48 天地創造の謎「天照大御神の始まり」
 
  [馬に犯される大女神]
 
 先史時代のわが国は、東南アジアの地域から強い文化的影響を受けました。日本人に
最近まで主食を提供して来たわが国の農業の主な形態は、水田における稲作と、山地の
焼畑での雑穀の栽培ですが、この二つの農業はどちらも東南アジアから南シナを経由し
て、縄文時代から弥生時代にかけ、相継いでわが国に渡来したと考えられましょう。こ
れらの農耕と共にわが国に流入した神話は、古墳時代にも連綿として持続し、その後七、
八世紀に大和朝廷で編纂された『古事記』と『日本書紀』などに筆録された神話の中に
まで採り入れられている可能性は、十分考えられます。
 天の岩屋戸はしかしながらまた、これとは全然別の地域の神話からも、強い影響を受
けていると考えられます。何故なら、この日本神話と、細かいところまで良く似ている
と思われる話は、古代ギリシアの神話に見出されるからです。それは大地の女神デメテ
ルを主人公とする、次のような話です。
 
「デメテルはある時、世界を遍歴していた途中、アルカディア地方に来かかった折りに、
弟のポセイドン神が、彼女に対し情欲を燃やして跡を追って来るのに気付いた。彼女は
そこでポセイドンの目を眩まそうとして、一頭の牝馬に姿を変えた。しかしポセイドン
は彼女の変身を見破り、自分もすかさず牡馬になって牝馬のデメテルを犯した。この理
不尽な暴行を怒ったデメテルは、黒衣に身を包みそのまま山の中の岩屋に身を隠してし
まった。大地の女神が突然居なくなったため、地上の作物は全て枯れ、人類は飢饉に苦
しみ、神々も大層困惑した。しかし、終いにパン神の通報によって漸くデメテルの居所
を知ったゼウスは、運命の女神モイライたちを彼女の許に送って説得に当たらせた。す
るとデメテルも遂にモイライの言葉を聞き岩屋から出たので、大地はまた実りを取り戻
し、人類は飢死を免れることが出来た」
 
〈天照大御神アマテラスオホミカミとデメテルの神話の奇妙な類似〉
 
 前述のアルカディア地方に伝わっていた、デメテルのを主人公とするギリシア神話は、
わが国の天の岩屋戸神話と実に良く似ています。天照大御神が天の岩屋戸に隠れ、世界
を暗黒の無秩序状態に陥れた原因は、弟神の須佐之男命スサノヲノミコトの乱暴に因ります。
「天照大御神は、忌服屋イミハタヤと云う御殿の中に入って、織女オリメたちが、神々に献上す
る尊い衣を織っている姿をご覧になっていた。そこは神聖な御殿で、ほかの者は誰も入
ることを禁じられている処である。そこへ、乱暴者の須佐之男命が現れ、御殿の屋根に
這い上り、大きな穴を空けて、斑駒フチコマと云う、いろいろな毛が斑に交じっている馬の
生皮を、逆剥ぎに剥いだものを持って来て、その屋根の穴から、どさっと投げ込んだ。
『ああーっ』
 突然、血まみれになった斑駒の生皮を投げ込まれた織女たちは、悲鳴を上げて、怖れ、
慄オノノいた。。そして、織女の中の一人が、驚きのあまり、機を織るときに使う梭ヒの、
鋭った先で、自分の陰処を突き刺してしまい、それが因で死んでしまった(『古事記』
に拠る)」
 ある書には、この織女は大御神の分身と思われる稚日女尊ワカヒルメノミコトであるとしていま
す。
 
 因みにポセイドンは、女神の弟であり、海の支配者であると同時に、また古くは地下
水を司り地震を起こすなど、大地、殊に地下界とも深い関係のある神と考えられていま
した。これは正しく、天照大御神の弟須佐之男命のことと良く似ています。
 
〈バウボと天宇受売命アメノウズメノミコトの女性器露出〉
 
 前述のデメテルに関するアルカディアの神話の他に、アッティカのエレウシスの神話
も、日本神話と明らかに類似しています。「まずデメテルの怒りは、バウボ又はイアン
ベと云う女性が女神の前で、自分の性器を露出して見せたことによって和らげられた。
この仕種を見たデメテルは、思わず笑い出し、その後で遂に長い間の断食に終止符を打
って、食物を口にした」と物語られています。
 わが国の天の岩屋戸神話では、天宇受売命が舞いながら女性器を露出して見せて八百
万ヤホヨロヅの神々を笑わせ、それが天照大御神が怒りを解いて岩屋戸を出るきっかけとな
ったとされているからです。
 
 またデメテルはこの後、エレウシスの王ケレオスの王子の一人トリプトレモスをわが
子のように可愛がり、最後には彼を翼のある竜の引く車に乗せ、麦の種を与えて、天か
ら地上に農業を広めて廻らせたと云われています。これは天照大御神が愛児を地上に降
臨させるに当たって、三種の神器などと共に稲の穂を授けたとされているのを想い出さ
せます。
 日向の国の風土記には、この降臨のときに、天が真っ暗で夜と昼の区別も付かず、物
の色も判別出来ぬ程だったが、天津彦火邇邇杵命尊アマツヒコホノニニギノミコトが稲穂を揉んで籾と
し、これを投げ散らすと、初めて天が明るくなり、太陽と月が照り輝いたと記されてい
ます。
 この記述はまた、壷絵などで屡々トリプトレモスがデメテルから麦の穂と共に闇を照
らすための松明を与えられているところや、天から地上に麦の種を投げ散らしていると
ころが表されていることも想い出させます。
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