02 巻一
 
                     参考:大倉精神文化研究所発行「神典」
 
                    本稿においては漢字は新漢字を用いるなど、
                   いくつかの文言や字体を変えましたので、予
                   めご了承下さい。         SYSOP
 
〈雑歌クサグサノウタ・ザフカ〉
 
 泊瀬ハツセ朝倉宮アサクラノミヤニ御宇アメノシタシロシメシシ天皇スメラミコト(雄略天皇)の代ミヨ
 
  天皇スメラミコトの御製歌オホミウタ
篭コもよ み篭コもち ふぐしもよ みふぐし持モち 此コの丘ヲカに 菜ナ採ツます児コ 家イヘ
きかな 名ナ告ノらさね 虚ソラ見ミつ 山跡ヤマトの国クニは 押オしなべて 吾ワレこそ居ヲれ 
しきなべて 吾ワレこそ坐マせ 我ワレこそは告ノらじ 家イヘをも名ナをも(巻一)
 
 高市タケチノ崗本宮ヲカモトノミヤニ御宇アメノシタシロシメシシ天皇スメラミコト(舒明天皇)の代ミヨ
 
  天皇スメラミコト、香具山カグヤマに登ノボりて望国クニミしませる時トキの御製歌オホミウタ
やまとには むら山あれど、取トリよろふ 天アメの香具山カグヤマ のぼり立ち 国見クニミを
為スれば 国原クニバラは 煙ケブリたちたつ 海原ウナバラは かまめたちたつ うまし国ぞ 
蜻島アキツシマ やまとの国は(巻一)
 
  天皇スメラミコト、内野ウチヌに遊猟ミカリしたまへる時トキ、中皇命ナカチスメラミコト、間人連老ハシヒトノ
  ムラジオユをして献タテマツらしめたまふ歌ミウタ
やすみしし 我ワが大王オホキミの 朝アシタには 取撫トリナで賜タマひ 夕ユウベには い縁ヨり立タ
たしし 御執ミトらしの 梓弓アヅサユミの なが弭ハズの 音オトすなり 朝猟アサカリに 今イマ立
タたすらし 暮猟ユフカリに 今たたすらし 御執ミトらしの 梓弓アヅサユミの なが弭ハズの 
音オトすなり
 
   反歌カヘシウタ
たまきはる内ウチの大野オホノに馬ウマなめて 朝アサふますらむ其ソの草深野クサフカヌ(巻一)
 
  讃岐国サヌキノクニ安益郡アヤノコホリに幸イデマせる時トキ、軍王山イクサノオホキミヤマを見て作ヨみたまへ
  る歌ミウタ
霞カスミ立つ 長き春日ハルヒの 晩クれにける わづきもしらず むらさきの 心ココロを痛イタ
み奴要子鳥ヌエコドリ うら歎ナゲ居ヲをれば 珠手次タマダスキ 懸カけのよろしく 遠神トホツカミ
吾ワが大王オホキミの 行幸イデマシの 山越風ヤマコシノカゼの 独ヒトリ坐ヲる 吾が衣手コロモデに 朝
夕アサヨヒに 還カヘらひぬれば 丈夫マスラヲと 念オモへる我ワレも 草枕クサマクラ 客タビにしあれ
ば 思オモひ遣ヤる たづきをしらに 網浦アミノウラの 海処女等アマヲツメラが 焼ヤく塩シホの 念
オモひぞ焼くる 吾が下情シタゴコロ
 
   反歌カヘシウタ
山越ヤマコシの風カゼを時トキじみ寝ヌる夜ヨおちず 家イヘなる妹イモを懸カけてしぬびつ(巻一)
 
 後ノチノ崗本宮ヲカモトミヤノ御宇アメノシタシロシメシシ天皇スメラミコト(斉明天皇)の代ミヨ
 
  中皇命ナカチスメラミコト、紀伊キの温泉ユに往イデませる時の御歌ミウタ
君キミが代ヨも吾ワが代ヨも知シれや磐代イハシロの 岡ヲカの草根クサネをいざ結ムスびてな(巻一)
 
