14 死者の行方
 
 神霊の坐イマし処と、人間の死後霊魂が留まる処とを、直ちに結び付けて考えることは、
神学の立場からは謹むべきであろう。しかし、神道の場合、天津神が高天原に鎮まりま
し、国津神はこの国土、若しくは常世に鎮まります、とする信仰は否定し得ない。黄泉
は、例外的な神々に限られている。しかし高天原、そして黄泉に坐す神々も、われわれ
が祭祀することによって、その御分霊はこの中津国にも留まられるのである。問題とし
て不文明なのは、人間の魂たるその本体が、死後何処へ行くかと云うことである。
 
 このことについては、本居宣長の『古事記伝』関係の著作、平田篤胤の『新鬼神論』
などに述べられている。
 『新鬼神論』では、死者の霊魂は、神社・祠に祀られれば、御霊はそこに鎮まり、また
墓の上ホトりにも安らうことを併せ説いているので、これらの点では、宣長とも一致し、
古典とも齟齬することはなく、しかも近来民俗学によって明らかにされてきた民間一般
の信仰実修とも通じている。われわれもまた、これを、中津国をこそ中心とする神道の
他界観・死後観とみて、大きな誤りを犯すことにはならないであろう。
 
 因みに、前述民間の信仰とは、民間での死者霊は、祖霊棚若しくは仏壇に留まり、墓
地にも安らうと考えられている。祭り手のない場合には、巷にさまようとされるが、浄
化されて祖霊となると、山又は常世に鎮まり、招きをを受けて子孫の許を訪ねて来ると
するのが、一般の信仰である。
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