04 儒教
儒教
参考:三笠書房社発行「『宗教』がわかる」
〈儒教の歴史〉
儒教ジュキョウとは,古代中国で成立した孔子コウシの思想を信奉する宗教です。西暦紀元前
2世紀中頃,漢王室の武帝によって儒学が中国の国学として公認されて以来,1911年辛
亥革命によって清王朝が倒されるまでの2000年に亘って,公的に中国国民の生活を思想
面で支配してきました。しかし,今日の中国では儒教の宗教的立場は失われ,宗教とし
ての儒教は台湾や韓国などにおいて継承されています。
儒教の開祖孔子(通説では紀元前551〜479年)は,名を丘キュウ,字アザナを仲尼チュウジと
云い,魯ロ国(現在の山東省曲阜キョクフ県)に生まれました。祖先は公族という由緒ある家
柄でしたが,幼年期に両親を失い,貧困生活に耐え,成長して魯で官職に就き,後に大
司寇タイシコウ(刑罰及び警察を司る大臣)にまで昇進しましたが,56歳で官界を去りまし
た。その後13年間諸国を遊学し,郷里に戻って弟子の薫育に専念しました。この時の教
えが,後に門下によってまとめられ,今日に伝えられているのです。
孔子が弟子を薫育した教育方針は,『論語』に「述べて作らず(創作せず)」と語ら
れていますように,先達が残した業績を正しく継承し,それに新しい息吹きを吹き込む
ことにありました。その先人の遺産が徳目(人としての道)としての「仁ジン(慈愛)」
であり,徳治(徳を以て天下を治める)としては孔子が理想とした古代尭ギョウ舜シュンの治
世であったのです。
孔子の教えは,孔子自身の文であり思想であると云われる『六経リクケイ(詩・書・易・
礼・楽・春秋)』に示されているとされています。しかし一方では,孔子の真の思想を
伝えるのは,没後弟子によって編纂された『論語』のみであるとの説も有力です。
孔子の教えを尊崇する人々は,最初「儒者」と呼ばれ,漢代に「道家・法家」などの
学派(九流)が成立して,「儒家(孔子の学派の意味)」と称されるようになりました。
六朝リクチョウ時代以後,仏教・道教などに倣って「儒教」と呼称されるようになったと云わ
れています。また儒学とは,儒教の教学面を修得する学問を云います。「儒」の字義に
ついては定説がなく,一般には単に孔子の教えを奉ずる者の名称として通用しています。
〈儒教の教え〉
儒学の教学が『六経』の修得にあることは勿論ですが,孔子が最も重視したのは,『
論語』によれば「仁」であることが明らかです。「仁」の真意については古来,広義・
狭義の両面から多くの解釈がなされています。仁とは通常「孔子が提唱した道徳観念の
ことで,礼に基づく自己抑制と他者への思いやりで,忠・恕ジョの両面を持ちます。以
来,儒家の道徳思想の中心に据えられ,宋学では仁を天道の発現とみなし,一切の諸徳
を統スべる主徳としました。近代になると中国では,万人の平等を実現する相互的な倫理
とみなされるようになった」と云われ,「真の人間らしさの発現(人間としての徳と慈
愛)」の実践を論語では教示しています。
後に,朱子によって「四書(『論語』・曽子ソウシの『大学』・子思の『中庸』・『孟子
』)」が儒教の教典の一つに制定されると,『大学』に書かれた次の「八条目」が儒学
の骨子を示す「修己治人シュウコチジン(人としての徳を磨き,それを広くおよぼす)「克己
復礼コッキフクレイ(己れの欲望に打ち勝ち,善なる本性を回復する)」の立場として重要視さ
れるようになりました。
一、物の道理を究め、己れに光明を与える(格物)。
二、真理の知識を発揮する(極知)。
三、誠の心を確立する(誠意)。
四、精神や心を正しくする(正心)。
五、体を修練する(修身)。
六、一家を正しく導く(膂家リョカ)。
七、国を治める(治国)。
八、世界を平和にする(平天下)。
日本における儒教の歴史は,4世紀頃に帰化人が『論語』を導入したことに始まり,
聖徳太子の十七条憲法にも影響が及んでいたとされます。時代が下るに従って儒学は大
きな足跡を記すようになり,官学の中心となった菅原・清原両家によって儒学教育の振
興が図られました。鎌倉時代に入ると,主として禅僧によって朱子学が用いられ,林羅
山ハヤシラザンとその学派によって江戸幕府の学問の中心に位置するようになりました。
この儒教の精神は,明治以後も国民の修身として重用されてきました。
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