04 八百万の神
 
          八百万の神/多神教としての神
 
                     参考:大法輪閣発行三橋健氏編「神道」
 
 ▼「神カミ」の定義
 神道シントウは極めて多くの神々を持つ宗教であり、これらの神々を「八百万ヤオヨロズの神
」と称しています。。また「八十万ヤソヨロズの神」とか「千万チヨロズの神」ともいいます。
 江戸時代の有名な学者であります本居宣長モトオリノリナガの著「古事記伝」三之巻におい
て、これらの神々を次ぎのように定義しておられます。
 
  さて凡スベて迦微カミとは、古御典等イニシヘノミフミドモに見えたる天地の諸モロモロの神たちを
  始めて、其ソを祀マツれる社に坐オハス御霊ミタマをも申し、又人はさらにも云ハず、鳥獣
  トリケモノ木草のたぐひ海山など、其余ソノホカ何にまれ、尋常ヨノツネならず、すぐれたる徳コト
  のありて、可畏カシコき物を迦微とは云なり。
 
 このような「カミ」の定義は、現在も優れた説として支持され、多くの人々の引用す
るところです。
 即ち「カミ」とは、古典に記されています天の神・地の神等タチを始め、人は勿論、鳥
・獣・木・草の類タグイ、また海・山など、その他何であれ世の常ではない優れたること、
かしこいものであるとしています。
 優れたるとは、「尊タフトきこと、善ヨきこと、功イサヲしきこと」などだけでなく、「悪ア
しきこと、奇アヤしきもの」などもその範疇ハンチュウに入るとしています。従って雷・龍・樹
霊コダマ・天狗・狐・虎・狼・桃・御頚玉ミクビタマ・磐根イワネ・木株コノタチ・草葉カヤノハ・海・山
までも「カミ」だあると述べています。さらに「貴タフトきもあり賎イヤシきもあり、強きも
あり弱きもあり、善きもあり、悪アしきもあり」とも述べています。このように「カミ」
は種々様々ですので、これらを「大かた一ヒトむきに定めては諭イひがた」いとしていま
す。
 然して「世の常ならず、優れたるもの、かしこきもの」であっても、そのものに対す
る人間の「崇敬」が無かったり、人間がそのものを「祭」らなかったりしなければ、そ
のものは「カミ」とは成り得ないでありましょう。ここで注目すべきことは、「カミ」
と人間との関わりであります。
 「カミ」と人間の関わりにおいて、安居院アグイ作「神道集」巻第九「北野天神事」の
中で、天満大自在天神(菅原道真公のこと)が、次のような託宣をしているとのことで
す。
 
 神モ自ラ貴トカラズ、人ノ敬ヒヲ以テ貴トス
 
 つまり神は、人の崇敬によって尊い神になるのであると説いているのです。もし人の
崇敬が無かったならば、神は愛を垂れるどころか、遂に妖怪変化へと零落してしまいま
す。何となればわが国の妖怪変化の多くは、神々の零落した姿であると言われているか
らです。人間の敬と神の愛とは比例するものであり、そのことが敬愛の精神にほかなり
ません。
 
 ▼神道以前の「カミ」
 「カミ」は、@天神・地祇、人間の魂・祖先神、B自然神の3種に分類されます。
 今日私共が一般的に言うところの神道(という概念)は、律令体制が推進された天武
朝頃(7世紀後半)に確立されたものと考えられています。その頃から、神祇ジンギに関
する祭祀が行われたり、諸国の官社(国が管理する神社)を総括・管理する官庁として
神祇官が置かれるなどして、神祇制度が次第に整ってきました。八百万の神々を天神(
いわゆる天神様の「天神」ではありません)と地祇とに分けました。また今日使われて
います神祇とか神社などという語が成立したのもこの頃です。
 このような背景においても、律令制度以前からの「カミ」は存在し続けてきました。
例えば「日本書紀」神代下の初めに、瓊々杵尊ニニギノミコトが葦原アシハラの中ナカつ国を統治す
るために高天原から降臨するところがあり、其処に「彼ソの地クニに、蛍火ホタルビの光カガヤ
く神、及び蝿聲サバエナす邪アしき神」が多く居るとあり、また「草木ことごとく能ヨく言語
モノイフコト有り」と記しています。即ち葦原の中つ国には、夜になるとピカピカ光る気味の
悪い神、昼には五月の蝿のようにうるさい神、このような悪神が多く居り、また草木も
悉く物を言って人々を脅かしていると記しています。
 これらは実は森の神々です。其処に住んでいました狩猟採集民等は、山・森・草、ま
た鳥・獣・魚・貝などの霊を信じ、崇拝していました。このようなものは、「チ」「タ
マ」「モノ」などと呼ばれる一種の精霊であります。其処へ、鉄器と稲作技術を持った
農耕民が進出してきたのです。農耕民にとって狩猟採集民の「カミ」は、「荒アラぶる神
」「邪アしき神」として理解されたのでしょう。
 
 ▼八百万の神と共栄共存の心
 日本の神々は何故無数に存在するのでしょうか。その理由の一つとして、農耕民が狩
猟採集民の「カミ」を撲滅することなく、寧ろ「共存」させてきたからであると考えら
れます。多神であるということが、共存共栄の心を育んだのであり、その基盤には共生
観があるのです。共存共栄の思想や共生観は、日本神道の特徴の一つでもあります。
 「荒ぶる神」や「悪しき神」などに対して農耕民は、「大祓詞オオハラエノコトバ」において、
「神カム問トはしに問トはし賜タマひ」て、その後に「神カム掃ハラひに掃ハラひ賜タモ」うたとして
います。即ち以前からの神々は初めから祓い去ることとはせず、まず相手の荒ぶる理由
ワケを問い糺したのです。そして祓い去ったのは、「カミ」そのものではなく、荒ぶる原
因であったと考えられるのです。ということは、荒ぶる神、悪しき神に対して「問はし
賜ひ」「掃ひ賜ひ」というように尊敬語を用いていることからも明らかであります。

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