102 菅家後草〈読楽天北窓三友詩〉
 
                  参考:太宰府天満宮学業講社発行「菅家後草」
 
〈読楽天北窓三友詩〉 − 楽天ラクテンが北窓ホクソウ三友サンイウの詩を読む
 
(一)
白氏洛中集十巻     白氏ハクシが洛中集ラクチウシウ十巻
中有北窓三友詩     中に北窓ホクソウ三友の詩有り
一友弾琴一友酒     一友は弾琴ダンキン、一友は酒
酒与弾琴吾不知     酒と弾琴とは吾知らず
吾雖不知能得意     吾知らずと雖イヘドも能ヨく意を得たり
既云得意無所疑     既に意を得たりと云へば疑ふ所無し
酒何以成麹和水     酒何を以てか成れる、麹コウジ水に和クワす
琴何以成桐播糸     琴何を以てか成れる、桐に糸を播ハす
不須一曲煩用手     須モチひず一曲煩ワヅらはしく手を用ふることを
何必十分便開眉     何ぞ必ずしも十分に便スナハち眉を開かん
雖然二者交情浅     然りと雖も二者は交情浅し
好去今我苦拝辞     好し去れ、今我苦ネンゴろに拝辞ハイジせん
 
 この七言古詩は、二十八韻五十六句の長詩なので、便宜五段に分けて解説する。
 「楽天が北窓三友の詩を読む」。楽天は姓は白、名は居易、楽天はその字アザナ。酒を
好んで酔吟先生と号し、また別に香山居士とも号した。いわゆる天和の進士で、唐(中
国)の憲宗・穆宗・文宗・武宗に歴事し、累進して刑部尚書で致仕し、会昌六年(846)七
十五歳で没した。「君に一杯を勧む。君辞するなかれ。君に両杯を勧む、君疑ふことな
かれ。君に三杯を勧む、君初めて知らん。面上今日昨日より老ゆるを。」また「身後金
をうづたかくして北斗を支ふるも、如かず、生前一杯の酒。」などの詩に見るように酒
を好んだが、特に晩年は酒と詩以外に意なく、彼が没して龍門山に葬るや、詣ずる者は
必ず酒を墓前に供えたために、墓前方丈の土は常に泥濘ヌカルミになっていたと云われる。
 
 同じく元和の進士であった元槙(禾扁の槙)(字は微之)と交情殊に濃やかで、二人
の酬和の詩は千篇にも上ると云う。時の人は二人を元白と呼び、その一派の詩を元和体
と称したが、その詩風は平易にして流麗、温柔にして敦厚であった。彼の詩を集めた白
氏文集ハクシモンジュウは、我が平安朝時代の貴族の間にあまねく愛誦せられ、我が文学に影響
するところが少なくなかった。人口に膾炙するものに琵琶行・長恨歌・行路難などがある。
 彼はあらゆるものに風流心を誘われ、自然と人生の両道にかけて四千に近い詩を作っ
たが、それらの詩は節フシを付けられて民衆の歌謡となり、僧侶も官吏も軍人も芸者も子
女も、あらゆる階層に亘って愛唱されたので、支那第一の民衆詩人と断じて宜しかろう。
 
 さて我が菅公は、既に生前中、この中唐の詩聖白楽天の化身、或いは再来として仰が
れていた。白氏の没する前年、即ち八四五年に公が生まれたと云う暗合もあるが、その
詩風が白氏の元和体に近かったのが、大きな理由である。
 公が三十九歳の時のことである。渤海ボッカイ入覲使ニュウキンシ裴頁(之繞+舌+頁)ハイライの
来朝するや、公は臨時に治部大輔となり大使一行を接待して、鴻臚館コウロカンで詩文の交換
をしたことがある。この時大使は、
 
 道真の詩は白楽天に似る
 
と嘆称して惜しまなかったことがある。
 また五十六歳の時、家集二十八巻を献上した。そのうち六巻は祖父清公キヨトモ公の詩文
集で菅家集と呼び、十巻は父是善コレヨシ公の詩文集で菅相公集と呼び、残りの十二巻が公
自身の詩文集で菅家文草とも菅家文集とも呼ばれるものである。この家集を御覧遊ばさ
れた醍醐天皇は、一方ならず御感じ遊ばされ、次の御製を賜った。
 
  昌泰三年右丞相の家集を献ずるを見て、
 門風モンプウは古より是れ儒林ジュリン
 今日文華みなことごとく金
 たゞ一聯イチレンを詠じて気味キミを知る
 況イハんや三代を連ねて清吟セイギンに飽くをや
 寒玉カンギョクを琢磨タクマして声々麗はし
 余霞ヨカを裁制サイセイして句々侵シンす
 更に菅家の白様ハクヨウに勝れるあり
 茲コレより抛却テキキャクして匣塵カフジン深し
 
 そして終わりの二句の御自註に「平年愛する所の白氏文集七十巻これなり。今、菅家
を以って、また帙チツを開かず」とあって、今までは白氏文集七十巻を愛読したいが、菅
家の家集を手にしてからは、白氏の文集は徒イタズラに箱の中に蔵め込んだまゝで、塵の積
もるに任せているとの、いたく賞めなさったお言葉であるが、矢張り公の詩が楽天に似
ているとの当時の定評を御存じあっての御製と拝察する。因みに、御自註の「白氏文集
七十巻」は、親友元槙(禾扁の槙)が編んだ「白氏長慶集」のことであろう。後二十年、
白氏が没する前年に自身の手で選んだ「白氏文集」は七十五巻から成っている。
 
 公は愛読する白氏文集を、この筑紫に携えて来られた。語る者もない淋しさに、この
畏友と談ずることが屡々であった。ある時、「北窓三友の詩」を読んだ。
 
 今日北窓の下モト
 自ミヅカら問ふ、何の為す所ぞ
 欣然三友を得たり
 三友とは誰とか為す
 琴罷ヤめば輒スナハち酒を挙げ
 酒罷めば輒ち詩を吟ず
 三友逓タガひに相引き
 循環して已ヤむ時なし
 一弾イチダン、中心にカナ[叶]ひ
 一詠、四肢シシを暢ノぶ
 猶ほ中に間カンあるを恐れ
 酒を以て之を弥縫ビボウす
 
 この一節を読むに及び、白氏の境涯を羨ましいとは思いながら、そうもならぬ境遇を
詠まれたのが、この詩である。
 
 この部分を通訳すると − 、
 白氏の洛中集十巻中に、「北窓三友の詩」の五言古詩がある。彼の三友とは、琴と酒
と他は申すまでもなく詩のことであるが、自分はその中の酒と琴との趣は解しない。し
かし畏友白氏の、この上ない友として親しんだ気持は理解されるから、白氏にはさぞや
好伴侶だったろうと察せられる。
 一体酒は何から製したかと云えば、麹が水に混ぜ合っただけのもの、琴はと云えば、
桐の材に糸を張っただけのもので、弾くにしても煩わしい技巧を要するものではない。
こんな単純なもので、どうして私の心が容易に楽しもうか。私がこう言うのは門外漢の
こと故、当たるまいけれど、とにかく、酒と琴とは馴染も浅いので、畏敬する白氏の親
友だけれど、懇ろに謝絶しようと思うと、冒頭において、酒と琴とは友としないと断じ
ている。
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