03 神の道と人の道
 
             神の道と人の道
 
                     参考:大法輪閣発行三橋健氏編「神道」
 
                    周知のように、神道シントウはいたって寛容的
                   な宗教です。この寛容であるということと、
                   宗教心が希薄であることとは別段関係がない
                   ことですが、一部において、神道信仰者の宗
                   教心が薄いために寛容になるのだとの誤解が
                   あるようです。
                    また神道は、教義を越えてあらゆる宗教と
                   共存し、共栄することを理念としてきました。
                   この理念は動植物及び自然物に対しても同じ
                   ことです。神道は動物や植物はいうまでもな
                   く、石や岩のような自然物にも人間と共通の
                   生命があるとみなし、それらを大切にし、そ
                   れらと一緒に生活するという態度を採ってき
                   ました。そこには自然を征服するなどという
                   観念はみられません。
                    というようなことを、本書のはしがきにお
                   いて、編者三橋氏が述べております。
                     思い出しますと大分以前、編者の三橋氏は、
                   自分が國學院大學別科在学中における恩師で
                   いらっしゃいました。
                    本稿は、大法輪閣発行三橋健氏編「神道」
                   を参考にするなどして記述させていただきま
                   した。              SYSOP
 
 ▼神の道とは
 日本における神は、「八百万ヤオヨロズの神」と言われるように、その数が極めて多いた
め、「神の道」とは、「神々の道」ということにもなるのではないでしょうか。
 そのような「八百万の神」の中において、至高至貴の神が天照大神アマテラスオオミカミです。
何故この神が神道における最高神なのでしょうか。即ち天照大神は初めて「神の道」、
つまり神道を創立された神なのです。従って神の道(神道)とは、天照大神が立て給い
教え給うた道なのであり、私共がその道に信順シンジュン(信じ従うこと)し、さらにその
道を実践していくことが、そのまま神道なのです。
 
 ▼天照大神の誓い
 それでは、天照大神が立て給い教え給うた神の道とは、どのようなものでしょうか。
 神々が人々の救済を願って、必ず成し遂げようと誓いを定められますが、この誓いの
ことを神の願い・神の誓い・神の本誓・神の本懐・神の誓約、又は神勅シンチョク・神宣・神
託・神言、あるいは神の詔ミコトノリ・お告げなどとも言います。
 天照大神にも誓いがあります。これを神勅といい、世に「三大神勅」とか「五大神勅
」とか言われています。
 三大神勅とは、@天壌無窮テンジョウムキュウの神勅、A宝鏡奉斎ホウキョウホウサイの神勅、B斎庭
ユニワの稲穂イナホの神勅のことを言います。こられの神勅はいずれも、皇孫瓊々杵尊ニニギノ
ミコトが高天原から地上に天降られた際に、天照大神より授けられたものです。
 
 ▼斎庭の稲穂の神勅
 このうち、斎庭の稲穂の神勅について考えてみましょう。
 この神勅は「日本書紀」神代下、一書第二に、
 
  吾が高天原に所御キコシメす斎庭の稲穂を以て、亦吾が児ミコに御マカせまつるべし。
 
と記されているところに基づくものです。即ち天照大神は高天原の斎庭ユニワ(神に捧げる
稲を育てる神聖な田)の稲穂を、わが子(天忍穂耳尊アメノオシホミミノミコト)に任マカせようとし
ましたが、その後、皇孫瓊々杵尊がお生まれになったので、結局瓊々杵尊に任せること
になりました。
 ところで、この稲穂の神勅とは、天照大神が人々に「稲作の道」を教えられたことで
す。人々が生活していく上に重要な「食の道」をお示しになられたのです。そして、こ
こに留意すべきは、天照大神におかれても、高天原において稲作に従事されているとい
うことです。これこそ、真マコトの「お示し」であり、教えであると言えます。
 このように天照大神の教えは、単に言葉だけでなく、大神が御身を以て「お示し」な
さるところに大きな意味があるのです。即ち神自身が何もなさらないで、ただ人々に強
制するような教えでは、文字どおり「示しがつかない」ということになります。ところ
が日本の神の道では、このように至高至貴の天照大神で在られても、実際に稲作に従事
され、自ら稲作の道を示されているのであり、このような「お示し」の中に神道の特徴
があるのではないでしょうか。
 因みに今上陛下が吹上御苑内に水田を開かれ、自らその耕作に従われておられるのも、
正に天照大神の「お示し」に拠るものであると考えられます。そしてまた、陛下自らの
「お示し」によって、天下の農民等も稲作に従事してきたのです。私共は、ここに神の
道と人の道とが一体となった世界を観るのです。畢竟するに、神道即人道(神の道、即
ち人の道)なのです。従って、天照大神は神の道を創立されましたが、それはそのまま
人の道を創立されたということにもなるのです。
 
 ▼衣食の道の起源
 また「日本書紀」神代上、一書第十一には、次のような注目すべき記事を伝えていま
す。
 
  保食神ウケモチノカミ、実マコトに已スデに死マカれり。唯タダし其の神の頂イタダキに、牛馬ウシウマ
 化為ナる有り。顱ヒタヒの上ウヘに粟アハ生ナれり。眉マユの上に蚕カヒコ生れり。眼メの中に稗ヒエ生
 れり。腹の中に稲イネ生れり。陰ホトに麦ムギ及び大小豆マメアズキ生れり。天熊人アメノクマヒト、
 悉フツクに取り持ち去ユきて奉進タテマツる。時に、天照大神喜びて曰ノタマはく、「是コの物は、
 顕見ウツしき蒼生アヲヒトクサの、食クラひて活くべきものなり」とのたまひて、乃ち粟稗麦豆
 アハヒエムギマメを以ては、陸田種子ハタケツモノとす。稲を以てし水田種子タナツモノとす。亦因て天
 邑君アマムラキミを定む。即ち其の稲種イナタネを以て、始めて天狭田アマノサナダ及び長田ナガタに殖
 ウう。其の秋の垂穎タリホ、八握ヤツカホに莫莫然シナひて、甚だ快ココロヨし。亦口の裏に蚕を含
 みて、便スナハち絲イト抽ヒくこと得たり。此コレより始めて養蚕コカヒの道あり。
 
 即ち、殺された保食神の屍シカバネから牛・馬・粟・蚕・稗・稲・麦・大豆・小豆が出て
きました。そこで天熊人アマノクマヒトは、天照大神に献上しました。すると大神は大層お喜び
になられ、「これらのものは、人民が生活していく上に必要なものです」と仰せられ、
粟・稗・麦・豆を畑の作物に定められ、稲を水田の種とされました。そして農民の長を
定め、初めて稲種を田に植えますと、秋には大層収穫がありました。また大神は口の中
に蚕を含んで、絹糸を採ったとあり、これにより蚕の道が始められましたと記してあり
ます。
 
 これは、農作物と養蚕の始まりについて述べています。このように天照大神は、人々
が生活する上に最も重要な「食の道、衣の道」、つまり「衣食の道」を教示し給うたの
です。人々は、その神の道を信順して歩いていくこと、それは神の道の実践にほかなり
ません。神の道とは、私共人間の踏み行うべき道、即ち人の道であり、ここに神の道と
人の道とは、別々にして、最早別々でないことが明らかとなります。換言すれば、私共
人間が忠実に人の道を歩むことが、そのまま神の道なのであります。
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