12 「神社と祭り」鎮守の森
 
                鎮守の森
 
                     参考:大法輪閣発行三橋健氏編「神道」
 
 ▼神道と神社
 日本在来の民族宗教であります神道シントウは、かつて自然環境に直接参入して生活を築
いた古代人の宗教文化を、歴史を通じて連綿と継承してきたところに、その固有な特色
を持っています。換言しますと神道は、世界的には消滅して久しい古代宗教を今に継承
する特異な宗教でありますし、本来は古代に相応しい「森の宗教」あるいは「祭りの宗
教」なのでもあります。確かに古典的神道の自覚的体系は、いわゆる氏姓国家から律令
国家に至る大和王権の確立時代に成立しますが、その全国的基盤となる民間の習俗的神
道は、古代から現代に至るまで国土に隈無く配置された神社とその祭りにほかなりませ
ん。
 明治維新の頃、全国の神社数は、ほぼ当時の自然村の数に見合った十八万余りと推定
されました。明治末年までに政府が強制統合した結果、神社数は十一万余社でした。こ
れに宗教法人としての認証を受けない、民間や企業などの小社を加えますと、二〜三十
万の数に達するものと考えられます。
 
 ▼神社と森
 神社は、古くカムツヤシロ(延喜式)とも、またモリとも訓んでいました。万葉集に
も、
 
  ちはやぶる神の社ヤシロしなかりせば春日の野辺に粟蒔マかましを
 
  春日野に粟まけりせば何時イツしかに続ツぎてゆかましを社ヤシロとむとも
 
という、贈答歌があります。
 ヤシロとは、もと社殿の建物を指すのではなく、屋代、即ち屋舎の建つべき場所でし
た。そこで神のヤシロとは、神を祭るべき神聖なところで、普段は注連縄シメナワで標シめて
囲っておく禁足地であったと考えられます。前掲の歌において、春日野は神のヤシロと
しての禁足地であったため、粟を蒔くことはできないのでした。
 お宮のミヤは、恐らく御屋ということですので、ヤシロに社殿が建てられてからの名
称です。他方、「神社」や「社」、あるいは「杜」と書いてモリと訓むのは、日本独特
の漢字の用法で、実は神の鎮まる森、即ちこんもりした社叢を指しているのです。
 
 ▼神社と祭り
 神社の古態として、多くの場合それはモリ即ちオヤマ(御山)でした。山麓祭祀が神
社としての主な起源形態なのでした。例えば奈良盆地の大神オオミワ神社は、神殿を持たず
に背後の三輪山ミワヤマをそのま神の山とする古代祭祀を現に伝えています。またこの近く
の石上イソノカミ神宮の布留フル山も、春日大社の三笠山もそれぞれ神体山シンタイザンです。京都
の総鎮守賀茂神社も上社、下社ともに神山コウヤマ、御蔭山ミカゲヤマという神体山より神をお
迎えする祭りの形式を今に伝えています。
 一般に神体山と呼ぶものは、古典上「神奈備カムナビ(山)」即ち神が鎮まる聖山のこと
をいいます。山そのものが神体とはいえませんが、全国的にそれとみなされる山には、
神山コウヤマ・ミヤマ、宮山、御嶽ミタケ・オンタケ・ウタキ、大山オオヤマ・ダイセン、森山モリヤマ・ムリヤマなどがありま
す。森とも山ともつかない地方的な聖地には、沖縄のウタキ(御嶽)、奄美のオボツヤ
マ、種子島のガローヤマ、薩摩・大隅のモイドン、西石見の荒神森コウジンモリ、対馬の天道
山テンドウヤマなどの例があります。
 これらの多くは、集落から間近に眺められる印象的な山岳や、こんもりと樹林に覆わ
れた姿のよい丘陵でして、どれもが住民の生業と生活に不可欠な潅漑の水源や集落景観
の奥まったところに佇まい(舞台装置)を構成しています。海や湖の沿岸集落において
は、豊富な漁場でもある沖合いの岩礁や小島を「立ち神」「神島」などと崇め、また航
路や漁場の陸標ともなる「山立て」の岬や内陸の山を、信仰の対象としています。
 日本語のカミは、古くはクマ(隈)やクム(隠れる)を語源とする、水源の山谷に隠
れている霊性を指している、との研究成果も発表されています。日本の山岳列島の局地
的な自然環境に土着して農林業を営む集落の住民等が、何世代にも亘って築き上げた安
心立命の生活世界は、自ずからそうした山や森に隠れた霊性を発見してカミに祭るとい
う、生命的な共同体を構成したのでした。
 
 ▼家郷の小宇宙
 古来日本人が安心立命の故郷フルサトとしての拠りどころであります、村や町の家郷配置
には、それぞれに氏神鎮守の社を中核とする、いわば山宮ヤマミヤ − 里宮サトミヤ − 田宮
タミヤ、あるいは沖宮オキミヤ − 里宮 − 浜宮といった祭祀構造が理念的に伏在しています。
里宮は本来、山宮から集落へ神をお迎えすべきヤシロの森なのですが、真っ先に社殿を
構えて神の常在する氏神鎮守の社となりました。それでも普段は森の内に鎮まっており
ますので、集落にとっては奥〜他界という聖なる空間秩序を体現していることに変わり
はありません。田宮や浜宮は、集落の生業や生活の場に神が臨在することとなる祭礼時
の仮宮、即ち神宿カミヤド、頓宮トングウ又は御旅所オタビショと考えてよいでしょう。
 日本の集落は伝統的に、中心の広場という空間を持っていないため、道路を軸にして
地域社会を構成します。鎮守の祭りが、山宮から里宮、里宮から神宿へと、神を街路に
臨幸なさしめることによって、集落全体は聖なる解放空間へと変わってしまうのです。
この晴れの時に、村が一躍にして「町」に、そして「市」に変貌して人心の活気が盛ん
に甦るのです。こうした住民総出の喜びの交歓こそ、鎮守の森の、物静かで透明な秩序
がもたらす家郷という小宇宙なのです。

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