03c 植物細胞のすべて
 
〈細胞の生長〉
 植物の細胞がどのような構造になっているかは,可成りなところまで解明されていま
す。細胞の構造を研究している植物解剖学者は,葉や茎や根がどのように組み立てられ
ているかを詳細に記述しています。専門家の目を通しますと,ただの材木の1片を顕微
鏡で覗くだけで,それがどんな木から採られたかが分かります。それは,どんな植物で
も自分自身に特有の細胞の配列や形を持っているからです。それ故,巻きタバコの中に
詰められているものが本当のタバコの葉かどうか,また茶に他の植物の葉が混ぜてない
かどうかを見分けるのは容易です。
 材木や樹皮やコルク細胞の配列を認めることは易しいことです。しかし,そうした細
胞の配列が生長しつつある植物ではどうして起こるのでしょうか。また,いろいろな細
胞がそれらに特有の形をどのようにして執るのでしょうか。こうした疑問は未だ明らか
にされていません。しかしこの疑問を解く手がかりは幾つか発見されています。
 カルス組織を発育させたのと同じ方法で,植物の根の小さな切れ端を培養基の中で発
育させてみましょう。この場合,根の切れ端が十分長いと,それは発育して根になると
いうことが分かります。ところがもしその切れ端が,例えば1㎜程度の短い場合は,決
して根にはなりません。それは単なるカルス組織になるだけで分化はしません。逆にそ
の根の切れ端が2,3倍長ければ,発育を続けて根になるでしょう。ここで明らかに次
のようなことが分かります。根から切り取った1片は,それ自身が既に根として分化し
始めたものでなければ,そこに発生する新しい細胞群が根の形態を執ることはできませ
ん。
 この事実は,前述の趣旨と矛盾するようにも考えられます。というのは根の小片が根
として再生するには,最小限ある程度の長さが必要であるにも拘わらず,その小片より
も小さな単一の卵細胞が,カルスのような細胞の塊になるばかりでなく,堂々たる完全
な植物体にまで発育することができるのはどうしてでしょうか,という疑問が生ずるの
です。
 卵細胞はその発育段階の初期には,カルスのような未分化の細胞の小さな塊になりま
す。しかし卵細胞は,母親の植物の子房の中にあるということです。やがてそれは,幼
芽と幼根を持つ完全な胚植物そのものに生長して行くのです。この事実から重要な結論
が引き出されます。即ち,幼植物はその母親の子房の中に存在しているため,何らかの
助けが与えられ,小さな細胞の塊が種子に変化して行くのです。
 しかし,ランの例を考えるば,この結論だけで満足する訳にはいきません。成熟した
ランの種子は,風によって母親の植物から飛び散らされるときは,未だ未分化の細胞の
小さな塊です。もしその種子が発芽の条件に適した処に落ちたら,発育を始めるでしょ
う。その種子を培養基の入った試験管に入れても同様に発育を始めます。しかし,何れ
にしてもそれは未だ分化していないものです。その直径が1/6㎝位になるまでそのま
ま生長し続けます。見たところそれは1片のカルス組織のようです。それからやがて小
さな葉や幼根が特定の部分から芽を出しそこから正常なランの植物体へと発育します。
ただ,どうして小さな葉や幼根が発生するのか,その理由は未だ分かっていません。
 この現象は,培養されたカルスにときどき起こる状態と非常によく似ています。ある
時期になると,カルス組織の何処かに,葉とか根とか茎に変わって行く細胞が発生する
と考えられます。一度こうした現象が現れると,その細胞は完全な植物体へ発育してい
くのです。このことは,恐らくカイネチンのようなある種の生長促進物質の平衡と関係
があると考えられます。この生長促進物質は植物ホルモンと同様に,様々な発育の過程
に影響を与えるものなのでしょう。しかし,これもまたはっきり分かっていません。こ
の分化に関する問題は,全く解明されていない未知の分野なのです。
 同じような疑問が菌類の菌糸上にキノコを発生させる力について考える場合にも出く
わします。培養フラスコの中に菌の子実体であるキノコを発生させないで,菌糸の厚い
覆いだけを生じさせることができます。そのフラスコの中に小枝を入れると,場合によ
ってはその上にキノコが発生することがあります。ただしそれは,決して確実に起こる
ものではありません。キノコは非常に気紛れで,野外で採集できる最も美味しいキノコ
の幾種かは絶対培養できない程です。栽培床で菌糸の塊の上に確実にキノコを発生させ
る方法は今で分かっていません。西洋の市場で売られているアガリクス・カムペストリ
スという栽培キノコの一種だけは,何時でも培養基の上に子実体を生じます。ジャワで
は街路で商人がボルバリアという名のキノコを売っていますが,この種は藁ワラの上でし
か生長できないものです。
 菌糸の上にその子実体であるキノコを発生させるには,極めて限られた条件が必要で
す。自然界でキノコができたりできなかったりする原因は,この厳しく限定された条件
が満たされたり満たされなかったりするからでしょう。森林の中の地表面にある腐植土
の層には,常に菌糸が一杯ばら播かれています。しかし,見かけるキノコは極少ない。
場合によっては,キノコを全然見かけない年もあるのです
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