04a 普段の食
 
〈副食〉
 
△山のもの
 タニウツギやサピタ(ノリウツギ)の葉は干して煮たり和え物にし、ハクリ(サイハ
イラン)やオベェロ(ウバユリ)は焼いたり色を活かして砂糖煮にして精進料理とした。
ウコギやコメノキ(?)の葉は辛子和えや胡麻和え、味噌和えにした。ヤマニラ(ギョ
ウジャニンニク)は葉を茹でてスマシや醤油を掛けて食べた。野老トコロは灰汁アクで煮て水
に晒して食べ、唐芋カライモ(キクイモ)は南蛮漬けとか梅漬けに入れた。
 マンタブ(マタタビ)の若い葉を茹で、干しておいて煮物などの具とした。
 
 トビダケ(トンビマイタケ)・ヌエド(チャナメツムタケ、ツチナメコとも)・サモダ
シ(ナラタケモドキ又はナラタケ)・アミッコ(アミタケやイグチの類)・ムキダケ(ム
キタケ)・マスダケ(マスタケ)・カノカ(ブナハリタケ)などはスマシ煮にした。また
アカキノコ(サクラシメジ)・ホウキモダシ(ホウキタケ)・ナメコ・キクラゲなどもあ
る。
 松茸・舞茸・初茸ハツタケ・椎茸などの香りの良いものは、焼いて食べるのである。また松茸
・舞茸・銀茸・本占地ホンシメジ・ヌエド・ムキダケ・椎茸・などは汁物、煮物、鍋物、茸飯に使っ
た。
 
 木の実には、栗、ブナ、栃、カシマメ(ツノハシバミ)、胡桃などがある。
 アケビ(ミツバアケビ)の若芽はお浸し、果肉は生食、その皮は茹でて漬物にした。
 山菜では薇ゼンマイ・蕨ワラビ・秋田蕗・薊アザミの類・サシドリ(イタドリ)などを茹でて、乾
燥したり塩蔵して、冬期間の食材とした。
 
 納豆は農家では何処の家でも作り、ご飯に掛けたり、納豆汁にしたり、餅に絡ませた
りした食べた。
 豆腐は自家製のものもあり、冷や奴や湯豆腐、汁物・貝焼鍋・白和えなど重宝な食材で
ある。豆腐作りに欠かせない苦汁ニガリの作り方は、粗塩アラシオを篭に入れて吊るしておく
と、粗塩が水分を吸収して溶けて下に滴り落ちるのである。
 凍みシミ豆腐は、寒中に屋外で凍らせて作った。
 
△間食
 初夏の学校の行き帰りには、初夏はキイチゴやクマイチゴ、夏はナワシロイチゴやバ
ライチゴなどが野辺の至る所に熟していた。
 畦道ではシカシカ(スイバ、スカンポとも)を生食し、野山には山桑・アケビ・ケンポ
ナシ・茱萸グミなどあった。トジラ(クマヤナギ、トズラとも)の実を食べると口元が黒
く染まったものである。
 他には生栗、ブナの実、カシマメのほか、イチイの実・胡桃・ヤマブドウ・ジョミ(ガマ
ズミ)などが野山で熟していた。
 
 お八つには握り飯に味噌を付けたり、そのまま塩味、また豆の粉を付けるなど、若し
くは焼いて食べたが、ご飯のお握りは中々作って貰えず、馬鈴薯や薩摩芋なとを焼いた
り蒸したりした食べたのである。
 春の味噌作りのときの、煮えた大豆は柔らかくて美味しいものであった。
 夏には、トマトや胡瓜のもぎたてをそのまま噛って食べるのであった。
 庭の木には杏梅・桜桃・桃・スグリ・李・茱萸グミなど、秋には林檎・豆梨・梨・柿があった。
 晩秋にはマルメ(マルメロ)の良い部分は缶詰工場へ出荷し、残りの芯の部分を噛っ
たりした。
 年末の餅搗きのときのオコワを、熱いままフウフウ言いながら頬張るのであった。
 真冬の道路沿いには、垣根に植えてある豆柿が新雪の中に落下しており、その新雪を
剥ぎ取りながら、雪中の豆柿の実を食べたのであった。
 
 年末の餅搗きのとき、予め干餅となる餅を搗いた。餅の中にはオカラを入れたり、蜜
柑の皮を入れたり、また梅漬けの紫蘇の葉で赤く彩色をしたりなど、色々な餅を搗き、
それを稲藁で括って軒先や縁側に吊るし、冬から春までのお八つとして食べたのであっ
た。
 春には農家では種籾タネモミの残りを鉄鍋で炒り、臼で突き潰して籾殻を除くと、美味し
い炒り米が出来上がった。
 季節を問わず残りの餅を賽の目に切り、日当たりに乾燥させておき、それを鉄鍋で炒
ってつくるアラレも作られた。
 秋から冬の囲炉裏では、灰の中に大豆・栗・鍋餅・シトギ餅・馬鈴薯など入れて焼き、よ
く食べたものである。
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