06 巻五
〈雑歌クサグサノウタ・ザフカ〉
山上憶良ヤマノヘノオクラ、惑情マドヘルココロを反カヘさしむる歌ウタ並マタ短歌ミジカウタ
父母チチハハを みればたふとし 妻子メコみれば めぐしうつくし よのなかは かくぞこ
とわり もちどりの かからはしもよ ゆくへしらねば うけつぐを ぬぎつるごとく
ふみぬきて ゆくちふひとは いはきより なりでしひとか なが名ナのらさね あめへ
ゆかば ながまにまに つちならば 大王オホキミいます このてらす 日月ヒツキのしたは
あまぐもの むかふすきはみ たにぐくの さわたるきはみ きこしをす くにのまほ
らぞ かにかくに ほしきまにまに しかにはあらじか
反歌カヘシウタ
ひさかたのあまぢはとほしなほなほに いへにかへりてなりをしまさに(巻五)
山上憶良ヤマノヘノオクラ、子等コラを思シヌぶ歌ウタ並マタ短歌ミジカウタ
うりはめば こどもおもほゆ くりはめば ましてしぬばゆ いづくより きたりしも
のぞ まなかひに もとなかかりて やすいしなさぬ
反歌カヘシウタ
銀シロガネも金コガネも玉タマもなにせむに まされるたからこにしかめやも
山上憶良ヤマノヘノオクラ、鎮懐石チンクワイセキを詠ヨめる歌ウタ並マタ短歌ミジカウタ
かけまくは あやにかしこし 多良志日女タラシヒメ かみのみこと からくにを むけたひ
らげて みこころを しづめたまふと いとらして いはひたまひし またまなす ふ
たつのいしを 世ヨの人ヒトに しめしたまひて よろづよに いひつぐかねと わたのそ
こ おきつふかえの うなかみの こふのはらに みてづから おかしたまひて かむ
ながら かむさびいます くしみたま いまのをつつに たふときろかも
あめつちのともにひさしくいひつげと このくしみたましかしけらしも(巻五)
筑前国ツクシノミチノクチノクニノ司ミコトモチ山上憶良ヤマノヘノオクラ、熊凝クマゴリの為タメに其ソの志ココロザシ
を述ノぶるに和ワする歌ウタ
うちひさす 宮ミヤへのぼると たらちしや ははがてはなれ 常ツネしらぬ 国クニのおく
かを 百重山モモヘヤマ 越コえてすぎゆき いつしかも 京師ミヤコをみむと おもひつつ か
たらひをれど おのが身ミし いたはしければ 玉桙タマホコの 道ミチのくまみに くさたを
り しばとりしきて とこじもの うちこいふして おもひつつ なげきふせらく 国
クニあらば 父チチとりみまし 家イヘにあらば 母ハハとりみまし 世間ヨノナカは かくのみな
らし いぬじもの 道ミチにふしてや いのちすぎなむ
たらちしのははがめみずておほほしく いづちむきてかあがわかるらむ
家イヘにありてははがとりみばなぐさむる こころはあらまししなばしぬとも
出イでてゆきし日ヒをかぞへつつけふけふと あをまたすらむちちははらはも
一世ヒトヨには二遍フタタビみえぬちちははを おきてやながく相アヒ別ワカれなむ(巻五)
山上憶良ヤマノヘノオクラ、貧窮ヒンキュウ問答モンダフの歌ウタ並マタ短歌ミジカウタ
風カゼ雑マジり 雨アメふるよの 雨アメ雑マジり 雪ユキふるよは 為スべもなく 寒サムくしあ
れば 堅塩カタシホを 取トりつづしろひ 糧湯酒カスユザケ うちすすろひて しはぶかひ 鼻
ハナひしびしに しかとあらぬ ひげかき撫ナでて あれおきて 人ヒトはあらじと ほころ
