06b わが国の神話「葦原中国」
 
  [国造り(一)]
 
〈赤い猪イノシシ〉
 
 さて、因幡の国へ行った兄神たちは、それぞれ、八上比売に言葉を尽くして求婚しま
した。
 ところが、八上比売は、兄神立ちを見向きもせず、その求婚をきっぱり断ってしまい
ました。その上、
「私は、大穴牟遅神オホナムヂノカミの妻になりとうございます。」
と、宣言しました。
 これを聞いた兄神たちは、すっかり腹を立てて、
「あいつのせいだ。あいつのお陰で、八上比売を妻にしそこなったのだ。あいつさえ居
なければ、八上比売も考えを直すかも知れないぞ。」
と、相寄って、大穴牟遅神の暗殺を計画しました。
 
 出雲の国へ帰る途中、伯耆ハウキの国の手間山テマヤマの麓まで来たとき、兄神たちは、大穴
牟遅神を呼んで、
「この山には、赤い猪がいて、村人に難儀を掛けているそうだ。ここを通りかかった序
でに我々の手で捕らえてやろう。わしたちは、山頂からその猪を追い落とすから、お前
は麓で待っていて、捕まえろ。いいか。うまくやれよ。もし、逃がしたりしたら、お前
の命はないと思えよ。」
 こう命じておいて、兄神たちは急いで山に上って行った。そうして猪に似た形の大石
を、火で真赤に焼き、それを山頂から転がし落としました。
 そんな悪企ワルダクみがあろうとは露知らず、山の麓では大穴牟遅神が、猪を逃してはな
らぬと、らんらんと眼を光らせて待ち構えていました。
 やがて、山の頂からすさまじい勢いで、真赤な猪が転がるように下りて来ました。
「来たぞ!」
 大穴牟遅神は、下りて来る猪の真正面に大手を広げて立ち塞がり、真赤な猪をがっし
りと、全身で抱き止めました。その瞬間、
「ぎゃあっ」
 焼けた大石を抱いた大穴牟遅神は、一瞬のうちに全身を焼け爛タダらせて、息絶えまし
た。
 
 これを知った大穴牟遅神の母、刺国若比売サシクニワカヒメは悲しんだ挙げ句、高天原に上り、
神産巣日之命カミムスビノミコトに、
「どうぞ、息子の大穴牟遅神を生き返らせて下さいまし。」
と嘆願しました。
 神産巣日之命は母の心を憐れんで、
「直ぐに行って、大穴牟遅神を治療し復活させよ。」
と、蚶貝比売キサガヒヒメと蛤貝比売ウムギヒメを派遣されました。
 蚶貝比売は赤貝の貝殻を削り落として、細かい粉を沢山集め、蛤貝比売はその粉を蛤
ハマグリの汁で溶いて、母乳のようなドロドロした薬を作り、大穴牟遅神の全身に隈無く塗
り付けました。
 すると、忽ち火傷の傷は癒え、大穴牟遅神は息を吹き返しました。
 
 そうして、前にも増して立派な青年となって、出歩けるようになりました。
 悪企みが失敗したことを知った兄神たちは、歯軋ハギシりして口惜しがりました。そし
て、
「なんとしても、あいつを葬り去らねばならぬ。」
「そうだ。もう一度やろう。」
と、再び、額を集めて悪計を巡らしました。
 彼等は山へ行って、大木を切り倒し、深い裂け目を作って、楔クサビを打ち込んでおき、
「おい。狩りに行くぞ。お前も付いて来い。」
と、大穴牟遅神を誘い出しました。
 やがて、切り倒した大木の近くまで来ると、
「おっ、あの木の裂け目に何か飛び込んだぞ。大穴牟遅神。行って見て来い。」
と、命じました。大穴牟遅神は何も気付かずに、裂け目の中に身を入れました。その瞬
間、兄神たちは、ぐいと、打ち込んであった楔を引き抜きました。
「ぎゃあっ。」
 忽ち巨木の裂け目に挟まれた大穴牟遅神は、その場に絶命しました。
 兄神たちは、今度こそしとめたぞと、満足気に笑いながら帰って行きました。
 
 それを見ていた村人が、密かに飛んで行って、母神の刺国若比売に急を知らせました。
 母神は、泣きながら山中を探し回り、巨木に挟まれたわが子を見つけ出し、木を裂い
て、漸く大穴牟遅神を助け出しました。
 母神の看護で、息絶えかと見えた大穴牟遅神は、再び蘇生しました。
 だが母神は、深い吐息を吐ツいて、
「お前はもうここに居てはなりませぬ。ここに居れば、仕舞いには兄神たちに滅ぼされ
てしまうでしょう。」
と言って、禍いを避けるため、その場から大穴牟遅神を紀伊国の大屋毘古神オホヤビコノカミの
許へ、逃がして遣りました。
 これを知った兄神たちは、
「逃がしてなるものか。」
と武装して、紀伊国まで大穴牟遅神を追って来て、弓に矢を番ツガえ、
「大穴牟遅神を渡せ。」
と、大屋毘古神に迫りました。
 だが、大屋毘古神は、一足早く、
「ここに居ては危ない。いっそ、須佐之男命スサノヲノミコトのいらっしゃる根ネの堅州国カタスクニ
へ行かれるが宜しかろう。あの大神ならきっと、良い智恵を貸して下さるだろうから。」
と教えて、木の間を潜らせて、大穴牟遅神を逃がして遣りました。

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