03 植物細胞のすべて
植物細胞のすべて
参考:タイムライフブックス社発行「植物」
(解説者:米人フリッツ・ウェント)
〈細胞の発見〉
17世紀以前には,我々は物質を構成している微細な構造がどのようなものから成り立
っているのか全く分かりませんでした。いわば人類は自然の表面に住んでいたに過ぎな
いとも言えます。哲学者ですら,自分の肉眼で見ることのできない世界に関しては,敢
えて考察しようとしませんでした。こんな固定観念を見事に打破したのが顕微鏡の出現
です。
西暦1600年を過ぎる頃には精密な顕微鏡ができ始め,レンズを磨く技術の発達が加わ
って,全く新しい世界が覗けるるようになりました。そして,顕微鏡的次元の観察が可
能になったのです。このことはアメリカ大陸の発見や,電子工学の開発や,原子力の発
見と同じ位素晴らしいことでした。初期の顕微鏡使用者は恰も,今日の原子核物理学者
やロケット研究者のように現代の先端を行くパイオニアとして畏敬イケイの念を以てみられ
ていました。その一人に単一レンズの顕微鏡を発明したレーベンフックがいました。当
時の国王や皇太子達は,レーベンフックに顕微鏡でミクロの世界の不思議を見せてもら
うため,わざわざオランダのデルフトまで長旅をした程でした。
アントン・ファン・レーベンフック(1632〜1723)は,毛織物の取引が本職のアマチ
ュア科学者でした。彼は自ら製作した単一レンズ顕微鏡で初めてバクテリアを発見し,
血液が毛細血管を通って流れるということを知り,また生きている精子細胞を観察しま
した。いわば今日の微生物学の創始者です。
初期の顕微鏡使用者がなし得た最初の発見の一つは,植物を構成している物質は均一
なものではないということでした。顕微鏡の下で植物の茎やコルクの薄い切片を詳しく
観察しますと,それらは非常に多くの泡から成り立っていることが分かりました。この
小さな泡のようなものが細胞です。この細胞という名はそれを最初に発見したイギリス
の科学者ロバート・フック(1635〜1703)によって与えられたものです。それから約200
年経った1839年に,ドイツの生物学者であるシュライデンとシュバンが,それまで多く
の人々によって行われた観察に基づいて,細胞説を提唱しました。この細胞説とは,動
植物の各部分は全て細胞,若しくは細胞の生産物よりなっているという考えです。細胞
はあらゆる動植物の基本単位という訳です。
このように,化学や物理学において分子説や原子説が基本であるように,生物学にお
いては細胞説は基本的な理論として認められました。恰も分子が化学物質として性質を
持つものの最小の粒子であるように,細胞もまた生命及び完全な生物になり得る可能性
の全てを持ったものの最小単位なのです。
顕微鏡は,その解像力が次第に優れたものに改良されていきました。それにつれて,
科学者達は細胞構造のより深奥な部分まで観察できるようになりました。その結果,細
胞には普通顕微鏡下で最も目立って見える細胞膜以外に,もっと多くの物質を含有して
いることが明らかになりました。それらの細胞の内容物が共通して明らかに持っている
何かこそ,生命そのものなのです。
〈細胞の構造〉
細胞の内容は,多くの異なった方法で説明できます。まず,変形菌のような原始的な
植物は生命を持ってはいるが細胞膜はありません。丁度細胞の内容物の塊が全て一緒に
生育したようなものです。但し,このどろどろした変形菌の塊も胞子を作るときだけは,
周りに細胞膜を持った個々の細胞に分裂します。ところで高等植物の中にも,ある一時
期には細胞の内容物が個々の細胞といった形に分離しないものがあります。しかし,個
々に分かれた細胞が生物の基本的単位であることには変わりありません。それが証拠に,
植物が死んでからもその細胞構造は存続します。つまり,植物の死後,細胞の内容物は
消失しても細胞膜は残っており,この事実こそ植物の基本単位が細胞にほかならないこ
とを見事に証明しています。
植物細胞の活動が最も活発にみられるのは,茎の先端にある生長点です。生長点では
非常に若い細胞が旺盛に分裂しています。この部分の細胞は植物の他の部分の成熟した
細胞と非常に異なり,極めて若々しく活動力に溢れています。事実,それは動物細胞に
似た点さえ多く備えています。大きさは極めて小さく,直径は約1/800pで,非常に薄
い細胞膜で取り巻かれ,殆ど原形質だけで満たされています。原形質とは細胞の主体を
なし,あらゆる生活現象を営む物質です。
細胞は実際に自給自足の生活を営んでいます。細胞そのものは自力で活動する化学工
場に例えることができ,その増殖に必要なあらゆる情報を内蔵しています。細胞内にあ
る遺伝情報は,染色体の構成要素であるDNAに担われています。DNAは,それがバ
クテリアのものであろうと高等植物のものであろうと,全て同種類の物質からなります。
それらは,アデニン,チミン,シトシン,グアニンといった4個の塩基と5炭糖の分子
と,その種の分子にくっついている燐酸塩の分子とからできています。
DNAの構造は二つのコイルを持った螺旋ラセン状で,二つのコイルはアデニンとチミ
ン,グアニンとシトシンといった一対ずつの連結した4種の塩基からなり,これらの塩
基対の配列順序によって遺伝的特異性が決まります。従って,いろいろな種の違いはD
NAの構成物質の配列の相違で決まるのです。しかも,DNAの構成物質はあくまでも
同じなのです。
細胞はまた,自分がどのような種類の細胞に分化して行くか,例えば樹皮の細胞か,
根毛のそれかといったように,その分化の種類に関して的確な指令を自らに行います。
いわば細胞は一つの化学工場のようなもの,その中に自己の発電所や所長とか技師の事
務所,専門家とか労働者を持ったものであると言えましょう。しかも細胞は自分と丁度
同じもう一つの細胞を作り出し,それら幾百万,幾十億の細胞からなる完全な植物体の
構造を示した青写真を暗号化した形を持っています。細胞はまた,環境の求めに応じて,
自らを作る会社とも言えますし,必要な道具を生産し,自分が働くときにその故障を発
見して修理する工場とも言えます。このように多くのものが,ただ1個のしかも顕微鏡
的単位の中に詰め込まれている事実は驚くべきことです。
しかし,高等植物の細胞では,それ以下では細胞の機能に支障をきたす最小限度の大
きさがあります。この最小の大きさは分裂したばかりの若い細胞の大きさとみてよい。
何故なら,分裂したばかりの細胞は,それが大木であれ,小さな雑草であれ,複雑な被
子植物であれ,簡単な体制の蘚類であれ,全て同じ位の大きさをしているからです。尤
も,厳密に言えば,生長の遅い植物の分裂している細胞は,生長の早い植物のそれより
幾分大きい。
細胞の中にある核は遥かに小さく,若い植物細胞の容積の10%にも満たない丸い物体
です。核は細胞の中心司令部とも言えます。過去50年の研究によって,生物が如何に発
育するかを予測する"情報"即ち生長の青写真が,核の中に含まれていることが証明され
ました。より厳密に言えば,核の中の核酸の中に植物の生長を方向づける物質が含まれ
ているのです。
そのほか,若い細胞の中には細胞質があって,それが大半を占めています。細胞質は,
細胞にとって絶対必要な反応や作用の源となるエネルギーを蓄えたタンパク様の物質で,
様々な働きをします。また,細胞質は核が発する信号や情報に従って行動します。つま
り,細胞は恰も近代的な工場のように,殆どの部分が製造部門によって占められており,
管理事務所や中央資料保存室は残りの僅かな部分に納められているに過ぎません。
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