10 言霊と祝詞
 
                            言霊コトダマと祝詞ノリト
 
                     参考:大法輪閣発行三橋健氏編「神道」
 
 ▲言霊
 「万葉集」には日本のことを「言霊コトダマの幸サキはう国」、つまり日本という国は、言
霊の力が幸福をもたらす国であると詠んでいました。上代には「コト」は、言(ことば
)であると同時に事(事柄)でもありました。「タマ」とは霊力のことです。コトダマ
(言霊)とは、言葉の持つ力(威力)と、それが示す事柄の力(影響力)の意味でもあ
る訳です。換言すれば、言葉が事柄を支配するということでもあります。ですから善な
ることを言えば善が現れ、悪なることを言えば悪が現れると信じましたので、できるだ
け善い事を念じて口にしようとし、極力悪い言葉を避けようとしました。
 「古事記」には一言主ヒトコトヌシという神の名がみえますが、この神は、善悪を一言で決
めたと言われています。
 「万葉集」ではまた、辞代主コトシロヌシという神が「言霊の八十ヤソの衢チマタに夕占ユウケ問う
」と詠んでおられますが、これは辻において占いをするのは、辻(交差点)に神が宿っ
ていると信じ、其処に立って、行き交う人々の声に耳を傾け、善い言葉を聞けば良い結
果がもたらされ、そうでないと悪い兆しとなるということです。この辞代主の神は、事
代主神とも書かれ、言葉を支配し、その言葉が表し示す事柄を左右する神であり、占い
をも司っていたのでした。
 このように上代の人々は、言葉を信頼し大切にもして、言葉を慎みの気持ちで用いま
した。例えば、本名を軽々しく口にしなかったのは、言葉を憚ハバカる心が働いているか
らと言われています。神の名を唱えれば神はすぐ発動しましたので、神の名は容易タヤスく
は口にしてはいけませんでした。神の名には神徳シントク(神の力・神の働き)が篭コめられ
ているからです。初期の祝詞は、神の名のみを唱えるだけでありました。
 
 ▲祝詞
 祝詞ノリトは昔、称辞タタエゴトとも呼ばれていました。これは祝詞の中において、専ら神の
名を讃えたことに因るものです。そのためには神を丁重にお祭りする必要があります。
祭りとは手間隙ヒマ賭けて拵コシラえた神酒ミキと、丹精込めた初穂ハツホや神饌ミケ(お供え)を
神に献上することです。一時期、このお供えすることをも称辞と呼びました。さらに、
祭りそのものを称辞と呼ぶ時代もありました。
 人間が、神をより丁重にお迎えするためには忌み篭もるのがよいとされました。神を
待ちながら慎み深く毎日を過ごすのです。其の間、禁忌、例えば家族とは別の火で煮炊
きをするなど、話す言葉をも含め厳しい物忌みによる慎みの暮らしをします。心身とも
清まって、そこで行われるのが祓ハラエです。「大祓詞オオハラエコトバ」を唱えるためにこのよ
うな物忌みをするのです。
 「大祓詞」には神話が語られ、神代からの由来、祝詞としての古さや正統性、罪や災
いの種類や神々の審判、最後に祓ハラエの四神によってそれらの罪や災いが消滅されていく
様が記述されています。この大祓詞は[言霊コトダマ]、即ち言葉の力によって罪や災いを
消し去るのだ、という気構えで唱えられます。
 祝詞の内容は祭りごとに異なり、祝詞はその度に新しく書き改められます。その祝詞
を神職は、古イニシエの心を守って奏上します。祝詞には、神の発動への予感と願望などが
記述されていますが、それを言霊によって神を称辞します。ために祝詞は、専ら善言や
美詞で綴り、邪悪や不正は決して読み語りません。心身ともに祓い清めて、祝詞を奏上
して言寿コトホぐ、つまり言葉に拠って褒め讃えますと、心あるものを動かすこととなるの
です。これが祝詞に因る言霊なのです。
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