05 誠の心・直き心
 
             誠の心・直ナオき心
 
                     参考:大法輪閣発行三橋健氏編「神道」
 
 ▼感謝の気持ち
 神社は全国至るところに鎮座しており、そこにおいて行われる祭儀を基盤として発展
してきた神道シントウを神社神道と称しております。
 神道には教派神道と言われる十三派の教派があったり、また皇室神道とか民俗神道と
かに分類されるものもありますが、本稿においては専ら神社神道における、その基本的
な道義について考えてみましょう。
 神社神道におきます「感謝」とは、神の恵みと祖先の恩に対することへの心の表れを
いいます。
 私共は日常、感謝の気持ちを表すときに「ありがとう御座います」といいます。その
意味は「滅多に無いことが有る」ということで、これをよくよく考えてみますと、感謝
の対象となる出来事は、人間の力ではどうしようもなく、神の恵みや祖先の恩でしか有
り得ないということが分かります。
 序でながら、柳田国男は「毎日の言葉」の中において、「有り難う」「忝カタジケない」
「もったいない」という言葉は、本来、神仏を拝むときに用いられる言葉ですが、同時
に、神仏からの恵みが尊いという意味であると述べております。
 
 ▼まこと(誠)の祭祀
 神社神道においては、「祭祀サイシに勤イソしむ」ことが重要であるとしています。天照大
御神を始め、氏神や祖霊に対する祭祀を怠ることなく勤しむことであり、神社を崇敬す
る人々の最も肝要な点であるとされています。
 それでは、どのような心構えによって祭祀に勤しむべきでしょうか。
 それは、「誠マコトを以て祭祀に勤しむ」ことであり、その「誠」については、「明アカき
清き」「誠」ということです。
 「誠」の意義は「直き心」に通じるもので、古来、神道の最も重要な徳目とされてき
ています。
 西行の「山家集」に、
 
  みたらしの若葉濯ススぎて宮人ミヤビトの左右マデにささげて御戸ミト開くめる
 
 という歌がありますが、この大意は、「社頭を流れる御手洗川ミタラシガワにおいて、若菜
を洗っていた宮人(神に仕える人)が、恰アタカも神殿の御扉ミトビラを開くように、両手で
若菜を捧げ持っている」のです。
 神社において行われる祭式は、些細な作法であっても、片手で行うことは殆どありま
せん。神殿の御扉の開閉を始め、神饌シンセンや玉串タマグシを捧げるときも、必ず両手が添え
られます。片手では配慮が欠けることとなり、結果は不完全となります。「誠」の祭祀
とは、両手で行うこと、つまり両手によって行われる祭祀、これが「誠」の祭祀なので
す。
 
 ▼直き正しき心
 さて、「誠」の祭祀、「誠の心」による祭祀を、形として表現した行為が柏手カシワデで
す。柏手は、「両手を合わせることに始まって、両手を合わせることに終わる」と先人
は述べております。神前において、「直き心」を以て両手を合わせること、それがその
まま「誠の姿」となるのです。
 菅原道真公(天神様)の歌に、
 
  心だにまことの道にかなひなば祈らずとても神や守らむ
 
 とあります。
 また明治天皇の御製に、
 
  目に見えぬ神にむかひて恥ぢざるは人の心のまことなりけり
 
 とあります。神の前において何一つ恥じるところのない心が「誠の心」です。即ちこ
れが「明アカき清キヨき直ナオき正タダしき心」であり、普段の生活における「正直な心」とい
うことです。
 全国の神社においては、通常一年に一度、例祭を執り行っております。この祭式にお
いて宮司グウジは、神の恩頼ミタマノフユに感謝し神意をお慰めするため、神前に「祝詞」を奏
上申し上げます。その祝詞には、必須として「各オノも各オノも、清キヨき明アカき直ナオき正タダ
しき真心マゴコロ以モチて、負オヒ持モつ職業ワザに勤イソしみ励ハゲみ・・・・・・」という主旨のこと
が書かれております。即ちこのことは、これを奏し上げる神職は勿論、神前に跪ヒザマズ
く御氏子ミウジコや崇敬者を始め、諸々の人々が守り行うべき神道の道義なのです。

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