02 宗教の精髄
宗教の精髄
参考:三笠書房社発行「『宗教』がわかる」
〈世界宗教と民族宗教〉
世界の宗教界を大別すると,世界宗教と民族宗教に分類されます。
世界宗教は何れも,人種・民族・国家を超えた伝道組織を基礎にして,活発な伝道活
動を展開し,礼拝の対象である神仏の観念の確立や教義の創唱を通して,世界各国の文
化・社会・伝統などに多くの影響を与えています。従って,世界宗教の信徒は,国や民
族の束縛から解放された宗教共同体を構成する一員になります。
これに対して民族宗教は,その民族の風習や生活感情,宗教的伝統に深く根差してい
るのが特徴です。
例えばユダヤ教は,「ユダヤ民族の生活を根本から規定している独特な考え方・生き
方そのものである」と云われています。
また,我が国の民族宗教である神道は,「日本人にとって,ごく身近に存在している
宗教である。(中略)しかし,あらためて『神道とは何か』と問われると,よほど神道
に接近している人でも,明確には答えにくい。専門家でも,必ずしも十分な用意をもっ
て答え難いとなげく。また,知っていることより,知らないことの方が多い」。
このように,日本人の生活に深く根差しながら,定義が難しい神道を「日本人の宗教
意識に根差した生活の道」として,日本人は大らかに享受しているのです。
〈一神教と多神教〉
宗教における「崇拝の対象」という観点から世界の宗教をみますと,大きく二つの傾
向に分けられます。崇拝の対象(仏教における本尊ホンゾンに相当するもの)を唯一の神と
する「一神教」と,複数の神仏を有する「多神教」です。
一神教には,聖書(旧約聖書)を源泉とするユダヤ教・キリスト教(新約聖書をも含
む)・イスラム教などがあり,多神教には仏教・ヒンドゥー教・神道などがあります。
我が国では,多神教の宗教形態が一般的な宗教の在り方として受け入れられているた
め,一神教の厳格な神観念がなかなか理解されないのが現状です。従って,例えば一神
教であるキリスト教においても,カトリックなどでは多神教に対して寛容な態度を執っ
ていますが,しかし厳格性を保持する一部のプロテスタントの中には,神社の参拝を拒
否する信徒も見受けられます。
では,唯一神の信仰とは何かについて,イスラムを例に採って記してみます。
「イスラムとはアラビア語で,平和,従順,純粋,服従などの意味を持ちますが,宗
教的には『アッラーへの帰依』を表します。
ムスリム(イスラム教徒)は,宇宙の創造主である唯一無二の真実の神アッラーだけ
を崇拝し,その預言者たちと諸経典を信じ,アッラーの創られた天使たちの存在,定め
られた運命,審判の日,死後の生命などを信じる者です。
イスラムにおけるアッラーの概念は,多神教での神々の概念とは全く異なり,通俗的
に云われる山の神とか開運の神などの限られた性質のものではありません。アッラーは
宇宙創造の本源,あらゆる活動の原動力,そして宇宙に遍在する法則を支配する超自然
的な存在であります。わたくしたち人間の生命はもちろん,極微の世界から極大の世界
の一切に通ずる無限の実在を意味するもので,今日人類が月に到達することができるの
も,この一貫した宇宙の法則が厳存するからで,もし宇宙に二つも三つもの神が存在し
て,それぞれに異なった原則をもって宇宙を支配しているとしたら,科学も宗教も全く
異なったものとなり,人類の存在さえも想像をこえるものとなるでしょう(イスラミッ
クジャパンのパンフレットより)」。
一方多神教の場合は,様々な神仏の観念が存在しますが,総じて云えば,根源となり,
本体となる神仏が存在しながらも,それぞれのところにおいて,その本体の働きを司る
神仏を配している,と教えています。従って,我が国においては,各自の選択やその時
々の祈願の内容によって,適切と思われる神仏への参拝がなされます。このほかにも,
自己の持仏ジブツを定めて信仰に勤しむということも広く行われています。
なおこのほかに「民間信仰」が世界の至るところに存在します。その内容は通俗的な
ものと,世界宗教や民族宗教から派生したものとがあります。そして名称的には,民間
信仰・民俗宗教・土地神信仰・精霊信仰・民衆信仰などの呼称で呼ばれています。
この民間信仰に共通する在り方としては,「特定の教祖が存在しない。地域社会で伝
統的に形成されている。共同体内での日常生活と密接に展開している。専門的な伝道者
が居らず,教団組織が成立していない」などが挙げられます。
我が国の民間信仰で崇拝されている著名な神々を挙げてみますと,村落や屋敷を守る
山の神,五穀豊穣をもたらす田の神,竈カマドの神として有名な三宝荒神サンポウコウジン,道
祖神の一つである庚申コウシン塚,悪霊アクリョウを払い現世利益をもたらす不動信仰,衆生済度
シュジョウサイドの仏として親しまれた地蔵信仰,地域神として東北地方で広く信仰されてい
るオシラ様(神)信仰など,その他沢山の神々がおります。
〈終末観 − 「世界の終わり」〉
諸宗教には,それぞれの教義に基づいた終末観が述べられています。それには個人に
関する事柄の場合,死後の運命の行く末を詳細に語ることによって,充実した信仰生活
を送るよう励ますものであり,人類や世界の未来に関する場合は,終末の様相や蘇りを
示して,人類共同体としての意識の高揚を鼓舞するものです。
人類と世界の終末の運命を述べる著名な観念としては,仏教の「末法観」,イスラム
教の「最後の審判」,キリスト教の黙示録信仰に基づく「千年王国論」と「ハルマゲド
ン」,ゾロアスター教の「聖火による審判」,ヒンドゥー教「暗黒期」などがあり,そ
れぞれが一種の預言として示されています。
これらの終末論の特徴を大別しますと,時代が下がるに従って教祖の教えや世相の有
様が衰退して行くとの"末法思想"と,将来訪れるであろう"終末の審判"を教示する考え
方の二つの傾向がみられます。
末法思想に区分される仏教では,釈尊入滅後なお正しく教えが保たれる五百年を正法
時ショウホウジ,次の千年を正法時に似ているが教オシエと行ギョウのみが残り,証サトリが失われた
像法時ゾウホウジ,その後の一万年を教のみが残り,仏法の信仰が滅し去ろうとする末法時
マッポウジとして,3期に分けて説いています。
ヒンドゥー教も,梵天ボンテン(宇宙の創造神)の住む世界の一日(地上の43億2000万年
)の昼夜毎に創造と帰滅が繰り返されるため,現在地上は暗黒期に当たり,人間世界の
信仰・身長・寿命などが低下し,期末には大帰滅が起こると説きます。
終末の審判に分類されるイスラム教では,終末の日の有様と最後の審判の様子が克明
に示されています。そこでは,天変地異が勃発して全ての死者が墓から蘇り,逃れる者
なく審判の場に臨み,各自の完全な記録に基づいて判決が出され,天国か地獄に分けら
れる,とするその日の様相を描き出しています。
キリスト教では,新約聖書の黙示録に関連して,キリストが地上に再来して建設され
る現世天国(千年王国)と,その終末に訪れる最終的救済及び悪魔が神に最終の決戦を
挑むハルマゲドンがよく知られています。
これらの終末観は,何れもが「神仏による救済の計画・予定や比喩的・象徴的な警告
」として発せられ,この危機感を通して,信仰に人々の目を開かせることが願われたの
です。
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