へど 寒サムくしあれば 麻被アサブスマ 引ヒきかがふり 布ヌノかた衣ギヌ ありのことごと
きそへども 寒サムき夜ヨすらを われよりも 貧マヅしき人ヒトの 父母チチハハは 飢ウゑ寒サム
からむ 妻子等メコドモは 乞コひて泣ナくらむ 此コの時トキは いかにしつつか 汝ナが代ヨ
はわたる 天地アメツチは ひろしといへど あがためは 狭サくやなりぬる 日月ヒツキは
あかしといへど あがためは 照テりやたまはぬ 人皆ヒトミナか 吾ワレのみやしかる わく
らばに ひととはあるを ひとなみに あれも作ナレるを 綿ワタもなき 布ヌノかた衣ギヌの
みるごとく わわけさがれる かがふのみ 肩カタに打ウち懸カけ ふせいほの まげいほ
の内ウチに 直土ヒタツチに 藁ワラ解トき敷シきて 父母チチハハは 枕マクラのかたに 妻子メコどもは
足アトの方カタに 囲カクみ居イて 憂ウレひ吟サマヨひ かまどには 火気ケブリふきたてず こし
きには くものすかきて 飯イヒ炊カシぐ 事コトもわすれて ぬえ鳥ドリの のどよび居ヲる
に いとのきて 短ミジカき物モノを はしきると 云イへるが如ゴトく 楚シモト取トる さと
をさがこゑは 寝屋ネヤどまで 来キ立タち呼ヨばひぬ かくばかり すべなきものか 世間
ヨノナカの道ミチ
世間ヨノナカをうしとやさしとおもへども 飛トび立タちかねつ鳥トリにしあらねば(巻五)
山上憶良ヤマノヘノオクラ、好去好来カウキョカウライの歌ウタ並マタ反歌カヘシウタ
神代カミヨより 云イヒ伝ツてけらく 虚ソラ見ミつ 倭国ヤマトノクニは 皇神スメガミの いつくしき
国クニ 言霊コトダマの さきはふ国クニと かたり継ツぎ いひつがひけり 今イマの世ヨの 人
ヒトもことごと 目メの前マヘに 見ミたり知シりたり 人ヒトさはに 満ミちてはあれども 高
光タカヒカる 日御朝庭ヒノミカド 神カムながら 愛メデの盛サカリに 天下アメノシタ 奏マヲしたまひし
家イヘの子コと 撰エラびたまひて 勅旨オホミコト 戴イタダき持モちて 唐モロコシの 遠トオき境サカヒ
に つかはされ まかりいませ うな原バラの 辺ヘにも奥オキにも 神カムづまり うしは
きいます 諸モロモロの 大御神等オホミカミタチ 船フナの舳ヘに 道引ミチビきまをし 天地アメツチの
大御神等オホミカミタチ 倭ヤマトの 大国霊オホクニミタマ ひさかたの あまのみそらゆ あまがけり
見渡ミワタしたまひ 事了コトヲハり 還カヘらむ日ヒには 又マタ更サラに 大御神等オホミカミタチ 船フナ
の舳ヘに 御手ミテ打ウち掛カけて 墨縄スミナハを はへたるごとく あちかをし 智可チカの岬
サキより 大伴オホトモの 御津浜ミツノハマびに ただ泊ハテに み船フネは泊ハてむ つつみ無ナく
さきくいまして 速ハヤ帰カヘりませ
反歌カヘシウタ
大伴オホトモの御津ミツの松原マツカゼかき掃ハきて われ立タち待マたむ速ハヤ帰カヘりませ
難波津ナニハヅにみ船フネ泊ハてぬと聞キコえこば 紐ヒモ解トきさけてたちはしりせむ
天平テンピャウノ五年イツトセ三月ヤヨヒ一日ツイタチ
山上憶良ヤマノヘノオクラ、謹ツツシみて大唐モロコシニツカハサルル大使卿ツカヒノカミノマヘツギミの記室キシツに
上タテマツる。(巻五)
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