03a 神の道と人の道
 
 ▼天照大神になぜ至高至貴の神なのか
 日本の国号の美称であります「豊葦原トヨアシハラの瑞穂ミズホの国」は、文字どおりの「瑞
々ミズミズしい稲穂を産する国」というよりは、「瑞穂の国であってほしい」との願いの
隠コモった言葉です。
 日本の国土はモンスーン地帯に属していますので、稲作に適している国柄ですが、そ
れ故に毎年のように台風と、それに伴う豪雨に見舞われる国でもあります。早春からき
ょうまで二百日間も丹念に育ててきた稲は、丁度、夏の終わりから秋にかけての時期は
最も大事な稔りの時期です。そのようなときに、一夜のうちに吹き倒され、水浸しにな
ることは誠に忍びないことです。農作物の生育に関して、天候の善し悪しは一日一刻た
りとも油断を許せないものなのです。そのようなことから、「瑞穂の国」であって欲し
いとの切なる願いは、国家の、そして国民の総意なのでした。
 しかしながら、砂漠に稲を育てることは至難の技です。砂漠のような極度に乾燥した
ところには、万物を生み出す産霊ムスビの神の霊力は及ばないと考えられています。植物
が生育するには、産霊の神の働きが必要であると信じられてきました。それ故、稲の生
育するところには、産霊の神の力が働いているということになります。この産霊の神は
稲ばかりでなく、あらゆるものを生成せしめる力をも持っています。
 産霊は例えば、稲の生育の妨げとなる雑草をも繁茂せしめるのです。産霊の神はこの
ように、稲という善ばかりでなく、雑草という悪をも生育せしめるのです。そのまま成
り行きに任せておけば、悪ばかりの世にも成りかねなくなります。悪である雑草が蔓延
ハビコり、終ツイには善である稲を滅ぼして仕舞うことにもなります。このようなところに
は、神の道も人の道も成り立たなくなって仕舞います。
 道は、天照大神の教え給うたように、稲を作ることにより初めて成立するのです。何
となれば、稲という善を育てるためには、稲にとって悪なる雑草を取り除かなければな
らないからです。雑草は、真夏の炎天下であっても怠ることなく取り除かなければなり
ません。この雑草という悪を取り除くことにより、善なる稲はすくすくと育つことがで
きるのであり、ここの至って初めて道は成立するのです。これを神の道といい、人の道
でもあるのです。
 天照大神の「日本人よ、稲を作って生きて行きなさい」という『誓い』の中に、日本
の神道、延ヒいては人道の本義が含まれていると言えましょう。この『誓い』あるが故に
天照大神は、日本の神々の中において至高至貴の座に置かれるのです。
 
 このように神道は、産霊ムスビの神に因ります「産む」ことを基に、それを更に進めて、
天照大神が示されました「育てる」ことを尊しとしてきました。いうまでもなく、「産
む」こと、即ち産霊の神の働きがあってこそ、「育てる」ことができるのです。しかし
単に「産む」だけであっては、人間は、他の動物と何等変わることはないのです。人間
がこのように「育てる」という優れた行為をすることにより、万物の霊長しての地位を
保っているのです。人間は,雑草という悪を取り除き,稲という善を育てるという「神
の道・人の道」を持ち、そして実践し続ける能力をも持ち合わせているのです。

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