15 神社の年中祭事
 
               神社の年中祭事
 
                     参考:大法輪閣発行三橋健氏編「神道」
 
 ▼大祭・中祭・小祭
 それぞれの神社においては、長い歴史を経て、毎年様々な祭祀や行事を執り行ってい
ますが、通常、標準的なの祭祀は、神社本庁の「神社祭祀規程」により、大祭タイサイ・中
祭チュウサイ・小祭ショウサイに区分されて行われています。
 大祭は、毎年行われます例祭レイサイ、祈年祭キネンサイ、新嘗祭ニイナメサイのほか、式年祭シキネン
サイ、鎮座祭チンザサイ、遷座祭センザサイ、合祀祭ゴウシサイ、分祀祭ブンシサイや、その神社及び祭神
に由緒のある祭祀などで大祭に準ずる祭が含まれます。
 中祭は、歳旦祭サイタンサイ、元始祭ゲンシサイ、紀元祭キゲンサイのほか、神嘗祭カンナメサイ当日祭、
明治祭、天長祭テンチョウサイと、これに準ずる祭祀、また各神社及び祭神に関係があって中祭
に準ずる祭祀をいいます。
 小祭は、前記以外の祭祀をいいます。
 因みに「神祇令ジンギリョウ」に拠りますと、大祀は1ケ月の斎日サイジツ (祭祀を執り行
う者が心身を清浄に保つことを斎戒サイカイといい、斎戒の期間を斎日という)を要し、中
祀は斎日3日、小祀は斎日1日と定めていました。
 
 ▼例祭
 各神社において、最も重要な祭祀は例祭です。例祭はこれを尊称して、例大祭レイタイサイ
とか、大祭り、御祭オンマツりなどとも呼ばれます。例祭は、その神社において行われる年
に一度のお祭りでして、併せて、その神社が創建されたことを祝福するお祭りでもあり
ます。
 例祭には、神社本庁から献幣使ケンペイシが参向して、本庁幣ホンチョウヘイを奉ります。これは
戦前における幣帛共進制度の伝統を継承しているものです。
 一般的な例祭においては、神輿モコシの渡御トギョが行われたり、神楽殿カグラデンではいろ
いろな神事芸能の奉納があります。日頃は静かな鎮守の森から笛や太鼓の音が聞こえ、
境内には多くの露天が立ち並んで賑わい、殆どの氏子は仕事を休み、真心からお祭りに
参加しています。
 
 ▼祈年祭
 祈年祭は、「としごいのまつり」とか「春祭り」とも言います。祈年祭は以前は毎年
二月四日に行われていましたが、現在は二月十七日に執り行われています。
 「日本書紀」崇神スジン天皇六十二年七月二日の詔に、「農ナリハヒは天下アメノシタの大きなる
本モトなり。民オホミタカラの恃タノみて生くる所なり」とみえます。「農」を「なりはひ」とい
うのは、五穀の成熟を意味する「成り」を語源としていること、つまり農業に従事する
ことを意味していたのです。古代社会においては農業が「なりはひ」の大本オオモトであり
ました。現在の祈年祭においては、五穀豊穣は勿論、あらゆる人々の生業の発展、国家
と国民の安泰や繁栄をも祈願しております。
 
 ▼新嘗祭
 新嘗祭は、「しんじょうさい」とか「にいなめのまつり」、又は「秋祭り」とも言い
ます。即ち未だ誰も手に触れていない新穀を神に供え、また自分等も食べ、その年の収
穫に感謝を捧げる祭儀です。新嘗祭は以前は毎年十一月下卯日(三卯の年は中卯日)で
したが、今日では十一月二十三日に執り行われています。このお祭りは、日本の祭祀の
中において最も重要な大嘗祭と関係の深い祭りです。
 
