45a 天地創造の謎「太陽と月の始まり」
 
〈日本神話の日ヒの御子ミコ誕生譚〉
 前述のオセットのソスラン誕生譚は、天照大御神アマテラスオホミカミの子の、皇室の祖先の天
之忍穂耳命アメノオシホミミノミコトを始めとする、五柱の日の御子たちが誕生した次第を主題とす
る、日本神話の話と極めて良く似ています。天之忍穂耳命以下の、天照大御神の子の男
神たちは、当然この無垢の処女女神の腹を痛めて生まれたのではありません。しかし他
方で、天照大御神が天皇家の祖先であるためには、天之忍穂耳命はどうしても、この女
神の子であらねばなりません。この矛盾は日本神話の中で、天照大御神が処女性を損な
わずに子を得た事情を説明する、次の話によって解決を与えていると云います。
「須佐之男命スサノヲノミコトと天照大御神は、ある時、天の安河と云う天上の河を間に挟んで、
その両岸に向かい合って立ち、互いに誓約を立て所有物を交換して、それから子を生み
合った。この時須佐之男命が、大御神が身に着けていた玉を大御神から貰い受け、これ
から生み出したのが、天之忍穂耳命を始めとする五柱の男神たちである。この神たちは
大御神の所有物から生まれたので、大御神の子と見なされ、天上で育てられることにな
った」
 
 この日本神話は、オセット伝説の、彼女の身代わりとなる物(オセット伝説では岩、
日本神話では玉)から生み出され、誕生後は彼女によって自分の子と認められて、彼女
の手許で育てられると云う筋を共通にしています。そしてこのような奇妙な仕方で生ま
れている子は、オセット伝説では太陽神的英雄ソスランであり、日本神話では太陽女神
の子の日の御子なのです。
 
  日本神話の中には、この他にも前に紹介したミスラの誕生をテーマとする密儀宗教
の神話と、極めてよく似た話があります。『出雲風土記』に記された次の話を紹介しま
す。
「加賀の神崎と云う処に岩屋がある。高さは十丈ばかり、周囲は五百二歩ばかりで、東
西南の三方に口が開いている。この岩屋は、佐太大神サダノオホカミの誕生した処である。誕
生に当たって、其処の在った筈の弓矢が無くなった。そこで母の枳佐加比比売命キサカヒヒメノ
ミコトが、『私の生もうとしている子が男らしく雄々しい神の子なら、無くなった弓矢が出
て来るように』と言って祈ると、其処に角の弓矢が流れて来た。すると生まれたばかり
の子の神は、『これは自分の弓矢ではない』と言って、投げ捨てた。次には、黄金の弓
矢が流れて来た。佐太大神がこれを執って、『暗い岩屋だな』と言って、射通すと、辺
りは忽ち明るく光り輝いた」
 
〈石の中から生まれた皇子〉
 
 今まで述べたイラン起源の神話の影響は、応神天皇の誕生譚の中にも、認められまし
ょう。『古事記』にある応神天皇に関する話は、歴代の天皇に関する記事の中でも、最
も神話的伝説的な色彩が強いものの一つです。これを「海童的日の御子」と云う神話学
者も居ます。
 この応神天皇の誕生譚の特徴の一つは、その中で石に重要な役割が当てられているこ
とです。この石に関して、『筑前国風土記』には、次のような記事が記されています。
「怡土イトの郡コホリの児饗野コフノヌと云う処の西に、二つの白い石がある。昔気長足姫尊オキ
ナガタラシヒメノミコト(神功ジンコウ皇后)が、新羅を征伐に行かれる途中で、この村に来掛かった
ところが俄に産気付き、身篭もっていた子を分娩しそうになられた。そこで姫尊は、こ
の二つの石を執り、それを腰に差し挟んで、次のように祈願された。
『私は西の国を征伐しようとして、この野まで遣って来ました。私の胎内にいる子が、
もし神であるなら、戦いに勝って凱旋した後で誕生するのが良いでしょう』
 この言葉の通り、子供は皇后が新羅を平らげて帰られた後、程なく誕生した。これが
誉田天皇ホムダノスメラミコト(応神天皇)である。当時の人々は、この石を名づけて皇子産ミコウミ
の石と呼んだ。現在では、児饗石コフノイシと呼ばれている」
 
 この石のことは、『萬葉集』の巻五にも出て来ます。それに拠りますと、「この二つ
の白石は、一方の長さが一尺二寸六分で、周囲が一尺八寸六分、他方はこれより本の僅
か小さく、共に鶏卵のような楕円形で、その美しさは筆舌に尽くし難く、さながら一対
の宝石のようであった。石のある場所は海に面した丘の上の道の辺で、其処を通る者は
皆馬から下りてこの石を礼拝した」と云います。
 このように応神天皇の誕生に当たっては、皇子産の石とか児饗の石と呼ばれ、海辺に
あって人々に神のように崇められていたと云う一対の神石が、母の后を助け重要な役割
を演じたとされていました。
 
