19 お札・お守り・人形
 
            お札フダ・お守り・人形ヒトガタ
 
                     参考:大法輪閣発行三橋健氏編「神道」
 
 ▼お札
 各家々では、祖霊を祀る御霊舎ミタマヤなどとともに神棚も設けられ、神棚は一家の精神
的な支えとして、信仰生活の中心ともなっています。神棚には、伊勢神宮や鎮守社・氏
神社のお札、また崇敬する諸社のお札を祀っております。お札・神札には木札や紙札が
ありますが、これは神霊に代えて祀るもの、即ち(神の)御霊代ミタマシロなのです。オミカ
ゲ・ミカゲなどともいいます。
 伊勢神宮のお札は天照皇大御神の大御璽オオミシルシでして、一般に神宮大麻ジングウタイマとい
います。大麻はオオヌサといい、麻を祓ハラエの料に用いたのでこの名があります。祓をし
た徴シルシに麻を切って包んだのがこの原型であると言われています。神宮大麻は、鎌倉時
代から「お伊勢さんのお札」として全国に頒布されてきました。
 神棚に祀られたお札は、毎年新しくするのが普通でして、新しい年を迎えるに際して
切り替えたり、村々の祭りの折に新しいお札を戴いたり、また講宿などを組織している
ときは代参参詣して受けてきます。古いお札は、正月のトンド(左義長サギチョウ)に「お
焚タき上げ」といって焼却したり、氏神さんの境内の一隅に納めたり、御本社にお返した
りしまます。
 なお、お札は神棚のほか、柱や戸口に祀ったり、母屋のほか倉・納屋・畜舎などにも
祀られます。
 
 ▼お守り
 お守りは、人々に災いをもたらすものや、様々な災難から身を護り、また身に着け携
帯していれば幸運を招くと信じられているものでして、守り札・護符・呪符などとも言
います。
 お守りは、振り罹る災厄から身を守る予防的な役割と、災難に遭ったときにその原因
を除去する積極的な役割とがあります。神社において頒布しておりますお守りは、社名
・神名、また祈祷文を記した紙・木・金属製のものなどがあります。
 お守りの目的も、家内安全・商売繁盛・開運・安産・交通安全・合格祈願、また厄除
け・疫病除け・水難除け・虫封じ等々、祈願の内容によって多彩です。
 神職は、これらのお守りをお祓いし、神前に供えて祈願してから授与します。それ故,
お守りには神霊が宿っており、神の霊威を分け頂くことにより、その恩恵に与って身を
守っていただくのです。
 お守りは普通、お守り袋に入れて身に着けますが、直接肌に着けたり、着物や下着に
縫い付けたり、懸守カケマモリと称して紐で肩あるいは首に懸ける形のものもあります。ま
た、竹の筒に入れて両端に蓋をし紐を付けたものもあり、これを筒守ツツマモリと称し、外出
するときに傘などに結び付けたりします。
 古くは、神社などにおいて授与するお守りはほかに、石・貝殻・動物の骨や歯・小枝
・木の葉、ときには貨幣や鏡なども、身に着けたり、身辺に置くことによってお守りと
していました。これらのものは神秘的な力を宿しているものとされ、目に見えない災い
から身を守ってくれる呪物として信じられていたのでした。
 また幼児の一つ身の着物の背縫いの部分に、色糸にて麻の葉や松葉・井筒・篭目など
の模様を飾り縫いして、魔除けのお守りとする風習もみられますが、これを背守セマモリと
言います。背守は糸飾りだけでなく、小豆3粒を三角袋に入れて縫い付けたり、三角の
赤い袋を付けたりもしました。守犬・土人形・守雛など本来はお守り・呪具でしたが、
縁起物の玩具として売られている例も少なくありません。
 
 ▼人形
 祓ハラエをするときに、人の身代わりとして用いられるものに人形ヒトガタ・形代カタシロがあ
ります。人々が受けた穢ケガれや病魔などの災いを、この人形に負わせて川や海に流すの
です。人形で体を撫で廻したり、人形に息を吹き掛けたりして流すこともあります。人
形は普通、紙や木片で作りますが、茅萱チガヤで作る例もあります。
 以前は疱瘡に罹りますと、桟俵サンダワラに人形を乗せて赤い旗を立て、饅頭や赤飯など
を添えて川へ流したり、三方の辻に捨て置いたりする風習も各地にみられ、これを疱瘡
神送り・疱瘡流しなどと言いました。
 三月節供の雛人形の例では、流し雛の習俗がみられますが、流し雛は元々は祓に使用
した人形であったろうと言われています。古くは、この雛人形に身の穢れを移して流し
去ろうとした呪具としての性格が強かったのでしたが、次第に華やかで立派な雛人形が
工夫されて作り出され、玩具として飾り立て、そして保存されるようになったのです。
 五月節供の人形は、人の身代わりとしての人形ではなく、神を招き祀るための、神が
依りますもの、即ち招代オギシロに始まったものと言われています。
 三月のお雛さまは穢れを負わせて流す人形として、五月人形は祭り後の神送りするた
めに流すという、川や海に「流す」という行為が同じであるため、何時しか混同されて
しまうこともあります。

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