07 巻六
〈雑歌クサグサノウタ・ザフカ〉
冬フユ十月カムナヅキ(神亀二年)難波宮ナニハノミヤに幸イデマせる時トキ、笠朝臣カサノアソミ金村カナ
ムラの作ヨめる歌ウタ並マタ短歌ミジカウタ
おし照テる 難波ナニハの国クニは 葦垣アシガキの 古フりにし郷サトと 人皆ヒトミナの 念オモひ息ヤ
スみて つれも無ナく 有アりし間アヒダに 続麻ウミヲ成ナす 長柄之宮ナガラノミヤに 真木柱マキ
バシラ 太高フトタカ敷シきて 食国ヲスクニを をさめ賜タマへば 奥鳥オキツトリ 味経アヂフの原ハラに
物部モノノフの 八十伴雄ヤソトモノヲは 廬イホリして 都ミヤコ成ナしたり 旅タビにはあれども
反歌カヘシウタ
荒野アラヌらに里サトはあれども大王オホキミの 敷シき坐マす時トキは京師ミヤコとなりぬ(巻六)
山部宿禰ヤマベノスクネ赤人アカヒトの作ヨめる歌ウタ並マタ短歌ミジカウタ
天地アメツチの 遠トホきが如ゴトく 日月ヒツキの 長ナガきが如ゴトく おし照テる 難波ナニハの
宮ミヤに わご大王オホキミ 国クニ知シらすらし 御食ミケつ国クニ 日ヒビの御調ミツギと 淡路アハ
ヂの 野島ヌシマの海子アマの 海ワタの底ソコ 奥オキついくりに 鰒珠アハビタマ さはに潜カヅき
出デ 船フネ並ナめて 仕ツカへ奉マツるし 貴タフトし見ミれば
反歌カヘシウタ
朝アサなぎに梶カヂの音ト聞キコゆみけつ国クニ 野島ヌシマの海子アマの船フネにしあるらし(巻六)
帥カミ大伴卿オホトモノマヘツギミの歌ウタ
やすみしし吾ワが大王オホキミの御食国ヲスクニは 日本ヤマトも此間ココも同オナじとぞ念オモふ(巻六
)
天平テンピャウノ四年ヨトセ壬申ミヅノエサル、藤原フヂハラノ宇合卿ウマカヒノマヘツギミの西海道サイカイダウノ
節度使セツドシに遣ツカハさるる時トキ、高橋タカハシノ連虫麿ムラジムシマロの作ヨめる歌ウタ並マタ短歌
ミジカウタ
白雲シラクモの 龍田山タツタノヤマの 露霜ツユジモに 色イロ附ヅく時トキに うち超コえて 客タビ行
ユく公キミは 五百隔山イホヘヤマ い去ユきさくみ 賊アダ守マモる 筑紫ツクシに至イタり 山ヤマのそ
き 野ヌのそき見ミよと 伴部トモノベを 班アカち遣ツカハし 山彦ヤマビコの 応コタへむ極キハミ
谷潜タニクグの さ渡ワタる極キハミ 国クニかたを 見ミし賜タマひて 冬フユごもり 春ハルさり行ユ
かば 飛鳥トブトリの 早ハヤく来キまさね 龍田道タツタヂの 岳辺ヲカベの路ミチに 丹ニつつじ
の 薫ニホはむ時トキの 桜花サクラバナ 開サきなむ時トキに 山ヤマたづの 迎ムカへ参出マイデむ
公キミが来キまさば
反歌カヘシウタ
千万チヨロヅの軍イクサなりとも言挙コトアゲせず 取トりて来キぬべき男ヲノコとぞ念オモふ
天皇スメラミコト(聖武天皇)酒サケを節度使セツドシノ卿等マヘツギミラに賜タマへる御歌ミウタ並マタ短
歌ミジカウタ
食国ヲスクニの 遠トホの御朝庭ミカドに 汝等イマシラし 如是カク退去マカりなば 平タヒらけく 吾
ワレは遊アソばむ 手抱テウダきて 我ワレは御在イマさむ 天皇スメラ朕ワが うづの御手ミテ以モて
掻カき撫ナでぞ もぎ賜タマふ うち撫ナでぞ ねぎ賜タマふ 還カヘり来コむ日ヒ 相アヒ飲ノまむ
酒キぞ 此コの豊御酒トヨミキは
反歌カヘシウタ
丈夫マスラヲの去ユくとふ道ミチぞ凡オホろかに 念オモひて行ユくな丈夫マスラヲの伴トモ(巻六)
山上臣ヤマノヘノオミ憶良オクラ、痾ヤマヒに沈シヅめる時トキの歌ウタ
士ヲノコやも空ムナしかるべき万代ヨロヅヨに 語カタり続ツぐべき名ナは立タてずして(巻六)