〈鎧を着たままで出生する太陽〉
 
 ところで、応神天皇の誕生譚には、この他にも、イラン人もその一派であるインド・
ヨーロッパ語族の神話から入り込んだと思われる要素が含まれているのです。
 インドの叙事詩『マハーバーラタ』は最近、神話研究のための資料としての価値を見
直されるようになりました。この叙事詩の中で最も華々しい活躍をする英雄の一人に、
太陽神スーリヤの生まれ代わりの、カルナと云う名の勇士があります。このカルナは、
太陽神の神秘的性質をほぼ正確に再現しています。例えば、『リグヴェダ』に歌われた
古い神話に拠りますと、太陽は生まれると直ぐ生母の夜の女神から引き離されて、養母
の曙によって育てられますが、カルナも生後直ぐ生母のクンティーに捨てられ、ラーダ
ーと云う養母を自分の実の母と見なして成長したとされています。また、『リグヴェダ
』では、太陽は雷神インドラと敵対関係にあるとされ、ある時この両神が戦い合った折
に、インドラは太陽の戦車の片方の車輪を陥没させた、と歌われていますが、『マハー
バーラタ』でも、カルナはインドラの子のアルジュナと宿敵の間柄にあります。そして
最後にはこのアルジュナと決戦を演じた末に、彼によって討ち取られますが、この戦い
の最中に、カルナの戦車の片方の車輪が地中に陥没し、其れが彼の敗戦の原因となった
とされています。
 
 このカルナに関して、『マハーバーラタ』に物語られている異常な性質の一つは、彼
が生まれながらにして、太陽が何時も身に纏っているのと同じ黄金の胴鎧を、肉体の一
部として身に着けていたとされていることです。
「カルナの母親のクンティーは、太陽神の胤を受胎した時、天から彼女の処に降りて来
て関係を迫ったスーリヤの言うことを聞く代償として、この交わりから生まれる子が、
父のものと同じ黄金の胴鎧を所有することを要求した。太陽神は、愛人の願いを聞き入
れ、カルナを黄金の胴鎧を着けたまま、クンティーの胎から出生させたのである。
 この生まれながら彼の身に備わった太陽の鎧がある限り、カルナは不死身であった。
カルナは、アルジュナとの最後の決戦の前に、アルジュナの父のインドラの謀計に嵌ハめ
られ、鎧を脱いでインドラに与えねばならぬ羽目に陥る。この時、この彼の肌の一部と
なっている鎧を身体から切り離すために、カルナは小刀で自分の肉を裂き、全身血まみ
れになった。この苦痛に黙って耐え抜き、やっと自分の肉から切り離した血みどろの鎧
を、口元に微笑すら浮かべながらインドラに贈ったカルナの勇気には、神々も悪魔も人
間も感嘆せぬものはなかったと云う」
 
〈応神天皇は太陽神か〉
 
 インドの叙事詩『マハーバーラタ』には、前述のように、古い神話が驚く程良く保存
されています。この叙事詩の中で活躍する英雄たちは、その大部分が、神話に登場する
神々や悪魔などの子であり、神や悪魔が仮に人間界に生まれ代わった存在と云われます。
そして事実、これらの英雄たちの伝説の中には多くの場合、彼等の原形である父の神々
の神話が、極めて忠実に再現されているのです。
 ところで不思議なことに、このように生まれながら武具が身体に付着していたと云う
主題は、前述で別の点でイランの太陽神誕生神話との類似に注意した、応神天皇の伝説
にも出て来るのです。このことは、『日本書紀』に次のように記されています。
「誉田天皇ホムダノスメラミコトは、足仲彦天皇タラシナカツヒコノスメラミコトの第四の子にまします。(中略
)既に産アれませる時、宍腕シシタダムキの上に生ひたり。その形鞆トモ(ホムダ)の如くなりき。
こは皇太后の雄ヲ装ヨソヒしたまひて鞆を負ハきたまへるに肖アえたまへるなり。故カレ、その
名を称へて誉田天皇と謂マヲす」
 つまり「応神天皇には、生まれながら、腕の上に弓を射るのに使う武具の鞆トモの形を
した肉魂が生じていた。これは、母の神功皇后が天皇を身篭もっていた間、男装し鞆を
帯びていたのに似たためで、このように生まれ付き身体に鞆ホムダが付いていたので、こ
の不思議を称え、この天皇を誉田の天皇と呼ぶことになったと云うのだ」
 応神天皇の誕生譚には、このように、イラン系民族の太陽神話と類似する点が多い。
このことからも、この天皇の物語が、既に何人かによって指摘されている通り、建国伝
説的色彩を強く帯びた神話であると云う仮説の正しさが裏書きされるのではないでしょ
うか。

[次へ進む] [バック]