16 巻十七
 
  天平テンピャウノ二年フタトセ庚午カノエウマノ冬フユ十一月シモツキ、大宰帥オホミコトモチノカミ大伴卿オホトモノマヘツ
  ギミ、大納言ダイナゴンに任マけられ、京ミヤコに上ノボりし時トキ、陪従人等トモビトラは別コトに
  海路ウミヂを取トりて京ミヤコに入る。是ココに羇旅タビを悲カナしみ傷イタみて、各オノモオノモ所心
  オモヒを陳ノべて作ヨめる歌ウタ
淡路島アハヂシマとわたる船フネのかぢまにも 吾ワレはわすれずいへをしぞおもふ
たまはやす武庫ムコのわたりに天アマ伝ヅタふ 日ヒのくれゆけば家イヘをしぞおもふ
大海オホウミのおくかもしらずゆくわれを 何時イツきまさむと問トひし児等コラはも(巻十七)
 
  十三年トヲアマリミトセ二月キサラギ(天平)三香原ミカノハラの新都ニヒミヤコを讃ホむる歌ウタ並マタ短歌
  ミジカウタ
山背ヤマシロの 久爾クニのみやこは 春ハルされば 花ハナ咲サきををり 秋アキされば 黄葉モミヂ
バにほひ おばせる泉河イヅミカハの かみつ瀬セに うち橋ハシわたし よど瀬セには うき
橋ハシわたし ありがよひ つかへまつらむ 万代ヨロヅヨまでに
 
   反歌カヘシウタ
楯並タタナめていづみのかはの水緒ミヲたえず つかへまつらむ大宮所オホミヤドコロ
   右ミギは馬寮頭メレウノカミ境部サカヒベノ宿禰スクネ老麿オキナマロ作ヨめり。(巻十七)
 
  十六年トヲアマリムトセ(天平)四月ウヅキ五日イツカノヒ、大伴家持オホトモノヤカモチ平城ナラの故宅フルサト
  にて作ヨめる歌ウタ
青丹アヲニよし奈良ナラのみやこはふりぬれど もとほととぎす鳴ナかずあらなくに(巻十七
)
 
  左大臣ヒダリノオホマヘツギミ橘タチバナノ宿禰スクネ、応詔ミコトノリヲウケタマハリテヨメル歌ウタ
ふるゆきのしろ髪カミまでに大皇オホキミに つかへまつれば貴タフトくもあるか(巻十七)
 
  紀朝臣キノアソミ清人キヨヒト、応詔ミコトノリヲウケタマハリテヨメル歌ウタ
天下アメノシタすでにおほひてふる雪ユキの ひかりを見ミればたふときもあるか(巻十七)
 
  大伴オホトモノ宿禰スクネ家持ヤカモチ、天平テンピャウノ十八年トヲアマリヤトセ閏ノチノ七月フミヅキに越中コシノ
  ミチノナカノ国守クニノカミに任マけられ、即スナハち七月フミヅキに任所マケドコロに赴ユく時トキに、姑
  オバ大伴オホトモノ坂上サカノヘノ郎女イラツメ、家持ヤカモチに贈オクれる歌ウタ
くさまくらたびゆくきみをさきくあれと いはひべすゑつあがとこのべに(巻十七)
 
  長逝ミマカれる弟イロトを哀傷カナシむ歌ウタ並マタ短歌ミジカウタ
あまさかる ひなをさめにと 大王オホキミの まけのまにまに 出イでてこし われをおく
ると 青丹アヲニよし 奈良ナラやますぎて 泉河イヅミカハ きよきかはらに 馬ウマ駐トドめ 
わかれし時トキに 好サキく去ユきて あれかへりこむ 平タヒらけく いはひて待マてと か
たらひて こしひのきはみ たまほこの 道ミチをたとほみ 山河ヤマカハの へなりてあれ
ば こひしけく けながきものを 見ミまくほり 念オモふ間アヒダに たまづさの 使ツカヒ
のければ うれしみと あがまちとふに およづれの たはこととかも はしきよし 
な弟オトのみこと なにしかも 時トキしはあらむを はたすすき 穂ホに出イづる秋アキの 
芽子ハギの花ハナ にほへる屋戸ヤドを あさにはに いでたちならし ゆふにはに ふみ
たひらけず さほのうちの 里サトを往ユき過スぎ あしひきの 山ヤマのこぬれに 白雲シラ
クモに たちたなびくと あれにつげつる
 
