25 聖書の起源/治療神イエスの登場
 
            聖書の起源/治療神イエスの登場
 
                             参考:講談社発行「聖書の起源」
 
〈カナンの神々〉
 紀元前20世紀頃に全盛時代であったウガリット文化は,同14世紀頃東地中海を襲った
大地震によって崩壊,その後「海の民(ペリシテ)」の侵入によって同12世紀に完全に消滅
してしまいました。
 1928年シリアの「ういきょうの丘ラス・シャムラ」で発見された粘土板には,ウガリット語で
『バァル神話』が書かれていました。この神話には,豊穣の神々バァルなど数々のカナ
ンの神々が登場します。
 バァル神話は,豊穣の神バァルと,弟で火の空で以て大地をカラカラに干し上がらす
神モトの戦いの物語です。物語の骨子は,バァルが倒れるとモトが支配し,モトが倒れ
るとバァルが支配するというものです。この交替のドラマの中で,雨季と乾季が交替,
つまり播種の季節に収穫の季節が継起するということです。バァルの再生は雨季の開始,
モトの支配は収穫後の乾季の開始なのです。即ち季節の交替のドラマなのです。このよ
うに古代オリエントの農耕社会は,死と再生の儀礼によって一つに結合されていたので
す。
 
 その後,死と再生を演じた男神が,やがて驚異と不思議の病気なおしに活躍するとき
がきます。時代は下ってアレクサンダーの東征(紀元前334年)以降,ポリス国家に支え
られたギリシアの古典的世界の没落から,ローマの覇権が地中海世界に確立する約300年
間,いわゆるヘレニズムの時代に相当します。
 この時代は,宗教的にみると遊行ユギョウする神々の競合と葛藤の時代であったとも云わ
れています。都市国家の崩壊の結果,守護神の地位を失ったポリスの神々が,故郷を喪
失した人間達のように,各地を彷徨し始めたのです。驚異と病気なおしの神々は,古風
な死と再生の神の痕跡に加えて,彷徨し遊行する神として活躍します。
 この活躍は,古代フェニキアのエシュムン神や,エピダウロスの驚異の治療神アスク
レピオスに明瞭にみることができます。取り分けアスクレピオスは,如何にも不思議な
再生と復活の神であり,彷徨し遊行する驚異と奇跡の病気なおしの神でした。
 
〈病気なおしの神々〉
 紀元前2世紀頃の地中海世界において,フェニキアの緋衣は高貴と権力の象徴でした。
この時代フェニキアにはエシュムンという神がおり,蛇を従えて立っていました。神は,
冥界から地上界への還帰という再生ドラマの中で,脅威的な病気なおしをして遊行して
いた,と考えられております。
 エピダウロスのアスクレピオスは紀元前5世紀頃から,アテネや,ローマ,ペルガモ
ンなどの都市を襲った疫病の鎮圧に目覚ましい活躍をしました。これらのヘレニズム世
界では,紀元2世紀頃には当時形骸化しつつあったオリンポスの神々に取って替わって,
エピダウロスのアスクレピオスは新興守護神として確実にその名を広めていきました。
アスクレピオスは不思議な力を用いて病人を癒イヤし,人々の驚きと喝采を博し,奇跡を
行う神様でした。それは難産の神であり,不妊の神であり,中風,盲目,不眠,肺病,
胃病,戦傷,その他何でもなおす万病の神でした。アスクレピオスは,不気味な蛇を杖
に絡ませて,町から町へ,村から村へ,病人を訪ね歩く姿は,"死者の霊"のようでもあ
り,大地から抜け出してきた"地の霊"のようでもありました。
 
 一方新約聖書福音書にも,エピダウロスのアスクレピオスのそれに匹敵する,豊かな
病気なおしの記録があります。記録にみる限り,イエスもまた,フェニキアのエシュム
ン神やエピダウロスのアスクレピオ神と同様に,古代世界に出現した病気なおしの神様
だったのです。そして病気なおしの超能力に関しては,アスクレピオスもエシュムンも
イエスも,同次元であったのです。
 
