105 菅家後草〈聞雁〉
 
                  参考:太宰府天満宮学業講社発行「菅家後草」
 
〈聞雁〉     −  雁カリガネを聞く
我為遷客汝来賓     我は遷客センキャクたり汝は来賓ライヒンす
共是蕭々旅漂身     共に是れ蕭々セウセウたる旅漂リョヒョウの身
欹枕思量帰去日     枕を欹ソバダてて帰去カヘるの日を思量すれば
我知何歳汝明春     我は何イヅれの歳とか知らん、汝は明春
 
 類聚本には「旅雁を聞く」となっている。七言絶句。九月初め頃の作であろう。
 床に就いたが寝付かれない。物思いのためだけではない。急に冷え込む季節になった
のに、寝具が薄いのだ。
 冴えた月の光が、幾筋か寝所に差し込んで来る。隙間風が肩に冷たい。京から付き従
うて来た忠僕太夫も、未だ寝付きかねているのか、忍びやかに咳をしている。
 折しも微かに啼き声を聞いた。オヤ、公は真偽を確かめるように、次の啼き声を待っ
た。今度は続け様に二声三声聞こえた。それは公の奥底に染み込むような響きであった。
「矢張り雁だった。冷えると思ったら、もう雁の渡る頃になったのだな。」雁は啼きな
がら遠離って行く。「あの雁は北から飛んで北もの、私もそうだ。自ら欲して来たと、
欲せざるに流されたとの相違はあるけれど。お互いに寂しい流離サスライの身だね。」
 
 公は冷えも忘れ、枕をそばだてて、雁の行方を追うのだった。が、やがて、ある一事
に想到するに及んで愕然とした。自分の五体に刃ヤイバする残酷な発見であった。「あゝ、
あの雁は明春ともなれば、北なる古里に帰るのだ。帰って行くのだ。私は、私には、帰
れる見込みがあろうか。可哀想な道真、三千世界で一番不幸な道真。」 − 公は京の山
河を、妻子を、瞼に浮かべながら、さめざめと、衾シトネを濡されるのであった。
 後撰集巻二には、春になって、故郷へ帰って行く雁を詠じた公の歌が遺っている。
 
 雁がねの秋なくことはことわりぞ 帰る春さへなにか悲しき
 
 後の源氏物語には、須磨に謫居中の源氏に次の歌を詠ませている。
 
 ふるさとをいづれの春か行きて見む 羨ましきはかへるかりがね
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