22a 植物の世界「植物の"雌・雄"と性転換」
〈雄株の枝先に果実〉
テンナンショウ属植物に観られます性転換は非常に顕著で,以前から注目を集めて来
ましたが,その他にも性表現が変化する植物は数多く存在しています。ここでその中か
ら幾つか紹介してみましょう。
カエデ属の植物は,性転換について最もよく研究されている種群の一つです。この属
には雌雄異株の種,一つの個体に両性花と雄花が付く種,或いは雄花を付ける個体と両
性花を付ける個体がある種などがあり,性表現性は複雑です。例えばウリハダカエデは
丘陵地から山地にかけて普通に生える落葉樹で,図鑑などにおいては普通雌雄異株とさ
れています。春に10〜15個の花を付けた総状ソウジョウ花序が多数垂れ下がり,その花序が
雄花か雌花かは簡単に分かります。1個体(株)ずつ花を観察して行きますと,非常に
稀ですが,雄花を付けているにも拘わらず前年の果実が枝先に残っている個体に出くわ
すことがあるのです。数年間観察した結果,極僅かですが,雄から雌,或いはその逆の
変化が観察されました。
しかし,性転換がある個体に特定に見られる傾向にある,またサイズなどの要因との
関係がはっきりしないなどの点において,テンナンショウ属植物の性転換とは多少異な
っています。テンナンショウ属植物の場合,球茎重は光合成によって作った物質量をよ
く反映していると考えられるため,球茎重がサイズの指標として用いられて来ました。
それに対して,カエデのような木本植物やアケビのような蔓植物においては,積み上げ
式の肥大(年輪を作る)をしたり,何本もの蔓を出したりするため,何をサイズの指標
にすればよいのかよく分かっていないのが現状です。
ユリ科のクロユリには,いわゆるユリ根(鱗茎リンケイ)があり,其処に貯蔵物質が蓄え
られています。クロユリの標本を見ていますと,雄花を付ける個体と両性花を付ける個
体があり,それと鱗茎との大きさに相関がありそうだと云うことが分かって来ました。
そこで野外の個体に標識を付け,性表現やサイズを数年間に亘って継続観察しました。
その結果,鱗茎のサイズが小さいときは花を咲かせませんが,あるサイズになりますと
雄花を,更に大きくなりますと両性花を咲かせることが判明しました。何らかの影響に
よってサイズが小さくなりますと,今度は逆の変化が起こることも分かって来ました。
クロユリの両性花は見かけ上だけで花粉は機能しません。つまり雌花かも知れないと云
う疑いも持たれていましたが,袋掛け実験や交配実験の結果においては,形態上ばかり
でなく,機能的にも両性花であることが分かりました。
〈性転換の論理〉
動物界,植物界を広く見渡しますと,性転換を行う生物は様々な系統群において観ら
れます。動物界においては軟体ナンタイ動物や甲殻コウカク類などの海産無脊椎ムセキツイ動物の多く
の系統群において性転換が観られますし,脊椎動物においても魚類に多くの例を見出す
ことが出来ます。性転換と云う現象は多くの系統群において,お互いに全く独立に何回
も繰り返して起きているのです。従って,個々の系統群によって性転換のメカニズムは
異なっているにしても,性転換が繰り返し生じているのは単なる偶然ではなく,何らか
の必然があったと考える方がより合理的です。
性転換の進化を説明するために,今まで幾つかの説が提唱されて来ました。その中で,
動物においては「サイズ・有用性モデル」がよく用いられて来ました。通常,雌雄間に
おいてはサイズと繁殖能力の優劣の関係に差はありませんが,雄と雌の繁殖上の有利さ
がサイズによって異なる場合,性転換と云う現象が進化することがある,と云うのがこ
の説の骨子です。勿論そのような条件の場合,必ず性転換と云う現象が進化すると主張
している訳ではありませんので注意が必要です。
例えばインド洋から西太平洋のサンゴ礁を中心とする浅海に生息しているホンソメワ
ケベラは,雌から雄に性転換します。この魚は,1匹の大きな雄と多数の雌(と幼魚)
からなるハレムを形成します。大きな雄が,多数の雌を独占しているのです。そしてハ
レムの雄が死にますと,雌のうち最大の個体が雄に性転換します。また,小さなサイズ
の雄はハレムを作ることが出来ず,繁殖に全く参加することが出来ません。従ってサイ
ズの小さいときは雌として,サイズが大きくなったときは雄として振る舞うことによっ
て,自分の子供を最大限に残すことが出来ることになります。この魚の場合は,ハレム
を作ると云う社会構造の発達が,雌雄間のサイズと繁殖能力の関係を変えてしまったの
です。
〈有効な仮説は?〉
では,植物の場合は「サイズ・有利性モデル」によって説明が就くものがあるのでし
ょうか。日本産のテンナンショウ属植物であるマムシグサのデータを用いて,サイズと
繁殖能力などの関係を計算してみました。その結果,実際に野外において得られた結果
と「サイズ・有利性モデル」に基づいて計算された値が,よく一致したのです。従って,
テンナンショウ属植物に限っては,「サイズ・有利性モデル」によって性転換を説明す
ることが出来そうです。テンナンショウ属植物の場合,特殊な花粉の送粉機構が雌雄間
のサイズと繁殖能力の関係に差を生じさせ,性転換を引き起こす一つの要因となったと
推定されます。しかし,前述のウリハダカエデやクロユリに関しては,この仮説によっ
て説明出来るかはっきりしない点が多く,更に検討が必要です。
固着生活をしている生物や深海に棲む生物は,移動能力に乏しかったり,同種個体に
出会う機会が限られていたりします。このような生活様式を執る種に観られる性転換は
「低密度説」によって屡々説明されます。ある個体が雄になったり雌になったり出来ま
すと,比較的簡単に繁殖を行うことが出来ます。このような性質を持っている個体は,
低密度条件下においては有利であると云うものです。植物の場合は両性花植物が多いた
め,何もこのような回りくどいことをする必要はありませんが,性転換をする場合は絶
対に自家受粉は出来ないと云う点は考慮すべきでしょう。
何れの説明にせよ,現実に性転換をする植物の種数は,動物の種数に比べて少な過ぎ
るのではないかと云う疑問は云われて来ました。と云うより,本当に数が少ないかどう
かさえ分かっていないのです。植物の雌雄性の研究は個体を識別し,更にそれを何年も
かけて観察して行く必要があります。わが国の植物相(フロラ)は,先人等の努力によ
って可成り研究されて来ています。それでも,性表現一つを執っても未だ分からないこ
とばかりなのです。
日本産の種でも,今回述べた以外にも実際に性転換が観察されたり,疑われたりして
いる種が多数あります。花の性が換わるかどうかも含め,植物の雌雄性の観察は,鉛筆
とルーペ以外は殆ど器具もいらず,その代わり少しの忍耐さえありますと誰でも何処で
も可能です。これを機に,多少なりともこの課題に関心を持っていただければ幸いです。
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