23a 聖書の起源/モーセの十誡
〈モーセの十誡〉
出エジプト記シナイ顕現伝承において,次のように記述されています。
エジプト脱出の日から数えて,丁度3ケ月の同じ日,シナイ山の山頂において神はモ
ーセに現れました。神は,契約締結を求めて,モーゼに現れたのです。もしもイスラエ
ルが,神に対して絶対の服従を誓うなら,神は,その所有する全地を悉くイスラエルに
与える,というものです。正にイスラエルは,アブラハム以来の宿願である「土地取得
」と引き替えに,神への絶対服従を求められたことになるのです。
モーセは山を下りて,麓に宿営している民に,この神の要求を告げました。民は,異
口同音に「われわれは,主の言われたことのみを行います」と答えました。契約締結に
必要な合意が整えられたのです。
それから3日目の朝,雷と稲妻と,厚い雲とが山を包み,ラッパの音が高々と響き渡
る中を,神は再びモーセに顕現しました。
「わたしはあなたの神,主であって,あなたをエジプトの地,奴隷の家から導き出し
た者である」という宣言に続いて,律法の告知がありました。
「あなたは私に対して他の神をもってはならない。
あなたはあなた自身のために像を造ってはならない。
あなたはあなたの神ヤハウェの名をみだりに唱えてはならない。
安息日を聖日として記憶せよ。
あなたの父とあなたの母を敬え。
あなたは殺してはならない。
あなたは姦淫してはならない。
あなたは盗んではならない。
あなたはあなたの友人に対して偽証を立ててはならない。
あなたはあなたの友人の家を欲しがってはならない」。
イスラエルの民は異口同音に,「わたしたちは,それをみな行います」と誓って云い
ました。
神との契約締結が重大視されるのは,実はそれが,イスラエルの平和(シャーローム
)にとって,必要不可欠の前提であった,とみる説もあります。この「契約」なしに,
イスラエルの平和は有り得ませんでした。契約と平和とは,ここでは殆ど同義語であっ
たのです。
平和とは通常,争いのない状態,或いは心の平静な状態を意味しますが,ヘブライ語
の意味するシャーロームとはそうした状態とは全く逆に,力のみなぎり溢れた動的な状
態を指しているのです。しかもそれは決して,精神の領域だけに限りません。物質的に
も経済的にも政治的にも,屡々軍事的にさえも,そうであるのです。シャーロームは,
全てに亘る力の満ち溢れた生活を意味していたのです。
イスラエルは,このような意味の平和を渇迎していました。問題はその確保にありま
す。シャーロームは,如何にして獲得されるだろうか。答えは明瞭です。イスラエル十
二部族の強力な団結あるのみです。団結こそが,砂漠に生きる民の生存の掟でした。
イスラエル十二部族とは,イサクの子ヤコブの子供に相当するルベン,シメオン,レ
ヴィ,ユダ,イッサカル,ゼブルン,ガド,アシェル,ダン,ナフタリ,ヨセフ,ベニ
ヤミンの部族を云います。
彼等は砂漠の寄留者として,ベドウィン(駱駝を主とする遊牧民)や都市居住者(農
民などを含む)に対して如何に無力であったか。弱者の倫理としての,アブラハムの悩
みや,イサクの苦労の根源は,全てこれに起因しているのです。
モーセの十誡にある「あなたは私に対して他の神をもってはならない」には,現実に
他の神を拝んでいる,或いは将来,拝むかもしれない可能性が前提とされています。
十誡精神は本来,禁止命令(背犯行為の衝動の抑圧命令)ではなく,強い選択意識の
表現によって裏打ちされていることに特色があります。
シナイ顕現伝承はまた,実は「仮庵カリイオ」の祭りで朗誦された祭儀文ではなかったか,
とも云われています。この「仮庵」の祭りとは,「過越スギコシ」祭りと並ぶイスラエルの
祝祭ですが,本来は古代オリエントのカナン地方の農民に伝わる収穫祭でした。イスラ
エルの民がカナンに定住した後,カナン地域の土着信仰をヤハウェ宗教化して行く過程
において,歴史的意義が加えられ,更にエジプト脱出時のシナイ荒野の彷徨と,天幕生
活の記憶が織り込まれ,イスラエル的「仮庵」の祭りとなった,という説もあります。
イスラエル共同体は,祭儀的神聖同盟であり,「ヤハウェ共同体」でもあるのです。
一方,ヨシュア記の中のシケム伝承には,次のように記されています(後述)。
「主は,こう仰せられる。『あながたの先祖たち,すなわちアブラハムの父,ナホル
の父テラは,昔,ユフラテス川の向こうに住み,皆ほかの神々に仕えていた・・・・・・』」。
つまりモーセの十誡までは,アブラハムやサライなどイスラエル人達は一神教ではなく,
彼らは自然崇拝の多神教であったのです。
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