48a 天地創造の謎「天照大御神の始まり」
 
〈オルペウスと伊邪那岐命イザナギノミコトの冥府メイフ訪問〉
 
 ギリシア神話と日本神話の間には、このほかにも幾つかの著しい類似点があります。
その中でも特に目立つのは、オルペウスの伝説と、伊邪那岐命の黄泉ヨミの国訪問の話と
の間に見られます。
 オルペウスは神話に拠りますと、「死んだ妻を生き返らせようとして冥府に下った。
そして一旦は妻を上界に連れて帰る許しを与えられたが、結局はそのための条件として
彼に課せられていた、冥府にいる間に妻を見てはならぬと云う禁に違反してしまい、そ
の結果妻を地下の世界に残して、一人で地上に帰還せねばならなかった」とされていま
す。これは日本神話で伊邪那岐命が、「冥府で妻を見ることを禁止されたにも拘わらず、
この禁を破って伊邪那美命イザナミノミコトの屍体を見てしまい、それが原因で伊邪那美命を上
界に連れて帰るのに失敗している」のと、極めて類似ています。二つの話の間の類似は、
死んだ妻を生き返らせようとする夫の企ての失敗した理由が、冥府で与えられた禁に背
き、妻を見てしまったことであったと云うような、細かい点にまで亘っています。
 
 ギリシア神話と日本神話との間に、これ程までに著しい類似が数多く見られる訳は、
内陸ユーラシアのステップ地帯に居た騎馬遊牧民によって、神話の影響が西から東へ運
ばれ、朝鮮半島を経由してわが国にまでもたらされたためと考えられましょう。このこ
とは、幾つかの具体的事実によって確かめられます。
 その一つは、わが国にまで影響を及ぼしたと見られるギリシア神話の話が、ユーラシ
アのステップ地帯の騎馬民族に受容されていた形跡が、見出されることです。ステップ
地帯の騎馬遊牧民の中で、ギリシア人と密接な接触を持ち、ギリシア文化の強い影響を
受けたことが知られているのはスキュタイ人です。このスキュタイ人の神話は、前にも
触れましたように、現在コーカサス地方に住むオセット人の叙事詩伝説の中に、変形を
蒙りながら、可成りの程度まで受け継がれていると考えられます。
 
 ところで、このオセット伝説の中には、ギリシアのオルペウス神話や、わが国の伊邪
那岐命の黄泉ヨミの国訪問の話と類似た、死んだ妻に会うため、地下の死者の国を訪れた
夫の冒険を主題にした話があります。この話の主人公は、前述のように川岸の石から生
まれたと云う誕生譚の、あのソスランです。ソスランは奇妙なことにこの話の中でだけ、
音楽の名手として描写されています。オルペウスが、鳥獣や木石まで感動させる程の、
竪琴と歌の名人だったとされているように、ソスランもこの話の中では、フェンディル
と云う二弦の楽器を演奏しますと、野獣や鳥たちが集まって彼の音楽に耳を傾け、建物
の壁は踊り、遠くの山々まで伴奏したと物語られているのです。
 
〈別れの形見に穀物の種を与える母神〉
 
 オセット伝説の中にはまた、女神的存在が死後墓の中で、乱暴者の男神的存在とその
愛馬によって次々に陵辱を受け、その結果やがて彼女の屍体から一人の女児と一頭の仔
馬が誕生したと云う話も見出されます。これはデメテルが、馬に変身したポセイドンに
よって犯され、その結果女神と神馬と二児の母親となったと云うギリシア神話と、頗スコ
ブる良く似た話です。
 ギリシアのデメテル神話やオルペウス神話と良く似た話は、このようにオセット人の
叙事詩伝説の中に見出されます。オセットの伝説は前述のように、スキュタイ系民族の
一派が持っていた神話が、半神的英雄や精霊などを主人公とする英雄伝説に変化したも
のと思われます。オセット人とその周辺の諸民族の間に、口伝えで伝承されて来たこの
叙事詩伝説の蒐集が行われたのは19世紀以後のことです。オセット伝説が、長い時の経
過にも拘わらず、オルペウス神話やデメテル神話とこれ程良く似た話を現在でも含んで
いると云う事実は、従って、これらの伝説の原形をなしたスキュタイ系民族の古代神話
が、わが国にまで伝播したと見られるギリシア神話からの影響を、相当大幅に受容して
いたことを示すと考えて良いでしょう。
 
 然も、わが国までもたらされたと考えられる、ギリシア神話の影響が受容されていた
痕跡は、伝播の経路に当たったと想定される、古代朝鮮半島の神話にも認められるので
す。古代朝鮮の諸国の神話に、ギリシア神話と良く似た話が幾つか見出される例として、
高句麗の始祖朱蒙の伝説とデメテル神話の間に見られる次のような類似です。
「朱蒙は、天帝の子天王郎と、河の神の娘柳花を父母として、北方にあった夫余の国で
生まれたが、夫余では国王や王子たちに疎まれ、志を得られなかったので、三人の従者
を連れて南に下り、沸流水と云う河の辺に都を定めて、高句麗の始祖となった。ところ
が彼は、夫余を離れるに当たって、母の柳花に別れを告げたが、その折り以後高句麗の
祖母神として祭られることになるこの女神は、彼に母子の別れの形見として、五穀の種
の入った包みを授けた」と云います。
 母神が、建国のため出発する愛児に穀物の種を与えたと云うこの話は、天照大御神アマ
テラスオホミカミが中つ国に降臨する愛児に稲穂を与えたと云う日本神話と類似していると同時
に、他方ではまたデメテルがトリプトレモスに麦の種を与えたと云うギリシア神話とも
似ています。然も朱蒙伝説には、わが国の天孫降臨神話や、海幸彦・山幸彦の話、神武東
征の物語などと類似した主旨のものが数多く含まれています。高句麗の建国伝説とわが
国の建国神話の間に、何らかの関係があることは、殆ど確実と考えられるのです。ギリ
シア神話の影響が、遠くわが国にまで及んだと云う考え(報告)は、このように、伝播
の経路に当たったと考えられる地域の神話研究によっても確かめられています。

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