〈イエスの奇跡を巡る謎〉
 旧約聖書出エジプト記には「魔法使の女は,これを生かしておいてはならない」,同
レビ記には「男又は女で,口寄せ,又は占いをする者は,必ず殺されねばならない。即
ち,石で撃ち殺さなければならない・・・・・・」,また申命記には「占いをする者,卜者,
易者,魔法使,呪文を唱える者,口寄せ,かんなぎ,死人に問うことをする者」などの
禁止規定が記されています。
 しかし,イエスの驚異の病気治しは,その不可思議な呪文や魔法の使用は言わずもが
な,全体として,当時のユダヤの最高法院に対する無謀な挑戦であったにも拘わらず,
奇妙なことに,福音書にはイエスの奇跡の癒しに関する告発が記されていないのです。
 イエスの扱われた病気治しは,実は,アスクピレオス神などの治療の対象とならない,
即ち通常の治療において扱うことを禁止されている,悪霊憑きや癲癇や癩など宗教的な
禁忌(タブー)に触れる病気なのでした。
 
 福音書とは,新約聖書の中において,イエス・キリストの生涯や教訓を記録したもの
です。四つの福音書のうち,最古のマルコ福音書の成立が紀元後60年代,マタイ福音書
とルカ福音書が80年代,ヨハネ福音書は80年から90年代と云われています。
 ヨハネ福音書を除く三つの福音書に,イエスの病気治しの話が併せて115話記されてい
ます。ナザレのイエスが,福音書に記されているような不思議な仕方で,驚異のなおし
が本当にあったのでしょうか。他の治療神や医師達が見放した不治の病の患者に対し,
本当になおしの奇跡をされたのでしょうか。
 
 新約聖書マルコ福音書には,次のようなことが記されています。
 「夕暮れになり日が沈むと,人々は病人や悪霊に憑ツかれた者を皆,イエスのところに
連れてきた。こうして,町中の者が戸口に集まった。イエスは,様々の病を患っている
多くの人々を癒イヤし,また多くの悪霊を追い出された」。
 「一人のらい病人が,イエスのところに来て,跪ヒザマヅいて言った。『みこころでし
たら,きよめていただけるのですか』。イエスは深く憐れみ,手を伸ばして彼に触り,
『そうしてあげよう。きよくなれ』と言われた。すると,らい病が直ちに去って,その
人はきよくなった」。
 またマタイ福音書には,「悪霊に憑かれた二人の者が,墓場から出てきてイエスに出
会った。彼等は手に負えない乱暴者で,誰もその辺の道を通ることができないほどであ
った。すると突然,彼等は叫んで言った。『神の子よ,あなたは私共と何の係わりがあ
るのです。未だその時ではないのに,ここの来て,私共を苦しめるのですか』。さて,
そこから遥か離れたところに,おびただしい豚の群れが飼ってあった。悪霊共はイエス
に願って言った,『もし私共を追い出されるのなら,あの豚の群れの中に遣わして下さ
い』。そこで,イエスが『行け』と言われると,彼等は出て行って,豚の中へ入り込ん
だ。すると,その群れ全体が,崖から海へ雪崩を打って駆け下り,水の中で死んでしま
った」。
 
 預言者ヨハネから洗礼を受けたイエスは,宣教のため町へ向かいました。ユダヤの辺
境の地ガラリアには,貧しい多くの民衆,悪霊にとり憑かれた者,らい病人,足なえ,
罪ある女・・・・・がいました。
 マルコ福音書でイエスは言う。「丈夫な人には医者は要らない。要るのは病人である。
私が来たのは義人を招くためではなく,罪人を招くためである」。
 イエスの病気なおしは,病気故に社会の最下層に置かれ,人々から差別され,生きな
がら死骸のように社会から拒否されていた人々を,一挙に正(プラス)の価値に向かっ
て転回させる「力」を持っていたのでした。治療神イエスの超能力は,こうした「言葉
」の中に,その驚異の秘密があったと云われているのです。
 
 その後西暦313年,世に知られるコンスタンティヌスの宗教寛容令(ミラノ勅令)によ
って,それまで非合法化されていたキリスト教が,ローマやアテネの各都市で市民権を
獲得し,公然と布教活動を開始したとき,それは同時に,都市化に伴う悪疫の流行に苦
しむ民衆に対する,活溌な治療活動の解禁をも意味していました。
 キリスト教の公認は,一方においてこうした医療行為の正当な承認と一つになってい
たのです。
 前述のようにギリシャなど当時のこの地域では,治療神アスクレピオスなどを神殿に
祀って崇拝していました。その頃の「高貴な哲学者達」である,驚異と不思議の病気な
おしに携わっていた神殿治療の祭司団,つまり神殿医師団は,キリスト教の公認と同時
に,神殿と共に破壊され,追放されました。

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