17 死と生命の継承と
人間理解の問題として、宗教的発想が常に中心的な課題としてきたのは、人間の「生
」に関する問題と云うよりも、むしろ人間にとっては否定的・消極的な局面を代表すると
ころの「罪」の問題と、「死」と「死後」の問題とであった。特に後者の問題がそのよ
うな位置を占めてきたのは、それが恐らく、生きている人間の直接には知り得ない霊魂
だけの世界、そしてそれは、神霊の実在信仰とも不可分であり、その故に、神秘主義へ
の可能性をも内包して、宗教独自の領域を作り出してきたからに相違ない。
勿論死後霊魂の存続を信じない近代以降の科学主義者達にとっても、死は人生の終わ
りとして、関心の対象とならざるを得ない一面を持っている。
わが国では、本来無神論、無霊魂説の立場にある筈の仏教徒が、死の問題についての
最も熱心な説法者であり続けている事実が、この間の事情を明瞭に証している。
ともあれ、死はどのような立場にある者にとっても、避けて通れない問題であり、当
然、いかなる宗教も、これについての神学を要求されているのである。
そもそも「死」はどのような形で信仰の世界にその位置を占め、かつ、どのような姿
のものとして捉えられてきたのであろうか。その起源説話について、記紀神話によって
考察を進めたい。
それは伊邪那美命の神避りに始まる。その原因は、火の神迦具土を生まれた事に由来
するのであるが、黄泉の国を訪ねられた伊邪那岐命は、そこで宇士多加礼斗呂呂ぐ命ミコト
の肉体を御覧になって、恐れおののき、中津国に逃げ帰られた。
この発想には、人間生活にとって極めて重大な意味を持つ「火」が、国生みの御祖ミオヤ
神の、その御身ミミの損ないの代償として与えられたものだとする、実に深い宗教的洞察
を読み取ることが出来る。それと同時に、朽ち行くものとしての肉体に対する、古代人
の強烈な拒否感の表明をも感じ取ることが出来よう。
「火」は、生を助けると同時に、死への門を開き、死の真実を明らかにする諸刃の刃
として、忌みの対象となるべき、必然的な働きとしての性能を備えていたのである。
しかし、本題の「死」を中心としてこの神話を見るとしても、神道がそれを穢ケガレと
するようになった、これが起源伝承だとするには、些か疑問が残らざるを得ない。何故
なら、この神話の主題モチーフは、事戸の度しで示されれているように、むしろ生と死の分
離に置かれているからである。しかも美神御身の腐乱が露にされるのは、岐神による「
莫視我ナミタマヒソ」と云う禁忌タブー侵犯の結果に外ならない。
この筋道を考慮すると、死は、穢であるから忌まれると云うよりも、それは本来、「忌
」の対象そのものであったことと理解されよう。
この理解は、次のような伝承と照応すると、一層その意味を明らかにするように思わ
れる。
即ち、それは豊玉毘売命の御子生み伝承において、姫は特別に産殿ウブヤを設け、御子
生みに当たって、火遠理命に「願勿見妾ナアレヲミタマヒソ」と申される。ところが火遠理名は、
伊邪那岐命の場合と同様、この禁忌を守ることが出来ず、その侵犯によって、永遠に豊
玉毘売命を失うことになられるのである。
結論的に言えば、これらの神話に一貫した思念は、恐らく、生と死は本来不可分なも
の、その神秘(生命の神秘)を敢えて侵すことは、慎み忌まれねばならぬ、と云うこと
であったと考えられる。
それは、存在への畏敬の情を根本としている、と云うことになろう。
直接に人間を対象とした「死の起源」伝承にも、同じ精神を読み取ることが出来る。
それは、夜見の国から逃げ帰り、黄泉比良坂の千引の岩をさえて、中津国と夜見とが
交流出来なくされてしまった伊邪那岐命の仕打ちに対して、美神は「うつくしき我が那
勢の命かくなしたまはば、汝の国の人草、一日ヒトヒに千頭チカシラくびり殺さん」と呪詛され
る。
死は、国生みの祖神の怒り、嫉みに起源しているのである。それは、神から与えられ
た所与としての恐れである、とする思念と同時に、死者と生者との絶ち切れぬ想いが籠
められている伝承である、とみることが出来ると思うのである。
特にもう一つの神話、天孫の御命ミイノチに関する信仰伝承は、死よりもむしろ「生」の
側に焦点が当てられおり、日本人の生死に関する感情の論理を、一層鮮やかに我々の世
代にまで伝えてくれている。
それは迩々芸能命が、大山津見神の御女ミムスメ二人のうち、麗美人ウルハシキヲトメであった木
花之佐久夜毘売を妻として選ばれ、その姉石長イハナガ比売を帰された時の事である。
大山津見神には、「天神の御子の命ミイノチは、雪降り風吹けども、とこしへに石イハの如
く、石常トキハに堅カキハに動かず坐しませ」と祈る心があって、石長比売をも添えて奉られ
たのであった。
ところが、天孫は木花之佐久夜毘売のみを撰ばれる。そこで大山津見神は、「天神の
御子の御寿ミイノチは、木の花の間アマヒのみ坐しまさん」と、誓約ウケヒの結果を告げ、『古事
記』はこれを添書して、「故れ是を以て、今に至るまで天皇命たちの御命、長くは坐さ
ざるなり」としている。木花佐久夜毘売の御名が、わが民族の愛してきた桜の花に因む
ことは、敢えて申し添えるまでもない。
これら一連の、神道の死にまつわる理念を、一つの概念に集約して表現することは、
なかなか難しいことではあるが、凡そ次のような事を言い得ると思われる。
即ち、この国は神によって生まれた国であり、その神が自ら修理固成に勤められた成
果を、更に継続すべく天孫に言依され、天地の限り弥栄であることを言祝がれた国でも
ある。
生成のためには、皇祖天照大御神が天孫を天降される御業によって示されたように、
常に新しい生命によって、その営みが継承されて行かなければならない。
個人の生命は短くとも、その営みが継承されて行く限り、自己のこの世界に生きた事
の意味は成就される。
本来、人の生命は、個人としてあり得るのではない。代々の親から引き継がれたもの
であり、自然の神々による恵みと、共同体の力によってこそ支えられてきたものである。
確かに、死後は完全に我々の知り得る世界ではないが、我々が祀る限り、祖先は我々
と共に生き続けて来られた。我々の子孫が、そして我々の共同体が、我々を祀ってくれ
る限り、我々もまた、彼等と共に生き続ける筈である。
そこに生命の永遠性があるのだと。
神道が神祇と祖霊の共同体による祭祀を、信仰の中核として立てゝきたのも、死を否
定的な価値としてではなく、むしろ積極的な生に向けての価値として、捉えてきた事実
を物語るものに外ならない。
神道の死に対する想念が、その本質において明るく、かつ淡泊なのは、当然のことで
あると言ってよいであろう。
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