26 聖書の紀元/新約聖書の虚と実
聖書の紀元/新約聖書の虚と実
参考:講談社発行「聖書の起源」
〈福音書の原型〉
新約聖書には,一つの大きな謎があります。それは,人間イエスが如何にして救い主
キリストとなったか,です。何故にこのことが謎なのかと云えば,歴史家の眼からしま
すと,イエスは全くのところユダヤ教の預言者,或いは屡々奇跡や病気なおしを行うユ
ダヤの教師(ラビ)として,人々の前に姿を現し,十字架の上に死んで行ったに過ぎな
いからです。
彼が群衆を前にして語った"教え"は,当時のユダヤ預言者達の枠を超えるものではあ
りませんでした。彼はただ,神の国について,天の父なる神について語ったに過ぎませ
ん。ですから彼が十字架の上にどれ程悲惨な最期を遂げたとしても,それすら一人の人
間の崇高ではあるが,その故にかえって悲劇的な死以外の何ものでもありませんでした。
歴史家の眼は,こうイエスを捉えます。そうしますと,新約聖書に記されている,殆ど
必死にに近い神の子・イエスの告白と証言は,全く以て謎に包まれてしまいます。
イエスの使命は,天の父なる神について,来るべき神の国について,人々に告知する
という,ただその事だけにあった筈です。それが逆にイエス自身が,「告知されるもの
」となったのです。「告知するもの」から「告知されるもの」へのこの転倒は,何故に
起こったのでしょうか。何故に原始教団は,イエスの語った事柄にではなく,「イエス
が語った」という事実に彼等の関心を凝らしたのでしょうか。何故にヨハネやパウロは,
イエスの語った告知の内容を大胆に無視してまで,イエスの告知の事実だけに,全関心
を集中したのでしょうか。
このことは,その原初の様式を,共同体の「祭り」にみることができます。共同体は,
キリストの「祭り」を中心に結集し,「祭り」において,キリストの生涯を彷彿ホウフツと
想起したのでした。福音書は,「祭り」において朗誦される祭文サイモンだったのでした。
マルコ福音書に織り込められた簡潔なイエスの言葉は,その原型を示しています。
「人の子は必ず多くの苦しみを受け,(ユダヤ教の)長老,祭司長,律法学者達に捨
てられ,また殺され,そして三日の後によみがえる」と。
このイエスの言葉は,使徒行伝にみられる2,3の説教体の伝承と内容的に一致して
います。次の引用は,ペテロの説教の一節です。
「イスラエルの人たちよ,今わたしの語ることを聞きなさい。あなたがたがよく知っ
ているとおり,ナザレ人イエスは,神が彼をとおして,あなたがたの中で行われた数々
の力あるわざと奇跡としるしとにより,神からつかわされた者であることを,あなたが
たに示されたかたであった。このイエスが渡されたのは神の定めた計画と予知とによる
のであるが,あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した。神はこのイエ
スを死の苦しみから解き放って,よみがえらせたのである」。
恐らく「祭り」は,説教者が語るイエスの受難と死,そして復活の証言によって頂点
に達し,会衆の心に以前にも勝る追憶と,新たな決意を高めて行ったに相違ありません。
マルコ福音書の記録するイエスの「最後の晩餐」は,そのまま共同体の「主の聖餐」
の儀式の模様を伝えています。それは,死と再生(復活)の祭りでした。
「一同が食事をしているとき,イエスはパンを取り,祝福してこれをさき,弟子たち
に与えて言われた。『取れ,これはわたしのからだである』。また杯を取り,感謝して
彼らに与えられると,一同はその杯から飲んだ。イエスはまた言われた。『これは,多
くの人のために流すわたしの契約の血である』。
この物語では,これが地上におけるイエスの最後の食事ということになっています。
筋立てから云えば当然,これは別離の杯サカズキです。ところが不思議なことに,この別離
の動機と,神との契約の動機が添加されているのです。というよりも,既にイエスの食
事全体が,神との契約のための祭儀行為なのです。それは,血の儀式からなっていたの
です。
