109 菅家後草〈秋夜〉
 
                  参考:太宰府天満宮学業講社発行「菅家後草」
 
〈秋夜〉     −   秋夜
黄萎顔色白霜頭     黄萎カウスイの顔色、白霜ハクサウの頭
況復千余里外投     況イハんや復マタ千余里外に投ぜらるゝをや
昔被栄華簪組縛     昔は栄華エイグワ簪組シンソに縛バクせ被ラれ
今為貶謫草莱囚     今は貶謫ヘンタク草莱サウライの囚シュウと為る
月光似鏡無明罪     月光は鏡に似るも罪を明らむる無く
風気如刀不破愁     風気は刀の如くにして愁を破らず
随見随聞皆惨慄     見るに随ひ聞くに随って皆惨慄サンリツ
此秋独作我身秋     此の秋は独り我身の秋と作ナる
 
 類聚本に九月十五日と註があるに拠れば、季秋の満月 − 後ノチの月の後アト二日の満月
の夜である。
 子供の寝付いた後で、公は静かに廂ヒサシの間に出て光の中に佇んだ。
 月は、宝満山と四王寺山との中空に懸かっている。ぞっとする程冴えた月である。雲
一つ無い。
 都府楼の瓦も観音寺の塔も、昼間より近々と光って見える。脚下の草むらで、蟋蟀
コオロギが鳴いている。
 風が流れた。虫が一時に集スダいた。この冷たさなのに、この老体なのに、公は未だ単
衣ヒトエの直衣ナホシの、よれよれを着ておられる。奴袴サシヌキの裾は、夜目にも汚れが目立っ
て、綻ホコロびさえある。
 三五夜中新月の色、二千里外故人の心 − 自ずから山の彼方なる京が偲ばれる。
 
 宵の間は都の空にすみぬらん こゝろつくしの有明の月
 
 初めて博多に上陸した時、折しも有明を眺めて、このように詠じたことがある。あれ
は春の有明の月、これは晩秋の満月だが、月を見て都を懐かしむ心は変わらない。
 突然、公は月光の陰に隠れた。垣根の外を声高に話して行く二人の男がある。
 「おや、この家から燈火アカリが洩れているが、この頃誰か住んでいるのか」
 「知らないのか、今名高の大泥棒よ」
 「と言うと」
 「道真せ。菅原の道真と云う、天下を狙う大泥棒さ。様見ろと言うんだい。前は右大
臣様だか右近衛大将様だか知らないが、今では毎日検非違使の役人に見張られて、手も
足も出ないでいるのさ」
 光の陰でじっと聞いておられた公は、やがて内に入って鏡に向かわれた。息を詰める
ようにして面影に見入っていたが、長い溜息と共に鏡を伏せられた。
 
 萎シナびた顔、薄らいだ白髪の髭の毛 − 労苦に流謫の苦しみさえ重なっていれば無理
もないが、老い衰えた我が姿ではある。昔は栄華の身で玉簪ギョクシンと組綬ソジュとに纏わ
れていた我が身が、今は草深いこの片田舎で浅ましいこの形ナリ振り。
 あの月は、明るいことは鏡にも似ているが、私の無実までは明らめて下さらぬ。今宵
の風は身を刺すように鋭いけれど、私の憂さまでは突き破っては呉れぬ。
 見るにつけ、聞くにつけ、私の心はたゞ痛み懼れる。この秋は私一人の秋であろうか、
万人の悩みを一人で背負っているような、辛い想いをすることだ。
 句々悲惨、字々悽愴、卒読ソツドクに堪えぬものがある。
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