07 皇祖神天照大御神
 
 天照大御神についての第二の神学課題は、皇祖神としての御神格である。
 『古事記』に拠ると、当初は天照大御神日継の御子正勝吾勝々速日天忍穂耳命が直接
降られる筈であった。その後国譲りが成就したので、天忍穂耳命の御子天迩岐志国迩岐
志天津日高日子番能迩々芸命、即ち天孫が天降られた。
 
 天忍穂耳命は、天照大御神が速須佐之男命との宇気比により得られた御子であって、
女神御自身がお生みになった御子ではないのである。天忍穂耳命の御子迩々芸命を、ど
うして「天孫」と呼ばれるのであろうか。
 天忍穂耳命は「成り」ました神であって、「生まれ」た神ではないことに注意してみ
たい。
 また、『日本書紀』に拠ると、高皇産霊尊一柱の神のみが、天孫の降臨に関わられた
とあることにも注意してみたい。
 
 以上の問題については、凡そ次のように考えられる。
 即ちわが国の開闢神話は、大きく二つに分けられている。
 第一は、所与の一物が天地に分かれ、その各々から始源神が顕現されると云う、神世
七代までの伝承である。
 第二は、伊邪那岐・伊邪那美二神が、国生み・神生みを経て、天照大御神を現存在世界
高天原を治らす神とし、その天孫を降臨されるまでの展開である。
 
 神話の主意に添って理解すると、高天原、即ち現存在世界の存在根拠(存在意志・生命
力の根元世界)の中心神格であられる天照大御神は、その始動力であられた高御産巣日
神と、御神徳を同じくされている。それが天孫の皇祖として、一方は天照大御神を伝え、
他方は高皇産霊尊を伝えるという異伝を生んだ。
 ここで留意したいのは、存在意志・生命力の根源を象徴する神の御子が、(わが国のよ
うに、超越を立てぬ宗教においては)現実世界である大八洲国の主キミとなるためには、
その生命の在り方を変えなければならない。天忍穂耳命が、この「成る」神から「生ま
れる」神への変化の要としての役割を果たしておられるのである。現に天降られた天孫
迩々芸命は、国津神大山津見神の御娘を娶られ、天津神の御子でありながら、現存在世
界では、御命に限りあることが宣せられている。
 
 前節で述べたように天照大御神は、自然神としての神格を備えておられるので、人間
神としての皇孫と血縁の親子であられる筈はない。しかし、その自然神と皇祖神との結
合にこそ、逆に神道信仰の本質が示されているのであろう。それは国生み神話で、自然
も人間も、共に神の生みの子として語られる信仰と、主旨一貫しているからである。
 
 換言すると、われわれの祖先は、人間の生命が、@その生命の継続を可能にするいろ
いろな「物」を与えてくれる自然と、A親代々による生命の継承、Bそしてそれを文化
として伝承する共同体、との三者によって支えられていることを感得していた。
 特に大自然の営みは、太陽を中心としている。その太陽の働きこそ、生命力の根源(
高御産巣日神)に繋がっている。従って、天照大御神を、地上共同体の生命の中核に坐
す天皇の御親神ミオヤ(皇祖神)として信仰するようになったのである。
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