03 神道
 
                  神道
 
                   参考:三笠書房社発行「『宗教』がわかる」
 
〈神道とは何か〉
 神道とは何か,との問いに的確な解答を示すことは難しい,とされています。その理
由は,日本民族が伝統的に継承してきた精神的な信条や,日本の文化を根底から支配す
る要素と神道とが不可分の関係にあるからです。それは,料理の中から,調味料として
使われている砂糖や塩を取り出すのと同じ位に困難なことなのです。
 一般的な立場から定義付けますと,「神道とは日本民族の神観念に基づいてわが国に
発生し,主として日本人の間に展開した伝統的な宗教的実践と,それを支えている生活
態度及び理念を云う」(宗教学辞典)ということになります。即ち神道が古来から日本
の国と日本人(個人)の根底に関わってきたため,その存在の全てを包含して語ること
が難しいからです。
 つまり神道は,わが国の創世から今日までの永続した営みに幅広く与っていて,その
軌跡を規程するのが容易ではないのです。
 主な説として,本居宣長モトオリノリナガの述べるところの,神道とは人為的な道を云うので
はなく,神の示した道そのものを云うのであるから,「神道」の呼称にその実体が如実
に示されている,と云い,「わが国の本は,高御産巣日神タカミムスビノカミ,神産巣日神カミムス
ビノカミの産霊ムスビの力によって,伊邪那岐イザナギ,伊邪那美イザナミの両神が始められ,こ
れを天照大神アマテラスオオミカミが受け行い,伝えられ,それが現世に行われているのですから,
人の造り立てた道ではなく,神の道そのものである。その意味で『神道』と呼ばわるに
相応しいというのであった」としています。そして更に「神代祖型を再現する永遠回帰
の営み」という「神代と人代に貫通する一枚の営為こそ神道の実体」と述べています。
 また,「神道という名称は,漠然と日本民族の古来の信仰習俗に由来する信仰を総括
する意味で用いられており,主流の神道では神国論的国体を重視する傾向が強く,天照
大神は極めて重要な地位を占めているが,他の部分では,それらの問題が殆ど意識され
ていなので,つまり神道は日本民族固有の独自的宗教である」とも云われています。
 
〈神道の歴史〉
 神道は日本の民族宗教です。従って神道の歴史を解明するためには日本人の歴史 − 
種族や国家形態,日本の自然と四季,主たる生活手段 − 稲作農耕,国土の佇タタズまい
(四方が海)と位置(東洋),歴史的宗教状況などの諸要素との相関を視野にいれなけ
ればなりません。神道は,このように日本そのものを背景にして,古代から今日までわ
が国固有の神の道を脈々と受け継いできました。
 日本の神々がどのように尊崇され,今日の神道としてどのように継承されてきたのか
ということに関する歴史的道筋は,縄文時代を起点にして求められていますが,今日の
神道を彷彿させる原型は,「およそ弥生式文化の時代から古墳時代にかけて形成された
」と云われています。さして,人々は天上界・自然界・人間界・霊界の及ぼす「森羅万
象」を」神々の体現」として享受し,神と共にある「惟神カンナガラ」の道を歩みました。
 この神道の歩みに衝撃を与えたのは,6世紀の仏教伝来でした。それは「蕃神トナリグニ
ノカミ」と「国神」との対立として,有力氏族間の対立の根拠にされました。また,仏教と
対置される形で初めてわが国の神々への信仰に対して「神道」(『日本書紀』)という
名称が用いられています。この仏教導入に関しては,国家統治制度の整備という時代の
要請に伴って門戸が開かれ,日本の宗教界は神仏並行の時代を迎えました。
 7世紀初頭,「大宝律令」が制定されると,国家統治の最高府を司る2官の一つとし
て神祇官ジンギカンが置かれ,国家の年間祭祀が令(神祇令ジンギリョウ)によって定められま
した。国神による国家の祭祀の法定化です。8世紀に入ると神道界は神仏習合の時代を
迎えました。寺院に鎮守社(東大寺境内の手向山テムケヤマ八幡宮など)を祀り,神社に神宮
寺(神願寺とも。宇佐八幡宮の神宮寺など)を建立し,更に神は仏(本地)の仮の姿(
垂迹スイジャク)であるとする「本地垂迹説」が起こり,鎌倉時代に盛んになりました。
 この本地垂迹説を理論化する教学として,「山王一実サンノウイチジツ神道(天台神道)」と
「両部リョウブ神道(真言神道)」に代表される仏教的神道教学が誕生しました。一方,同
じ鎌倉時代に神道の主体性を維持する教学として「度会ワタライ神道(外宮ゲグウ神道・伊勢
神道)」が説かれ,室町時代に「吉田神道(唯一宗源ユイイツソウゲン神道)」が説かれていま
す。江戸時代に入ると,前期には「神儒一致」を唱える「儒家神道」が盛んとなり,中
期以降は賀茂真淵カモノマブチ・本居宣長・平田篤胤ヒラタアツタネなどの国学の興隆によって復古
フッコ神道の流れが主流となり,現在に至っています。
 明治の新政府は,旧幕藩体制の温床(寺院の特権)を一掃するため神仏分離・廃仏毀
釈を実施し,国家神道が形成されて宮社制度が設けられましたが,第二次世界大戦後,
日本を占領した連合国の対日政策,いわゆる「神道指令」により,宗教法人として再出
発しています。
 
