開けて見ると生薑が転がり出た。ま
た「斎儲」と書いた竹筒がある。取り出すと昆布が出て来た。
 「斎儲」は食事用の意。
 これをご覧になって公の心は痛むのである。(本書籍を著した年から)千五十年前の
事とは言いながら、生薑に昆布とは、余りにもお粗末な贈り物である。窮迫している妻
子の生活が、まざまざと目に浮かぶのである。今まで一度でもこんな惨めな暮らしをさ
せたことがあろうか、労イタワしやと泣かれるのである。
 然も、手紙の文面には、何処を見ても、生活の苦しさは訴えていない。言ったとてた
ゞ苦しめるだけだからとの、労りの心からであろうが、公にとっては、事実を知るより
も、知らされずにあれこれ想像する方が深刻な苦しみである。
 
 公の京師にあるや、身は右大臣右近衛大将を兼ねて天下の仰ぎ見るところ、然も徳望
は一世に高く、門弟数百朝野に満ち諸司に半ばする有様とて、その門前は恒に市をなし
ていたに違いない。今配流せらるゝや、藤氏の目を怖れて顧る者もなく、冷酷な人情に
あった。一読嗚咽なきを得ない。
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