大伴オホトモノ坂上郎女サカノヘノイラツメ、姪ヲヒ家持ヤカモチが佐保サホより西ニシの宅イヘに還カヘるに与
オクれる歌ウタ
吾ワが背子セコが著ケける衣キヌ薄ウスし佐保風サホカゼは 疾イタくな吹フきそ家イヘに及イタるまで(
巻六)
湯原王ユハラノオホキミの祈酒サカホガヒの歌ウタ
焼刀ヤキタチのかどうち放ち丈夫マスラヲの 祷ホぐ豊御酒トヨミケに吾ワレ酔ヨひにけり(巻六)
六年ムトセ(天平)甲戌キノエイヌ、海アマノ犬養宿禰イヌカヒノスクネ岡麿ヲカマロ、応詔歌ミコトノリヲウケタマハリテ
ヨメルウタ
御民ミタミ吾ワレ生イける験シルシあり天地アメツチの 栄サカゆる時トキに相アへらく念オモへば(巻六)
春ハル三月ヤヨヒ、難波宮ナニハノミヤに幸イデマせる時トキの歌ウタ
児等コラしあらば二人フタリ聞キかむを奥渚オキツスに 鳴ナくなる鶴タヅの暁アカトキの声コエ
右ミギは守部王モリベノオホキミの作ヨメルウタ(巻六)
丈夫マスラヲは御狩ミカリに立タたし未通女等ヲトメラは 赤裳アカモすそ引ヒく清キヨき浜ハマびを
右ミギは山部宿禰ヤマベノスクネ赤人アカヒトの作ヨメルウタ(巻六)
八年ヤトセ(天平)丙子ヒノエネ夏ナツ六月ミナヅキ、芳野離宮ヨシヌノトツミヤに幸イデマせる時トキ、山
部宿禰ヤマベノスクネ赤人アカヒト、応詔ミコトノリヲウケタマハリテ作ヨメル歌ウタ並マタ短歌ミジカウタ
やすみしし 我ワが大王オホキミの 見ミし給タマふ 芳野宮ヨシヌノミヤは 山ヤマ高タカみ 雲クモぞた
な引ビく 河カハ速ハヤみ 湍セの声トぞ清キヨき 神カムさびて 見ミれば貴タフトく 宜ヨロしなべ
見ミれば清サヤけし 此コの山ヤマの 尽ツきばのみこそ 此コの河カハの 絶タえばのみこそ 百
モモしきの 大宮所オホミヤドコロ 止ヤむ時トキもあらめ
反歌カヘシウタ
神代カミヨより芳野宮ヨシヌノミヤにあり通カヨひ 高タカ知シらせるは山河ヤマカハを吉ヨみ(巻六)
市原イチハラノ王オホキミ独子ヒトリゴを悲カナしみたまへる歌ミウタ
言コト問トはぬ木キすら妹イモと兄セ有アりとふを ただ独子ヒトリゴに有アるが苦クルしさ(巻六)
十年トトセ(天平)戊寅ツチノエトラ、元興寺グワンコウジの僧ホフシの自ミヅカら歎ナゲく歌ウタ
白珠シラタマは人ヒトに知シらえず知シらずとも よし知シらずとも吾ワレし知シれらば知シらずとも
よし(巻六)
久邇クニの新京ニヒミヤコを讃タタふる歌ウタ並マタ短歌ミジカウタ
明津神アキツカミ 吾ワが皇オホキミの 天下アメノシタ 八島ヤシマの中ナカに 国クニはしも 多オホく有アれ
ども 里サトはしも さはに有アれども 山並ヤマナミの 宜ヨロしき国クニと 川次カハナミの 立タ
ち合アふ郷サトと 山代ヤマシロの 鹿背山カセヤマの際マに 宮柱ミヤバシラ 太敷フトシき奉タてて 高
知タカシラす 布当フタギの宮ミヤは 河近カハチカみ 湍セの音トぞ清キヨき 山近ヤマチカみ 鳥トリが鳴ネ
慟トヨむ 秋アキされば 山ヤマも動響トドロに さ男鹿ヲシカは 妻ツマ呼ヨび響トヨめ 春ハルされば
岡辺ヲカベも繁シジに 巌イハホには 花ハナ開サきををり あなおもしろ 布当フタギの原ハラ い
と貴タフト 大宮処オホミヤドコロ 諾ウベしこそ 吾ワが大王オホキミは 君キミの随マニ 聞キカし賜タマひ
て さす竹タケの 大宮オホミヤ此ココと 定サダめけらしも
反歌カヘシウタ
やま高タカく川カハの湍セ清キヨし百世モモヨまで 神カムしみ往ユかむ大宮所オホミヤドコロ(巻六)
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