24a 聖書の起源/イスラエル王国の興亡
 
〈士師時代からイスラエル王国の崩壊へ〉
 ヨシュアに続く次の時代は,士師シシの時代と呼ばれています。士師とは,部族内部の
有力な指導者を指し,本来の職能は十二部族宗教連合の集会において,人々に契約と律
法の忠実な履行を促し,それを監視することにありました。屡々宗教的,或いは軍事的
指導者としての役割をも担っていました。部族間連合は,こうした士師達の力によって
支えられていました。
 この時代は,ヨシュアのカナン侵入に続く初期の農耕時代から,イスラエル王国形成
に向かうまでの約200年で,紀元前1200年から1000年の時期に相当します。
 数世紀に亘って繰り返された解放闘争は終結し,新しい生活が始まっていました。イ
スラエルは,カナンの各地に子孫を増やし,緑の耕地を拡大しました。野にはオリーブ
の木が茂り,イチジクの木が実を結び,ブドウの蔦が花開いていました。イスラエルの
子等は,最早戦争を知らなくなりました。
 頃は,イスラエル王国が結成され,ダビデやソロモンの栄華を極めた時代です。イス
ラエルの民が,異邦の民カナン人ビトとの間に住み着いて,異邦の神バァルへ傾斜して行
きました。つまりそこでは沃地宗教がヤハウェ宗教化し,逆にまた,砂漠的なヤハウェ
宗教が沃地宗教化したのでした。預言者達は,この似て非なるバァル的ヤハウェ主義を
攻撃しました。天の父なる神ヤハウェを唯一の神とするイスラエル宗教と,「豊穣の女
神」,「大地の母」を賛美するカナンの神々の信仰,つまり多神教である沃地宗教とは,
真っ向から対立するものがあるからです。
 
 「イスラエル人ビトがカナンの住民と契約を結び,彼らの神の祭壇を破壊することをた
めらった(士師記)」。
 「イスラエルの人々は,主の前に悪を行ない,バァルとアシュタロテにつかえた(士
師記)」。
 
 預言者達の徹底したバァル神批判は,文化史的にみた場合,カナンの農耕文化の基本
原理に対する挑戦であったとも云うことができます。
 沃地宗教のヤハウェ宗教化と,砂漠的なヤハウェ宗教の沃地宗教化の二つの交錯する
一本の線の上に,キリスト教成立の地平が拓かれてきます。そこに,『旧約聖書』から
『新約聖書』への移行の謎があるのです。
 
〈預言者の活躍〉
 紀元前1000年頃のダビデ王と,同950年頃のソロモン王の時代は,イスラエルの歴史の
絶頂でした。その後紀元前721年,アッシリアの軍隊がイスラエル王国の都サマリアへ侵
入し,ここにイスラエル王国は滅びました。
 この間の紀元前9世紀のイスラエルの預言者がエリア,同8世紀のユダの預言者がイ
ザヤです。預言者とは,神の声を聞くことができ,イスラエル人達が誤って道に迷った
ときや,大きい危機に曝されたときに現れ,民族を励まして正しい道に立ち返らせ,国
を救ってきた人達です。
 
 イザヤは預言し始めました。若い婦人からメシヤ(救世主)が生まれると。聖書では,
これは700年後のキリストの誕生を預言したものとされています。

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