19b 巻二十
 
  防人サキモリの悲別カナシキワカレの情ココロを陳ノぶる歌ウタ並マタ短歌ミジカウタ
大王オホキミの まけのまにまに 島守サキモリに わがたちくれば ははそばの ははのみこ
とは みものすそ つみあげかきなで ちちのみの ちちのみことは たくづぬの し
らひげのうへゆ なみだたり なげきのたばく かこじもの ただひとりして あさと
での かなしき吾ワが子コ あらたまの としのをながく あひみずは こひしくあるべ
し 今日ケフだにも ことどひせむと をしみつつ かなしびませ 若草ワカクサの つまも
こどもも をちこちに さはにかくみゐ 春鳥ハルトリの こゑのさまよひ しろたへの 
そでなきぬらし たづさはり わかれがてにと ひきとどめ したひしものを 天皇
スメロギの みことかしこみ たまほこの みちにいでたち をかのさき いたむるごとに
よろづたび かへりみしつつ はろばろに わかれしくれば おもふそら やすくもあ
らず こふるそら くるしきものを うつせみの よのひとなれば たまきはる いの
ちもしらず 海原ウナバラの かしこきみちを しまづたひ いこぎわたりて ありめぐり
わがくるまでに たひらけく あやはいまさね つつみなく つまはまたせと すみの
えの あがすめがみに ぬさまつり いのりまうして なにはつに 船フネをうけすゑ 
やそかぬき かこととのへて あさびらき わはこぎでぬと いへにつげこそ
 
   反歌カヘシウタ
いへひとのいはへにかあらむたひらけく ふなではしぬとおやにまうさね
   二月キサラギ二十三日ハツカアマリミカ(天平勝宝七年)兵部ツハモノノツカサノ少輔スナイスケ大伴宿禰オホ
   トモノスクネ家持ヤカモチ(巻二十)
 
まくらだちこしにとりはきまがなしき せろがまきこむつくのしらなく
   右ミギは上丁カミツヨボロ那珂郡ナカノコホリ(常陸国)桧前舎人ヒノクマノトネリ石前イハサキの妻メ大伴
   部オホトノベノ真足女マタリメ(巻二十)
 
おほきみのみことかしこみうつくしけ まこがてはなりしまづたひゆく
   右ミギは助丁スケノヨボロ秩父郡チチブノコホリ(武蔵国)大伴部オホトモベノ少歳ヲトシ(巻二十)
 
  武蔵国ムサシノクニノ部領コホリ防人使サキモリヅカヒノ掾マツリゴトビト正オホキ六位上ムツノクライノカミノシナ安曇宿
  禰アヅミノスクネ三国ミクニが進タテマツれる歌ウタ
さきもりにゆくはたがせととふひとを みるがともしさものもひもせず
   右ミギは昔年サキツトシの防人サキモリの歌ウタなり。(巻二十)
 
  昔年サキツトシ相アヒ替カハりし防人サキモリの歌ウタ
やみのよのゆくさきしらずゆくわれを いつきまさむととひしこらはも(巻二十)

  族ヤカラを喩サトす歌ウタ並マタ短歌ミジカウタ
ひさかたの あまのとひらき たかちほの たけにあもりし すめろぎの かみの御代
ミヨより はじゆみを たにぎりもたし まかごやを たばさみそへて おほくめの ま
すらたけをを さきにたて ゆぎとりおほせ 山河ヤマカハを いはねさくみて ふみとほ
り くにまぎしつつ ちはやぶる 神カミをことむけ まつろはぬ ひとをもやはし は
ききよめ つかへまつりて あきつしま やまとのくにの かしはらの 宇禰備ウネビの
宮ミヤに みやばしら ふとしりたてて あめのした しらしめしける すめろぎの あ
まの日継ヒツギと つぎてくる きみの御代御代ミヨミヨ かくさはぬ あかきこころを す
めらべに きはめつくして つかへくる おやのつかさと ことだてて さづけたまへ
る うみのこの いやつぎつぎに みるひとの かたりつぎてて きくひとの かがみ
にせむと あたらしき きよきそのなぞ おほろかに こころおもひて むなことも 
おやの名ナたつな 大伴オホトモの うぢと名ナにおへる ますらをのとも
 
しきしまのやまとのくににあきらけき 名ナにおふとものをこころつとめよ
つるぎたちいよよとぐべしいにしへゆ さやけくおひてきにしその名ナぞ
   右ミギ、淡海アフミノ真人三船マヒトミフネの讒言ヨコシマゴトに縁ヨりて、出雲守イヅモノカミ大伴オホ
   トモノ古慈悲宿禰コジヒノスクネ解任ゲニンす。
   是ココを以モて、家持ヤカモチ此コの歌ウタを作ヨめるなり。(巻二十)
 
  天平テンピャウ宝字ハウジノ元年ハジメノトシ十一月シモツキ十八日トヲカアマリヤウカ、内裏オホウチにて肆宴トヨ
  ノアカリきこしめす歌ウタ
天地アメツチをてらす日月ヒツキの極キハミなく あるべきものをなにをかおもはむ
   右ミギは皇太子ヒツギノミコ(淳仁天皇)の御歌ミウタ
 
いざ子等コドモたはわざなせそ天地アメツチの かためしくにぞやまとしまねは
   右ミギは内相ナイシャウ藤原朝臣フヂハラノアソミ(仲麻呂)之コレを奏マヲす。(巻二十)
 
  興コトに依ツけて、各オノモオノモ高円タカマトノ離宮処トツミヤドコロを偲シノびて作ヨめる歌ウタ
たかまとのをのうへのみやはあれぬとも たたししきみのみなわすれめや
   右ミギは治部ヲサムルツカサノ少輔スナイスケ大原オホハラノ今城イマキノ真人マヒト(巻二十)
 
はふくずのたえずしぬばむおほきみの めしし野辺ヌベにはしめゆふべしも
   右ミギは右中弁ミギノナカノオホトモヒ大伴宿禰オホトモノスクネ家持ヤカモチ(巻二十)
 
  三年ミトセ春ハル正月ムツキ一日ツイタチ、因幡国イナバノクニノ庁マツリゴトドノにて、饗アヘを国郡クニコホリノ
  司等ツカサビトラに賜タマへる宴ウタゲの歌ウタ
新アタしき年トシの始ハジメのはつはるの けふふるゆきのいやしけよごと
   右ミギは守カミ大伴宿禰オホトモノスクネ家持ヤカモチ作ヨめり。(巻二十)
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