まさきくといひてしものを白雲シラクモに たちたなびくときけばかなしも
かからむとかねてしりせばこしのうみの ありそのなみも見ミせましものを
   右はミギ天平テンピャウノ十八年トヲアマリヤトセ秋アキ九月ナガツキ二十五日ハツカアマリイツカ、越中守コシノ
   ミチノナカノカミ大伴宿禰オホトモノスクネ家持ヤカモチ、遥ハルカに弟イロトの喪モを聞キき、感傷カナシみて作
   ヨめるなり。(巻十七)
 
  忽タチマち枉疾ヤマヒに沈シヅみ、殆ホトホト臨泉路ミウセなむとす。仍カれ歌詞ウタを作ヨみて悲緒
  カナシミを申ノぶるうた並マタ短歌ミジカウタ
大王オホキミの まけのまにまに 丈夫マスラヲの 情ココロふりおこし あしひきの 山坂ヤマサカこ
えて あまさかる ひなにくだりき いきだにも いまだやすめず 年月トシツキも いく
らもあらぬに うつせみの 代ノの人ヒトなれば うちなびき とこにこいふし いたけく
し 日ヒにけに益マサる たらちねの ははのみことの 大船オホフネの ゆくらゆくらに し
たごひに いつかもこむと またすらむ 情ココロさぶしく はしきよし つまのみことも
あけくれば 門カドによりたち ころもでを をりかへしつつ ゆふされば とこうちは
らひ ぬばたまの 黒髪クロカミしきて いつしかと なげかすらむぞ いももせも わか
き児コどもは をちこちに さわぎなくらむ たまほこの みちをたどほみ 間使マヅカヒ
も やるよしもなし おもほしき ことつてやらず こふるにし 情ココロはもえぬ たま
きはる いのちをしけど せむすべの たどきをしらに かくしてや あらしをすらに
なげきふせらむ
 
世間ヨノナカはかずなきものか春花ハルハナの ちりのまがひにしぬべきおもへば
山河ヤマカハのそきへをとほみはしきよし いもをあひみずかくやなげかむ
   右ミギは天平テンピャウノ十九年トヲアマリココノトセ春ハル二月キサラギ二十一日ハツカアマリヒトヒ、越中国
   守コシノミチノナカノクニノカミの館タチにて、病ヤマヒに臥フし悲カナシみ傷イタみて、聊イササか此コの歌ウタ
   を作ヨめり。(巻十七)
 
  二上山フタガミヤマの歌ウタ
いみづがは いゆきめぐれる たまくしげ 布多我美山フタガミヤマは はるはなの さける
さかりに あきの葉ハの にほへるときに 出イで立タちて ふりさけ見ミれば かむから
や そこばたふとき やまからや 見ミがほしからむ すめがみの すそみのやまの し
ぶたにの さきのありそに あさなぎに よするしらなみ ゆふなぎに みちくるしほ
の いやましに たゆることなく いにしへゆ いまのをつつに かくしこそ 見るひ
とごとに かけてしぬばめ
 
しぶたにのさきのありそによするなみ いやしくしくに いにしへおもほゆ
   右ミギは三月ヤヨヒ三十日ミソカ(天平十九年)興コトに依ツけて作ヨめり、大伴宿禰オホトモノ
   スクネ家持ヤカモチ(巻十七)
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