107 菅家後草〈慰小男女詩〉
 
                  参考:太宰府天満宮学業講社発行「菅家後草」
 
〈慰小男女詩〉 −  小男女を慰むるの詩
衆姉惣家留     衆姉シュウシは惣て家に留り
諸兄多謫去     諸兄は多く謫せられ去る
小男与小女     小男と小女と
相随得相語     相随へて相語るを得たり
昼食(冫扁+食)常在前 昼食(冫扁+食)チウサンには常に前に在り
夜宿亦同処     夜宿ヤシュクにも亦処を同じうす
臨暗有燈燭     暗に臨むに燈燭トウショク有り
当寒有綿絮     寒に当るに綿絮メンジョ有り
往年見窮子     往年に窮子を見しに
京中迷失拠     京中に迷ひて拠ヨリドコロを失ふ
裸身博奕者     裸身ラシンにして博奕バクエキする者
道路呼南助     道路南助ナンスケと呼ぶ
徒跣弾琴者     徒跣トセンにして弾琴する者
閭巷称弁御     閭巷リョコウ弁御ベンゴと称す
其父共公卿     其父は共に公卿
当時幾驕倨     当時幾イクバくか驕倨キョウリョせる
昔金如沙土     昔は金も沙土の如く
今飯無厭飫     今は飯も厭飫エンヨする無し
思量汝於彼     思量すれば、汝の彼に於ける
被天甚寛恕     天を被カウムること甚だ寛恕なり
 
 五言の古詩である。
 大鏡に拠れば、「この大臣オトド(道真)の子どもあまたおはせしに、女君たちは婿取
りし、男君たちは、皆ほどほどにつけて位どもおはせしを、それも皆方々に流されてか
なしきに、幼くおはしける男君女君だち、慕ひ泣きておはしければ、小さきはあへなむ
と、おほやけも許さしめ給ひしかば、共に率イて下り給ひしぞかし」とあるように、公は
西下の折、幼い子供さんを連れて来られたらしい。伝説では少男少女の二人で、少男は
隅若クマワカ又は隅麿クママロと呼び、少女は紅姫ベニヒメと呼んだと云う。隅若の墓と称するもの
が、今榎寺の東方数丁の片野部落にある。とにかく、男女それぞれ一人以上を連れて来
られただろうことは、信じられる。
 
 そのお子さん達は親父っ子で、お父さんを慕って付いて来たけれど、西府の生活は幼
い者にとって楽しい所ではなかった。たまさかに、京都から付いて来た門弟の味酒安行
や忠僕の白太夫に連れられて門外に出ても、人目を偲ぶ境涯である。乳母も居ない男世
帯だし、料理も不味マズければ、着物もきちんとして貰えぬ、面白い遊び道具も無い。賑
やかで楽しかった京都の生活を偲んでむつかる。大人達は泣き出したくなる。どうする
術スベもない公としては、この詩のようなことを話して聞かせて我慢させるより外に、方
法を知らなかったであろう。
 
 お姉さん達は京のお家で淋しくお留守していなさる。お兄さん達は、それ高視タカミ兄さ
んは土佐に、景行兄さんは越後に、兼茂兄さんは遠江に、淳茂兄さんは播磨に − 方々
に独りぼっちで流されていなさる。
 それに比べると、隅若よ、紅姫よ、そなた達二人だけは、こうしてお父さんと一緒で
お話が出来る。ね、結構だろう。御飯を頂くのも一緒、夜休むのも一緒、何も彼もお父
さんと一緒。ね、いゝだろう。暗くなれば燈火アカリは灯もせるし、寒いと言えば綿入れも
着せて貰える。ね、結構だろう。贅沢言ったり、駄々を捏ねたりしてはいけませんよ。
 
 そうそう、昔お父さんはね、酷ヒドく生活に困っていた人を見たことがある。その人達
は、あの広い京の中に、寝る家も無い浮浪者ルンペンなんだがね。
 その男だって、生まれたときから放浪者じゃない。放浪者どころか、元は南淵ミナブチ大
納言の若様で育った方なんで、自分も内蔵助クラノスケまで勤めた方なんだが、身を持ち崩し
て、家は無くする、役所はしくじる。揚げ句の果てが博打バクチ打ちの群に入った。それ
も下手な博打打ちと見えて、何時も素っ裸で、街を震えて歩いていたっけ。町の人はこ
の人に面白い名を付けて呼んでいたよ。南助ナンスケだってさ。南淵内蔵助の南助だね。
 
 それから女の浮浪者ルンペンも見たことがある。その女はね、あられもない、真黒い素跣
足スハダシでね、琴を抱えて歩き廻っていた。人が群れている所に行くと、琴を下して弾い
て、人からお金や物をねだるんだね。浅ましいだろう。その女のことを弁御ベンゴと呼ぶ
ので、何故かと思って訊いてみると、何でもその女のお父さんは藤相公で、この方は弁
官を兼ねていたので、弁官のお姫様だから弁御と云ふ訳だね。身分の高い女のことを御
ゴと言うんだよ。女御ニョウゴと云ふ言葉を知っているだろう。
 
 さあ、この二人のお父さんは、一人は大納言で一人は参議、どちらもお公卿さんなん
だから、お父さんの生きていらっしゃる頃は、どんなに威張っていただろうね。金なん
てものは砂か土くれ位にしか思ってなかったろうが、今では、ご飯さえ碌々食べられな
い。元は良かったからって、こんな惨ミジめになる人だって、世間にはざらにあるのだ
よ。
 
 ところがそなた達はどうだろう。
 隅君はこうしてお家もある、着物も温々ヌクヌクと着ている。南助のように裸で震えては
いないだろう。
 紅姫だって、弁御に比べると、矢張りお家もある、門付カドツケするような恥ずかしいこ
とせずとも済んでいる。
 ねえ、そなた達も、南助や弁御のような、惨めな浮浪者になっても致し方ないのに、
こうしてお父さんと一緒に居れて、仕合せに日を送れるのは、全く天子様が、ご寛大に
お許し下さったお蔭なんだよ。
 
 このように諭しながらも、この父のために、頑是ない愛し子にまで、予測しなかった
苦しみをさせると思えば、どんなに辛かっただろうと、同情なきを得ない。
 なお南淵大納言とは時代から考えて、南淵年名のことであろうか。公より三十年ばか
りの先輩である。
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