〈神道の神々〉
 神道には,多くの神々が存在しています。この様子を一口に表現した言葉が「八百万
神ヤオヨロズノカミ」なのです。つまり,わが国は至る処に神が遍満ヘンマンしている国であること
を神道は教示しているのです。では今日,どのような神々が祀られ人々の尊崇を集めて
いるのでしょうか。
 「八百万神」の中にあって最も尊崇を受け,わが国の神々の中心的存在として祀られ
ている大神が「天照大神アマテラスオオミカミ」です。『日本書紀』の「天孫降臨テンソンコウリン神話」
によりますと天照大神は,孫に当たる天津日高日子番能邇邇藝命アマツヒダカヒコホノニニギノミコトに
「豊葦原トヨアシハラの千五百秋チイホアキの瑞穂ミズホの国は,是れ吾が子孫ウミノコの王キミたるべき地
クニなり。宜しく爾イマシ皇孫スメミマ,就ユきて治シラせ。行矣サキクマセ,宝祚アマツヒツギの隆サカえまさ
むこと,當マサに天壌アメツチと窮キワマり無かるべし」との神勅を授け,三種の神器ジンギを与
えて,日本の王キミとして天降アマクダりさせたと述べられています。現在,天照大神(伊勢
神宮では,天照坐皇大御神アマテラシマススメラオオミカミと称している)は,皇祖神として,日本の祖
神として,日本各地に祀られている神々の総氏神ソウウジガミとして,国民の大御親神オオミオヤ
ガミとして,伊勢神宮の内宮ナイグウ(皇大神宮コウタイジングウ御正宮ゴショウグウ)に鎮座チンザし
ています。故,大御親神として毎年家庭の神棚に祀る神札シンサツには,神宮の大麻オオヌサが
氏神の神札と併せて頒布(年間900万体)されているのです(全国神社で頒布される大麻
は,頒布ハンプ大麻タイマと称します)。
 「国生み神話」で,日本のこの国土(大八州国オオヤシマノクニ)を生んだとされる男女二柱
の神は,伊弉諾尊イザナギノミコト(男神)と伊弉冉尊イザナミノミコト(女神)です。この一対の神
は,男神は伊弉諾神宮(兵庫県淡路島)に,女神が多賀大社(滋賀県)に祀られていま
す。
 日本の国造りを行い,天孫に国を譲った神が,因幡イナバの白うさぎの説話で知られる
大国主命オオクニヌシノミコトです。この神は,慈悲と縁結びの神として出雲大社に祀られ,篤い
信仰を集めています。素盞鳴尊スサノオノミコトは天照大神の弟神で,八岐大蛇ヤマタノオロチを退治し
た力強い神として,病魔退治や武運長久を祈る人々の信仰を集めてきました。この神は
八坂神社・氷川神社の祭神です。
 全国に約10万社ある神社の1/3を占めるとされる八幡ハチマン神社の祭神は,全国八幡
神社の総本宮宇佐神宮の縁起によるとされ,「応神オウジン天皇(八幡大神ハチマンオオカミ)」と
云われています。
 神社には,これら一部の代表的神々のほかに多様な神々が祀られていますが,その御
神体としては,神鏡カガミ・磐座イワクラ(岩石)などが挙げられます。この御神体は,神自
身を象徴するものではなく神が降臨して宿る処とされ,その意味から「御霊代ミタマシロ(神
霊が宿る神聖な依代ヨリシロ)」と呼ばれています。また,邇邇藝命によってもたらされた
三種の神器は,八咫鏡ヤタノカガミが伊勢神宮に,草薙剣クサナギノツルギは熱田神宮に,八尺瓊勾
玉ヤサカニノマガタマは宮中にそれぞれ祀られ,何人も目にすることのできない神宝とされてい
ます。
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