 ▼歳旦祭
 一名元旦祭とも言います。元旦は年・月・日の三つの元ハジメの日です。祝詞には、「
新しき年の、新しき月の、新しき日の、今日の朝日の豊栄登トヨサカノボリに御賀ミホギの寿詞
ヨゴト仕ツカエ奉る」とみえます。年の初めにあたり、新年を寿コトホキぎ、皇室の弥栄イヤサカと氏
子・崇敬者の安寧と繁栄を祈るお祭りです。
 
 ▼元始祭
 このお祭りは一月三日に執り行われます。「日本書紀」の神話に拠りますと、天照大
御神の御孫ミマ瓊瓊杵尊ニニギノミコトが、葦原中国アシハラノナカツクニを統治するために高天原から日
向ヒュウガ国(宮崎県)高千穂峰に天降り、その際、大神は皇孫に対し日本国は天皇家が支
配すべきこと、その繁栄は永遠であることをお教えになりました。これを天壌無窮の神
勅シンチョクといいますが、その精神を寿ぎ、併せて国運隆盛を祈願する祭祀です。
 
 ▼紀元祭
 二月十一日は以前は紀元節と呼ばれていましたが、現在は建国記念の日として祝い、
各神社において紀元祭が執り行われます。
 「日本書紀」に拠りますと、辛酉カノトトリの年の正月朔日ツイタチに、神武天皇は大和の橿原
宮カシワラノミヤにおいて即位され、この即位を西暦紀元前660年の辛酉の年とし、これを基に
して紀年が建てられています。紀元祭はこのことを祝い、日本民族であることの自覚を
深め、この国を愛する心を新たにするお祭りです。
 
 ▼大祓神事
 大祓神事は、大祓式とか大祓といい、六月と十二月の晦日ミソカに行われます。このうち
六月の祓ハラエを夏越ナゴしの祓(名越し祓・六月ミナヅキ祓・輪ワ越しの祭り・夏越しの御禊
ミソギとも)、十二月の祓を年越しの祓・師走シワスの祓などとも呼んでいます。
 この神事は、私共の罪や穢ケガれ、過ち、災いなどを形代カタシロに移して、除去するもの
です。普通、形代(人形ヒトガタとも)に姓名・年齢などを書いて息を大きく吹き掛けて、
神社へ持っていき、お祓いをしてもらうのです。また、形代で身体を撫でて罪穢れを移
すこともあります。
 神社においては大祓詞オオハラエノコトバ(中臣祓ナカトミノハラエとも)を唱え、形代を火に燃やし
(お焚タキ上げ)たり、水に流すなどして罪穢れ、災いを祓い清めます。また神社によっ
ては参道に茅チの輪を設け、参詣者はそれを潜って穢れや災いを祓うことも行われます。
これは「備後風土記」の蘇民将来ソミンショウライの故事に因るものです。
 大祓はもと、記紀に伝えられます素戔嗚尊の高天原追放神話に起因するものとされて
います。
 
 ▼除夜祭
 除夜祭(年越祭とも)は、大晦日の夜に古い年を追い遣り、新しい年を迎える祭りで
して、もと追儺ツイナ(おにやらい)の行事ですが、明治時代から除夜祭と呼ばれるように
なりました。
 一家の戸主が氏神様に篭もったり、社前において焚き火を囲みながら徹夜したりする
ところもあります。
 この夜は人々は、除夜の鐘を聞きながら除夜詣でと称して神社にお参りします。最近
は、除夜詣での序でに初詣をする人も多くなってきています。
 
 ▼月次祭と日供祭
 各神社においては、毎月朔日サクジツと十五日に月次祭ツキナミサイを執り行います。
 日供祭ニックサイは、毎朝決まった時刻に行う祭です。神職は、神様へ供えをして日頃の神
恩に感謝し、その日一日が平穏無事でありますようにとお祈りします。
 月次祭も日供祭も、併せて国家の安泰、天皇の弥栄イヤサカ、そして氏子・崇敬者の健康
と職業への勤しみができますようにと祈願するお祭りです。

[次へ進む] [バック]