21a 聖書の起源/カインの罪
 
〈破局〉
 聖書は,神の意志による「救い」と「選び」を浮き彫りにする必要があります。呪い
の「しるし」と,庇護の「しるし」を身に帯びたカインは,確実に引き裂かれた運命を
歩むことになります。
 さて,創世記に拠りますと,神が地上に人間を作ったことを悔いられとき,破局は正
確にやってきました。ヤハウェ資料は,カインから数えて7代目のレメクの子ノアのと
きに,神の恐ろしい鉄槌が,人間の上に及んだことを伝えています。それは,地の表に
いた全ての生き物を,悉く地上からぬぐいさる大洪水の襲撃でした。
 自分の作った人間が地上で悪いことをするのを見て,神はそれを後悔し,人間だけで
なく,天の鳥や地の獣も全て滅ぼすことを決意されました。しかし神は,正直なノアと
その家族だけは救いたいと思い,ノアに向かってこう言われました。「わたしは七日の
うちに大洪水を起こして,地上の全てのものを滅ぼそうと思う。しかしお前とその家族
だけは救いたい。糸杉を材料として,大急ぎで方舟ハコブネを作りなさい。お前とお前の息
子たち,妻や息子たちの妻と一緒に乗り込みなさい。その際に地上の全ての生物の雌雄
2匹ずつとあらゆる食糧を船へ持ち込みなさい」。
 雨は四十日四十夜,大地に降り注ぎ,水は百五十日地の表を覆い続けました。水の退
いた跡には,ノアと共に方舟にいたものだけが残されました。これがアダムの子殺人者
カインの末裔の最期でした。ノアが残されたのは,彼だけが「正しく,全き人であった
」からです。
 方舟はアララト山に留まりました。地上の水が引き,方舟を出たノア達は,地上に祭
壇を築き,供物をして神に感謝しました。供物を焼いた香ばしい香りが天に立ち上がり
ました。その香りを吸った神は心にこう言われたと云います。「わたしはもはや二度と
人の故に地を呪わない。人が心に思い図ることは,幼いときから悪いからである。わた
しは,この度したように,もう二度と,すべての生きたものを滅ぼさない。地のある限
り,種まきの時も,刈り入れの時も,暑さ寒さも,夏冬も,昼も夜も止むことはないで
あろう」,そして神は,ノアとその子等を祝福し,「生めよ,増えよ,地に満ちよ」と
言われました。再び人間の歴史は始まりました。
 
 ところでこの神話の原型は,古代オリエントにみられます。
 古代オリエントのバビロニアやシュメールの神話では,洪水は偶発的に,殆ど神々の
気まぐれな思い付きからやってきました。例えばバビロニアの神話では,神が人類滅亡
を決めたのは,人間が騒々しくて,神々の安眠が妨害された結果に過ぎませんでした。
洪水は腹立ちまぎれに,不意にやってきたのでした。
 しかし聖書では違います。洪水は,人間の腐敗堕落に対する神の審判の結果でした。
創世記は,禁断の戒律を犯したアダムとイブの物語を始め,カインとアベルの物語など,
要するに神に対する人間の反逆の物語を,全て大洪水の前奏曲に設定しているのです。
洪水神話は,人間堕落の物語と固く結合されています。この結合が問題とされているの
です。そこには聖書の明白な意図があるのです。
 創世記では,一つの目的をこの物語に託しています。それは大洪水が,神の意志によ
る徹底的な人間の滅びの劇であること,そしてこの劇の中で神は,全く神自身の意志に
従って,棄て去るべき人間と救うべき人間とを,選別することを示唆しているのです。
 
 さてノアは農夫となり,葡萄畑を作り始めました。ノアの息子であるセム,ハム,ヤ
ペテに彼等の子が生まれ,地の表を満たしていきました。セムの系図(ユダヤ人,アラ
ビア人,シリア人),ハムの系図(エジプト人),ヤペテの系図(インド・ヨーロッパ
人種)が完成して行きます。彼等は氏族に従い,言語に従い,全地の表に分かれて住ん
だと云います。
 
 その後の考古学調査に拠りますと,この大洪水は紀元前2800年頃にメソポタミア地方
を襲ったものと云われています。その頃は,現在よりも気温が高く,従って北上した赤
道収束帯がこの地域に雨をもたらしたものと考えられています。

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