08 天照大御神の御神徳
 
 天照大御神の御神格については、既述のように、高天原を治らす神とされ、かつ皇祖
であることである。
 古典神話に拠ると、天照大御神はその御活動を通じて、いろいろな御神徳が示されて
いる。
 
@天照大御神は、「営田ミツクダ作り、神御衣カンミソ織らしめ給ひ、新嘗仕へ奉る御業ミワザを
皇孫スメミマに言よされた」と云うことである。
A『古事記』に拠ると、五穀は速須佐之男命が大宜津比売神を殺されたとき、この神の
御身ミミを物実として生り出たとされている。
B『日本書紀』四神出生章第十一の一書に拠ると、五穀は月夜見尊が保食神を殺された
とき、この神から成り出たとされている。
 
 これらのことから、極めて重大なことが考えられる。
 第一は、人間の生命を保つべき食糧が、高天原ではなく、この地上で得られたもので
あることである。
 第二は、蒼生(人々)が食べて生きるべき糧が牛馬や五穀であるのに対して、天照大
御神が特に稲を採り上げられ、これを天津神諸々と共食される種と定められたことであ
る。稲が最も大切な生命の糧(生命の根=イネ)として選ばれたのである。
 
 次に、天石屋戸神話では、天照大御神の神籠もりによって、暗黒になった葦原の中つ
国には、いろいろな災いが起こった。この神のお出ましによって、悪しき神等はその振
る舞いを慎み、再び平和と安全が訪れたのである。神の世界と人間の住む世界とは、決
して遠く隔てられているのではなく、常に共なる世界としてあることが分かる。
 
 また宇気比によって速須佐之男命の勝ちさびに対して、天照大御神が「恩親の意ココロを
もってとがめず、恨みず、皆平かな心を以て容され」(紀)、かつ「詔り直し」され(
記)たとする伝承もある。即ちこれは愛である。愛の第一義は、他者をその在るがまゝ
に受け容れる、と云うところにある。日本人の信仰は、生命の本源に、神のこの営みを
観ていた。そして大神は、人の罪をさえに詔り直される。この神との関係において、人
は初めて人(人間)に成り得るのだと言える。
 
 天津神とは高天原に成りまして、高天原に鎮まり坐す神のことであるが、天照大御神
が中津国に成りました神でありながら、高天原中心の神格となられた不思議は、天照大
御神こそ、造化三神、特に産巣日の神二柱の御神徳を、中津国において成就されるべき
天孫の御業を、知らす神に坐すからであると考えられる。
 
 国津神等の神業については、例えば(高天原を追放された)素戔嗚尊は痛く反省をし、
根の国に至るに先だって、出雲国を言向けられ、その御業は大国主神が継承し、天孫降
臨のために、国造りを成就されたことが知られている。これは天津神の命ミコトかしこむ営
みが、国津神八百万の神御業カンミワザであり、蒼生(人々)のそれでもあることが、この
神話によって高らかに謳い上げられているのである。神道の道が、ここに在ると云うこ
とになろう。
[次へ進む] [バック]