02 三大神勅
参考:堀書店発行「神道辞典」
三大神勅とは、天孫邇邇芸命が高天原からこの国土に天降られるに際し、天照大御神から
賜った神勅で、神道の根本義を表すものとされます。
一、天壌無窮の神勅(『日本書紀』巻二の一書)
豊葦原
とよあしはら
の
千五百秋
ちいほあき
の
瑞穂
みづほ
の国は、是れ吾が
子孫
うみのこ
の
王
きみ
たるべき
地
くに
なり。宜しく
爾
いまし
皇孫
すめみま
就
ゆ
きて
治
しら
せ。さきくませ、
宝祚
あまつひつぎ
の
隆
さか
えまさむこと、まさに
天壌
あめつち
と
窮
きはまり
無かるべし。
このとき賜った
「三種神器」
と相俟アイマち、皇位
の永遠の確定の保証であり、天神の聖約です。
二、宝鏡奉斎の神勅(同上)
天忍穂耳アメノオシホミミ命に宝鏡を授けられて、
吾が
児
みこ
、此の
宝鏡
たからのかがみ
を視まさむこと、まさに吾
あれ
を視るがごとくすべし。ともに
床
みゆか
を同じくし、
殿
みあらか
を
共
ひとつ
にして、
斎鏡
いはひのかがみ
と為すべし
と申されました。
また『古事記』には「これの鏡はもはら我が御魂として、吾が御前を拝イツくがごとく斎イツ
きまつれ」とありますように、神祇崇敬と崇祖と不離一体の関係を表すものです。
三、斎庭の稲穂の神勅(同上)
吾が
高天原
たかまのはら
に
所御
きこしめ
す
斎庭
ゆには
の
穂
いなほ
を以て、また吾が
児
みこ
に
御
まか
せまつるべし
とあり、この稲穂とは単なる稲穂ではなく、大嘗の斎庭に於てきこしめされた稲穂であり、
この稲穂を以て皇祖大神に捧げ奉ると云う精神に於て、新嘗祭が執り行われて来ているも
のであり、祭祀尊重・敬神崇祖をここに読みとるのですが、同時にそこに父祖の恩頼ミタマノフユ
に対する人々の感動と云うものを、その字句の底に汲まなければなりません。
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