この最後の晩餐は,イスラエルの「過越(ペサハ)」の祭りとあまりに酷似している
ことに驚かざるを得ません。
即ちヘブル(イスラエル)人のエジプト脱出に当たって,ヤハウェがモーセを通して
エジプトに災害をもたらしました。その際ヤハウェは,ニサン月14日(春3月,或いは
4月の満月の夜)に,エジプト中の全生物の初子ウイゴを殺す決心をしました。ただし,
入口の鴨居と柱に犠牲の子羊の血が塗ってあるヘブル人の家だけは"過ぎ越す"と約束し
ました。これが過越スギコシ祭(ペサハ)の起こりです。
ペサハの祭りはモーセ以前においては,パレスチナ − シリアの遊牧民に伝わる魔除
マヨケに絡んだ夜の祭りでした。悪魔は「初子ウイゴ」を狙って,夜やってきます。その襲来
に備えて,人々はベドウイン(駱駝だけを遊牧する完全な遊牧民)の常食する「種入れ
ぬパン(パン種を用いないパン)と高地の苦い野菜を食べ,羊を屠ホフり,その血を天幕
の入口に塗らねばなりません。祭りは元来,遊牧民が夏の牧草地に向かって移動する前
夜の祭儀でした。時は春分に最も近い満月の夜です。祭りは,「種入れぬパン」の食事
と血の儀式からなっていました。
ところがモーセ以後,この祭りは本来の意味を失って行きました。イスラエルがカ
ナン定住後,即ち遊牧民から農耕民への移行の過程において,祭りの主題も,「新しい
牧草地への安全な移動」の祭りから,「農耕地を確保し収穫を祈願する」祭りに移行し
て行った,と云われています(以上再掲)。
イスラエルのペサハの祭りと,イエスの最後の晩餐との相違点は,ただ一点のみです。
ペサハの祭りの動物供犠では,屠られるのは初子ウイゴの子羊でしたが,主の晩餐では,
正にイエス自身である,ということなのです。
原始教会は「主の聖餐」の場において,使徒の朗誦するイエスの別離言葉に耳を傾け,
十字架のイエスに屠りの子羊そのものを見たのです。イエスから流れ出る「血」は,全
ての厄ワザワイから人々を隔離します。「血」はその契約の印シルシなのです。キリスト共同
体は,キリストの「血」による,キリストの「身体カラダ」の共同体でした。この「身体
」が,「復活の身体」であることによって,キリスト共同体は,古いイスラエル共同体
からの訣別ケツベツでした。
「時間になったので,イエスは食卓につかれ,使徒たちも共に席についた。イエスは
彼らに言われた,『わたしは苦しみを受ける前に,あなたがたとこの過越の食事をしよ
うと,切に望んでいた。あなたがたに言って置くが,神の国で過越が成就する時までは,
わたしは二度と,この過越の食事をすることはない』。そして杯を取り,感謝して言わ
れた,『これを取って,互に分けて飲め。あなたがたに言っておくが,今からのち神の
国が来るまでは,わたしはぶどうの実から造ったものを,いっさい飲まない』」。この
ようにルカ福音書では,イエスは,最後の晩餐を「過越」の食事と呼んでいます。しか
しイエスはこの「食事」が,イエスの地上における最後の「食事」となるべきことを預
言してしているのです。「神の国で過越が成就する」まで,「神の国が来る」まで,再
び食べないとイエスは言うのです。としますと,原始教団の執行する主の聖餐の祝祭は,
神の国が既に到来した,その結果再開された食事,要するに新しい食事ということにな
ります。
それは,最早イスラエル的「過越」の食事ではありません。復活の歓喜(ユーベル)
の食事なのです。ルカ福音書は,弟子達が復活の日,エマオの村で経験した不思議な出
来事について語っています。
それは,正に復活のイエスとの食事です。別離の悲しみは,一瞬にして歓喜に変わり
ました。ルカ福音書は云います。「彼らは,イエスを拝し,非常な喜びをもってエルサ
レムに帰った」と。
このことは,宗教史的にみると,初期キリスト教史は,カナンの再生の神々が,復活
の花婿キリスト像に集合し,受難と復活の祭りを通して,福音書に結晶化していく歴史
であったのです。
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