06 太陽神天照大御神
神道における神についての神学は、いわゆる八百万ヤオヨロズの個別神格についての神学
として展開しなければならない。
本稿では、神社本庁において本宗と仰ぐ伊勢の神宮、その内宮御祭神として奉斎する
天照大御神についての神学を以て、これを代表させたい。
神のご神格は、その発現の由来(信仰伝承)によって、最も顕に示される。
『古事記』に拠ると、天照大御神は、伊邪那岐・伊邪那美二神が国生みや神生みを終え
給い、かつ黄泉の国と中津国が隔てられた後、つまりこの国の青人草の「生」の条件一
切が成立した後、伊邪那岐命が禊ぎ給う左の御目を物実として成り坐している。これは、
国生み・神生みをなし給うた女神伊邪那美命が黄津大神となられ、男神伊邪那岐命が中津
国を治らすべく神業カムワザの持ち分けさえ定まった後のことであるので、そこに現れます
神格の尊さが、既にその生成の道筋において暗示されているものと考えられる。
記紀に拠れば、この天照大御神は、高天原を治らす神格であることを説いている。例
えば『古事記』には、
「此の時、伊邪那岐命、いたく歓喜して「吾は子ミコ生み生みて生みの終に三柱の貴子
ウヅノミコを得たり」と。即ち其の御頚珠之玉の緒、もゆらに取りゆらかして、天照大御神
に贈ひて、「汝ナが命ミコトは高天原を知ろしめせ」と事よさし賜ひき。」
とある。
明らかにこれは、天照大御神を太陽とする信仰と云うことが出来る。天体についての
自然科学的な知識が未熟であると思われる中世までの人々は、これについての神学的な
論議を構える必要は無かったであろう。しかし近世には既に、天照大御神が太陽そのも
のではなく、太陽に坐す神があるとする神学(平田篤胤)が展開された。
学問的に信頼性の高い説として普及しているのは、天照大御神が太陽ではなく、太陽
に仕える巫女であった、とする理解である。例えば沖縄の民俗信仰では、司祭者である
ノロは、神として臨在するのである。「魏志倭人伝」による卑弥呼のことも連想される。
とすると、天照大御神が祀られたはずの太陽そのものへの祭祀は、一体どのようなも
のであるのか、との疑問が生ずる。太陽は現実、日々に人々が目にする形で接すること
の出来る存在であるからである。しかし、例えば日待ちの信仰や浄土教によって唱導さ
れた日想観は、太陽を直接礼拝するものとは言い難い。
僅かに民俗として残るのは、「毎日さま」に感謝して、朝夕の「お日さま」に拍手
カシワデを打つ、と云う行動であろう。
太陽を直接礼拝する神事が、神社において行われていないのは何故であろうか。
古典神話に拠る天照大御神への祭りは、天照大御神御自身が祭り手として奉仕をされ
る新嘗祭と、天之石屋戸前の祭りがあり、共に現在、天皇が奉仕されている。
ところで、『日本書紀』四神出生章第十一の一書は、保食神ウケモチノカミを殺された月夜見
尊に対して、天照大御神が痛く怒りを発せられ、「汝は是れ悪き神なり。相見るべから
ず」と宣せられた後、一日一夜を隔離て住まわれるようになった、伝えている。天体と
しての太陽に、天照大御神が擬せられていることを否定することは出来ない。
以上のように、天照大御神は太陽でもあり、またそうでもない。つまり、その両面を
信仰事実の中で備えられている、と云うことである。
神話には多くの自然神が語られている。そして現実の神道の祭祀においても、山の神、
海の神等が祀られている。と云うことは、日本人は物実を離れて神を発想することは無
かった。現実に我々の生命は、自然の恵みによって生かされているのであり、その中心
に太陽があるのである。
しかして、神道が祭祀の対象としてきたのは、物実そのものではなく、常に御霊ミタマ、
即ち神の御働きであった。神霊の御本体を知ることは、出来ないのである。その意味に
おいて、「天照らし坐す」は、あくまでも御神徳を称え奉る御名であることを忘れては
ならない。
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