16 神職・宮司・禰宜・巫女とは
神職・宮司・禰宜・巫女とは
参考:大法輪閣発行三橋健氏編「神道」
神社に奉仕したり奉職する者を、神職シンショク(又は神官・神主ともいう場合があります
)と言います。
元来、氏の上カミが氏族を率いて氏神を祀ったり、又は地域共同体の長が地縁の人々を
代表して神祭りを行ってきました。
神祭りを行うに際しては、極めて清浄が尊ばれ、そのため世俗の生活はできませんの
で、早くから専従の神職として独立してきたものと考えられます。一方伊勢神宮などの
大きな神社にあっては、日常の社務運営や神事を行う種々の職掌ができ、それらが「神
職」の呼称として定着してきました。
「神主カンヌシ」の初見としては、古事記の依れば、第十代崇神スジイ天皇の御世に、大物
主神オオモノヌシノカミの祟りに因って疫病が流行し大勢の人々が亡くなったと伝えられますが、
その時崇神天皇の夢に、大神の子孫の意富多多泥古オオタタネコに祭りを行わせれば天下太平
になる旨のお告げがあって、その通りに意富多多泥古を「神主」として祭祀を行わせま
したところ、祟りが止みました、とあります。
古代律令時代には、国の政治を行う太政官とともに、国家の祭祀を司る神祇官という
役所が設けられました。これは母法である隋・唐の律令にはないところの、日本独自の
伝統の上に立脚した固有の制度でした。神祇官には、他の役所と同様に伯(長官)、大
副・少副(次官)などを始めとして、神部カンベ、卜部ウラベ、御巫ミカンナギなどの職掌が置
かれました。神祇官の職務については、「神祇の祭祀、祝部ハフリベ、神戸カンベの名籍、大
嘗、鎮魂、御巫、卜兆ボクチョウ、官の事を惣判することを掌ツカサドる」と定められていまし
た。この中において祝部については、「祭主マツリヌシと為りて賛辞タタエゴトする者をいふ。其
の祝は、国司、神戸の中に簡エラび定めて、即ち太政官に申せ。若し戸の人无ナくば、通じ
て庶人ショニンを取れ」と令義解に解説されています。
この時代の祝詞には「神主、祝部等」という語句がみえ、地方における神職の名称と
して広く神主・祝部の語が用いられていました。
なお付記しますと、律令時代においては天皇の称号が、その立場によって変わる点で
す。即ち朝儀のことを規定した儀制令に拠れば、「天子」は祭祀に称する所、即ち神々
に向かったときの称号、「天皇」は詔書に称する所、即ち正式の文書に用いる称号、「
皇帝」は華夷に称する所、即ち外国に向かったときの称号、「陛下」は上表に称する所、
即ち臣下から上表文を進めるときに用いる称号、と規定されています。この中において、
冒頭に「天子」の称を置いておりますので、この時代の精神をよく表し、祭主マツリヌシとし
ての天皇のご性格を如実に示しております。
伊勢神宮においては、古来斎王サイオウの制度が置かれていました。未婚の皇女が天皇に
代わって神宮にご奉仕されました。斎王は神宮に奉仕する最高の職でありますので、こ
れも神職の名称の一つと言えます。また、祭主サイシュ、大宮司ダイグウジ、禰宜ネギ、内人
ウチンド、物忌モノイミ等の職掌も置かれていました。祭主は朝廷の奉幣使を務める役、宮司は
神宮の維持管理に当たる行政官、禰宜は神霊を労ネギラう意、内人・物忌は神宮近仕の重
職として直接神事に携わる神聖な役割とされていました。
巫女ミコについては、斎王の制度や、古くは卑弥呼ヒミコが鬼道に仕えたと言われることな
ど、古代の神祭りに女性が極めて大事な役割を担ってきました。例えば沖縄ではノロが
ウタキの祭祀を司り、男子は直接神祭りに奉仕することはできません。また青森の恐山
のイタコに代表されるのは、口寄クチヨセ巫女の系統です。これは民間にあって神霊との交
流を図り、人々の要請に応えるものです。
戦後は、神社本庁の庁規に定める神職は宮司グウジ、権宮司ゴングウジ、禰宜ネギ、権禰
宜ゴンネギの称で統一されています。
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