 藤原宮フヂハラノミヤニ御宇アメノシタシロシメシシ天皇スメラミコト(持統天皇)の代ミヨ
 
  近江アフミの荒都アレタルミヤコを過スグる時トキ、柿本朝臣カキノモトノアソミ人麿ヒトマロの作ヨめる歌ウタ
玉手次タマダスキ 畝火之山ウネビノヤマの 橿原カシハラの 日知ヒジリの御世ミヨゆ あれましし 神
カミの尽コトゴト 樛木ツガノキの 弥イヤ継ツぎ嗣ツぎに 天下アメノシタ 知シロしめししを 天ソラに満
ミつ 倭ヤマトをおきて 青丹吉アヲニヨシ 平山ナラヤマを越コえ 何方イカサマに 天離アマサカる 夷ヒナ
にはあれど 石走イハバシる 淡海国アフミノクニの 楽浪ササナミの 大津宮オホツノミヤに 天下アメノシタ
知シロしめしけむ 天皇スメロギの 神カミのみことの 大宮オホミヤは 此間ココと聞キけども 大
殿オホトノは 此間ココと云イへども 春草ハルクサの 茂シゲく生オひたる 霞カスミ立つ 春日ハルヒの
霧キれる 百磯城モモシキの 大宮オホミヤ処ドコロ 見れば悲カナしも
 
   反歌カヘシウタ
楽浪ササナミの思賀シガの辛崎カラサキ幸サキくあれど 大宮人オホミヤビトの船フネまちかねつ
ささなみの志我シガの大オホわだよどむとも 昔ムカシの人ヒトに亦マタも相アはめやも
 
  吉野宮ヨシヌノミヤに幸イデマせる時、柿本朝臣カキノモトノアソミ人麿ヒトマロの作ヨめる歌ウタ
やすみしし 吾が大王オホキミの 聞食キコシメす 天下アメノシタに 国クニはしも さはにはあれど
山川ヤマカハの 清キヨき河内カフチと 御心を 吉野ヨシヌの国クニの 花ハナ散チらふ 秋津アキツの野
辺ヌベに 宮柱ミヤバシラ 太敷フトシき坐マせば 百磯城モモシキの 大宮人オホミヤビトは 船フネ並ナめ
て 旦川アサカハ渡ワタり 舟競フナキホひ 夕川ユフカハ渡ワタる 此コの川カハの 絶タゆる事コトなく 
此コの山ヤマの 弥高イヤタカからし 水ミヅ激ハシる 滝タキのみやこは 見ミれど飽アかぬかも
 
   反歌カヘシウタ
見れど飽アかぬ吉野ヨシヌの河カハの常滑トコナメの 絶タゆること無ナく復マタ還カヘり見ミむ
 
やすみしし 吾ワが大王オホキミ 神カムながら 神カムさびせすと 吉野川ヨシヌガハ たぎつ河内
カフチに 高殿タカトノを 高知タカシり坐マして 上ノボり立タち 国見クニミをすれば 畳タタナはる 
青垣山アヲガキヤマ 山神ヤマツミの 奉マツる御調ミツギと 春ハルべは 花挿頭ハナカザし持モち 秋アキ
立タてば 黄葉モミヂかざせり 遊副川ユフカハの 神カミも 大御食オホミケに 仕ツカへ奉マツると 
上カミつ瀬セに 鵜川ウガハを立て 下シモつ瀬セに 小網サデさし渡ワタし 山川ヤマカハも 依ヨり
て奉ツカふる 神の御代ミヨかも
 
   反歌カヘシウタ
山川ヤマカハも因ヨりて奉ツカふる神カムながら たぎつ河内カフチに船出フナデ為スるかも(巻一)
 
  伊勢国イセノクニに幸イデマせる時トキ、当麻タギマノ真人麿マヒトマロの妻ツマの作ヨめる歌ウタ
吾ワがせこは何所イヅク行ユくらむおきつ藻モの 隠ナバリの山ヤマを今日ケフか越コゆらむ(巻一)
 
  軽皇子カルノミコの安騎野アキノに宿ヤドりませる時トキ、柿本朝臣カキノモトノアソミ人麿ヒトマロの作ヨめ
  る歌ウタ
やすみしし 吾ワが大王オホキミ 高照タカテラらす 日之皇子ヒノミコ 神カムながら 神カムさびせす
と 太敷フトシかす 京ミヤコを置オきて 隠口コモリクの 泊瀬山ハツセノヤマは 真木マキ立タつ 荒山
道アラヤマミチを 石イハが根ネの 禁樹シモト押オし靡ナべ 坂鳥サカトリの 朝越アサコえまして 玉タマき
はる 夕ユフさり来クれば み雪ユキ落フる 阿騎アキの大野オホヌに 旗ハタすすき しのを押し靡
ナべ 草枕クサノクラ たびやどりせす 古昔イニシヘ念オモひて
 
   短歌ミジカウタ
阿騎アキの野ヌに宿ヤドる旅人タビビトうち靡ナビき 寝イも宿ネらめやも古イニシヘ念オモふに(巻
一)
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