23 聖書の起源/モーセの十誡
 
             聖書の起源/モーセの十誡
 
                   参考:講談社発行「聖書の起源」・同文書院
                      発行「驚くべき旧約聖書の真実」・山
                      川出版社「ユダヤ教史」
 
〈出エジプト伝承〉
 アブラハムからイサクへ,イサクからヤコブへ,一族の運命を賭けた「土地取得」の
ための遍歴の旅は,世代から世代へと引き継がれていきました。ユーフラテス河上流の
北部メソポタミアを起点に開始された一族の旅は,ヨルダン川流域や死海付近(パレス
チナ)を経て,ヤコブの代には,遥か南のエジプトのゴセンという地にまで達しました。
このゴセンの寄留地でヤコブは死に,その子のヨセフも命を終えました。次の物語はこ
のゴセンから始まる北帰行の旅物語ですが,しかしそれを遍歴の旅と呼ぶことは,最早
できないでしょう。モーセによるエジプト脱出を境に,新しい変化が既に始まっていた
からです。
 物語は,英雄モーセの誕生から,葦の海の奇跡の勝利に至る一大ドラマからなってい
ます。数奇な運命の星のもとに,エジプト宮廷に育まれた無名の一イスラエル人モーセ
が,ある日,エジプト人の使役に呻吟する同朋の苦難をつぶさに見,神の促しによって,
解放闘争に立ち上がるのです。それは,イスラエル民族の解放闘争の開始でした。
 
 出エジプト記に拠りますと,イスラエル人モーセはエジプトの宮廷で育てられていま
した。
 ある日モーセは,イスラエル人の奴隷を虐待しているエジプトの監督を殺しました。
エジプト王バロの目を逃れて彼はミデアンというの地へ行き,其処の祭司であるリウエ
ルの娘チッポラと結婚しました。ミデアンにあるホレプ山(シナイ山,シナイ半島の南
部)の近くで羊飼いをしているときに,モーセは神からの声を聞きました。イスラエル
人をエジプト人の手から救い出して約束の地へ連れて行くように,神はモーセに命令し
ました。自分は口下手であり,とてもイスラエル人を指導するような力がないとして,
神の言いつけを辞退しようとしましたが,神はそれを許しませんでした。モーセはエジ
プトへの旅立の途中で兄のアロンと合った後,「エジプト脱出」をイスラエル人達の指
導者に提案しました。モーセは,神からの援助の「しるし」を彼らに見せて説得しまし
た。
 モーセとアロンはバロに合って出エジプトを頼みましたが,聞き入れられませんでし
た。そこでヤハウェの啓示を受けていたモーセは,いわゆる「十災」を引き起こしてバ
ロに迫りました。
 十災害とは,@川の水がことごとく血に変わり,川が臭くなり,魚が死に,エジプト
人は川の水を飲めなくなった。A蛙がやってきてエジプトの地を覆った。B地の塵が全
てブヨとなった。Cおびただしいアブが出てきて,エジプト全土が害を受けた。Dエジ
プト人の家畜が全て死んだ。Eモーセが窓の煤を取り,これを天に撒き散らすと,それ
が人や獣に着いて膿の出る腫物ハレモノとなった。F雹ヒョウが降って人や獣を傷つけ,全ての
作物を駄目にした。雹の間に火が閃き渡った。Gイナゴがやってきてエジプトの全土を
覆った。H濃い暗闇がエジプトを襲い,人々が互いの顔を見ることも,立つこともでき
なかった。Iエジプト人の初子や家畜の初子が全て死んだことを云います。
 一度出エジプトを許したバロは,直ちにそれを悔い,軍隊を率いて彼らの後を追った
が,前方には海がありました。追いつかれたモーセは,手を海の上へ差し伸べますと,
海が両側に分かれて陸地ができ,イスラエル人達はこの陸地を渡りました。追いかけて
きたバロの軍隊が渡ろうとしますと,海が戻ってきて彼らを全滅しました。
 
 ところで前述の@〜Hの災害は,火山爆発に伴って普通に起こる災害です。地中海の
クレタ島に近いサントリニ島は,紀元前1400年頃に地震・火山噴火,カルデラの生成,
大津波が起こっています。また,地中海では夏にエテジアンと呼ばれる季節風が,西北
から東南に向けて吹きます。この季節風に乗って,火山灰がサントリニ島からクレタ島
やエジプトへ運ばれたのではないでしようか。
 海が分かれたという,いわゆる「葦の海(紅海)の奇跡」は,サントリニ島での地震
のとき,エジプトの海岸でまず引き波が起こり,続いて押し波が起こった,と推測でき
るのです。「紅海」の原語にあたる Jam Suf は,葦の生え茂った沼或いは潟カタを意味し
ています。
 
 この出エジプト記の全体は,祭儀の折に朗誦される式文だったとの説もあります。こ
の説はしかも,それは単に朗誦されるだけでなく,ドラマとして演じられた祭儀劇であ
ったと云うのです。
 前述のエジプトの災害に当たって,遂に神ヤハウェはニサン月14日(春3月,或いは
4月の満月の夜)に,エジプト中の全生物の初子ウイゴを殺す決心をしました。ただし,
入口の鴨居と柱に犠牲の子羊の血が塗ってあるヘブル(イスラエル)人の家だけは"過ぎ
越す"と約束しました。これが"過越スギコシ祭"の起こりとされています。
 過越祭(ペサハ)はモーセ以前においては,パレスチナ − シリアの遊牧民に伝わる
魔除マヨケに絡んだ夜の祭りでした。悪魔は「初子ウイゴ」を狙って,夜やってきます。その
襲来に備えて,人々はベドウイン(駱駝だけを遊牧する完全な遊牧民)の常食する「種
入れぬパン(パン種を用いないパン)と高地の苦い野菜を食べ,羊を屠ホフり,その血を
天幕の入口に塗らねばなりません。祭りは元来,遊牧民が夏の牧草地に向かって移動す
る前夜の祭儀でした。時は春分に最も近い満月の夜です。祭りは,「種入れぬパン」の
食事と血の儀式からなっていました。このようにペサハの祭りの主題は,「新しい牧草
地への安全な移動」の祭りでした。
 こうした「過越祭(ペサハ)」の伝承に,モーセの英雄物語や葦の海の奇跡が取り込
まれ,物語はイスラエル解放闘争の勝利の歴史ドラマに再生されたのです。エジプト脱
出の物語は,「過越祭」と結合した祭儀神話であり,祭儀劇であったということなので
す。
 なおイスラエルとは,エジプトを脱出したヘブル(イスラエル)人の共同体のことを
云います。
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