02a 「神の道」神道史略
和暦 西暦 主 要 事 項 備 考/西暦年
永保 1 1081 十一月、二十二社の制が成立する
2 1082 熊野の僧徒、神輿とともに入京し、強訴す(以後、 白河上皇、院政開始
鎌倉時代まで僧・神人の強訴頻発) 1086
寛治 4 1090 一月、白河上皇、熊野参詣 平泉中尊寺建立1126
以後、熊野詣が盛行
保延 2 1136 九月、春日若宮祭を創始 保元の乱1156
久寿 1 1154 四月、京都今宮神社のやすらい祭の盛行 平治の乱1159
承久 1 1219 この頃「北野天神縁起絵巻」成る 平清盛、太政大臣と
なる1167
貞応 2 1223 十一月、「燿天記」成る 源頼朝、征夷大将軍
1192
仁治 2 1241 五月、幕府、諸社寺に定員を制定 慈円「愚管抄」成る
1220
延慶 2 1309 十二月、「春日権現験記」成る 承久の乱1221
元応 2 1320 一月、度会家行「類聚神祇本源」成る 親鸞、浄土真宗を開
く1224
元弘4正慶2 1333 四月、慈遍「天地神祇審鎮要記」成る 日蓮、日蓮宗を開く
1253
延元4暦応2 1339 この年、北畠親房「神皇正統記」成る 文永・弘安の役1274
・1281
文明16 1484 十一月、吉田兼倶、山城国神楽岡の斎場所を造営 安居院「神道集」
この頃、吉田兼倶「唯一神道名法要集」成る 1352〜60
足利尊氏、征夷大将
軍1338
延徳 1 1489 十一月、吉田兼倶、皇大神宮の神器が神楽岡の斎 応仁の乱1467〜77
場所に飛んできたと奏上 キリスト教伝来1549
元和 2 1616 十月、幕府、天海をして日光に家康の霊廟を造営 関ヶ原の戦い1600
せしめる 徳川家康、征夷大将
翌年三月、落成(日光東照宮の創祀) 1603
この頃、神田明神を神田橋から湯島へ遷祀
寛永13 1636 十一月、幕府、諸国の社寺に安堵の朱印を下す 島原の乱1637
15 1638 二月、この頃より、伊勢おかげ参り流行 鎖国完成1639
正保 1 1644 この年、林羅山「神道伝授」成る
3 1646 この年、徳川義直「神祇宝典」成る
寛文 5 1665 七月、幕府、諸社禰宜法度を下す
十二月、徳川光圀、領内三千余社の淫祠を破壊
6 1666 五月、備前国池田光政、領内神社を整理
11 1671 この年、山崎闇斎、垂加霊社号を授けられ、垂加 井原西鶴「日本永代
神道を唱道 蔵」1688
宝暦 1 1751 この年、谷川士清「日本書紀通証」成る
10 1760 この年、賀茂真渕「国意考」成る
13 1763 五月、賀茂真渕と本居宣長、伊勢の松坂で対面 杉田玄白「解体新書
」1774
寛政10 1798 六月、本居宣長「古事記伝」成る
文化11 1814 黒住宗忠、天命直授を体験(黒住教の成立)
文政 1 1818 この年、平田篤胤「古史成文」を刊行
天保 6 1835 この年、伴信友「験の杉」成る 天保の大飢饉1833〜
37
9 1838 十月、中山みき、天啓を受ける(天理教の成立) ペリー、浦賀に入港
1853
安政 6 1859 十月、金光大神、立教神伝を受ける(金光教の成 桜田門外の変1860
立)
明治 1 1868 神仏分離令を布告 王政復古の大号令
1867
2 1869 九月、九段に東京招魂社を創建(同十二年、靖国 東京に遷都1869
神社と改称し、別格官幣社となる)
3 1870 一月、大教宣布の詔を発布
閏十月、府・藩・県に命じ、管内の神社明細帳を
録上せしむ
この年、鈴鹿連胤「神社覆録」成る
4 1871 五月、神社は全て国家の宗祀であるとして、神職 廃藩置県1871
の世襲を廃止
同月、官社以下定額・神官制等を制定
七月、大小神社氏子取調規制を布告(氏子調)
5 1872 三月、神祇省廃し、教部省を設置
女人結界廃止
10 1877 一月、教部省廃止、事務は内務省社寺局が継ぐ 西南戦争1877
28 1895 三月、平安遷都千百年を記念して平安神宮を創建 日清戦争1894
33 1900 四月、内務省神社局を設置 日露戦争1904
九月、台湾神社を創建(以後、海外神社が相次ぎ
建立、戦後、廃止)
大正 4 1915 四月、明治神宮造営局が設立(同八年七月竣工、
翌年十一月、鎮座祭を執行)
昭和15 1940 十一月、神社局を廃止し、神祇院を設置 太平洋戦争開始1937
20 1945 十二月、GHQ、神道指令を発す 天皇、終戦の詔勅を
放送1945
21 1946 二月、神祇院が廃止、宗教法人神社本庁を設立 天皇人間宣言1946
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